20221019


コントロールできない他人のことで思い悩むのは本当に辛い。起きていないこと、「かもしれない」でマイナスな方向にばかり気持ちが向いてしまうときりがない。なぜここまで一人でこんがらがっているんだろう、心の内を吐露しないと苦しいところまできてしまったのだろう。ふと思い立ち、今の気持ちを文章に残しておきたい。


己の弱さを季節の変わり目、寒暖差、気圧、天気、ホルモンバランスのせいにしてしまえたら少しは楽になるだろう。せっかくだからメリッサを飲んで気持ちが安定するか実験しなきゃ。精神を安定させるのはメリッサってフィトテラピーの先生が口すっぱく言ってたことを思い出した。
春にフィトテラピーの勉強をした。その時の自分にはメリッサがそこまで響かなかった。周りで悩んでいる人にすすめたいと思っていたほど。

今は職場での人間関係が春よりずっと良い環境になり、プライベートではパートナーを得た。
一見するとメリッサを必要としないような状況だが、今はパートナーを信頼しきれないという苦しみの中にいる。

頭でわかっている部分は、白黒はっきりつけるということ。つまり思い悩む苦しみから解放されるために関係を終わらせるということ。
これはいつもの自分の思考、行動パターン。辛いようでけじめをつけられるから、このパターンを選択する自分は想像に難くない。

今回、心では受け止められない部分は、グレーのままにすることを選んでいる。つまりこのまま決着をつけずに進むということだ。
今までの自分ならこの道を選ぶことはなかった。
今回の出来事でなぜそれを選んだか。

受け止めきれないけどこのまま進むって決めた以上、その延長線上にある疑いとかを見て見ぬふりしたりそれについて問い詰めたりしないっていうのが多分セオリー。だけどそう簡単にはいかない。完全に信じるってなかなかできないし、好きだからこそ疑ってしまう。

これはいつもの思考、行動パターンにはない。このパターンを選択する自分が、今後どういう思考、行動をとれるのか。苦しみの渦中でなぜだかふっと好奇心が湧いてでてきた。

この出来事があってもなくても、今後他人(パートナー)について思い悩む出来事は起こるだろう。その際に思考、行動パターンが一つしかないことで困ることがでてくるのではないか。

嫌われる勇気を読んで、他人を無条件に信じること、裏切るか裏切らないのかを決めるのは私ではなく他者の課題であることを学んだ。

裏切られた時に受ける傷の痛みにばかり注目して、信頼することを怖れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことはできない。


それはさておき深夜ポエムはかなり恥ずかしい。重たい。相手が読んだらどう感じるかを超えた行為。パートナーからの返信がないことで思いを巡らし、短い深夜ポエムを送ってしまった。
気分を上向かせるために少量の飲酒をしたら、心がオープンになってよからぬ行動に走った。自分は自分が思っている以上に愚かなのだ。それを受け止めて進んでいくしかないのが人生なのかもしれない。

相手に対しては本当しょーもないことするなって、母のような大きい心で受け止められる人間になってみたいという好奇心のままに現実を受け止めるのか、そそくさと立ち去るのか。いつでも自分次第で決められるんだ。自分の手の中にある選択肢を持て余しながら、今日も人生をやっていくか。

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