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誰も信用できないけど、上手くいく経済圏( チョンキンマンションのボスは知っている: アングラ経済の人類学)

Facebookのフィードを眺めていると、「この本めっちゃ面白かった!」と友人が熱く熱く語っていたので、気になって読み始めたのがきっかけ

あと、「信頼できない人との間での経済圏」というところにも興味があった。「えー、そもそも信頼が成り立ってないと価値の交換って難しいんじゃないの?それってどうゆうこと?」という率直な疑問からスタートした。

この本の構成

舞台は香港にあるチョンキンマンション。主に取り上げられているのは、「俺はチョンキンマンションのボスだ」というカマラ。そしてチョンキンマンションを中心におきる出来事や、人との関わり、経済圏のお話。日本では想像もできないような関係性や環境の中で人々は工夫をこらしながら、そして楽しみを見つけながら「今」を生きている。

その中で生まれた独特なしくみや文化を考察しながら、これからの幸福論やシェアリングエコノミーのヒントがあると思う。実際私も「無理ない程度の、ついで」「信用しないことの背景」「贈与、分配、再分配」に関しては、私生活でも活用できると思った。

そもそも、なんで誰も信用できない?

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香港に住んでいるタンザニア人は本当に多様な事情がある。目的は「出稼ぎ」なのだが、滞在し続けるために難民認定をうけたり、一定期間滞在せず行ったり来たりを繰り返したり、一旦中国に滞在してタンザニアに戻ったりと様々な工夫をして香港に住んでいる。

そんな中で、一時期は大儲けしてたのに、次の瞬間には貧困に陥って母国にも帰れない状況に至ったり。突然に「死」が訪れてしまったりもする。そしてチョンキンマンションに集まっている人は、ここに集まっている目的も事情も状況も全くことなり、長期滞在・短期滞在と様々。一期一会、諸行無常、状況はひたすら変わる

その場限りのコミュニティ

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チョンキンマンションの「コミュニティ」たるものがあるのだが、そこは日本の村社会でよくみる「干渉しあう」「おせっかいしあう」とはまた全然異なる。

そもそも、個人的なことには干渉しない

つまりどうゆうことか? 彼・彼女らの置かれている状況は刻一刻と変化していると書いた。そして、タンザニア人は「人は、置かれている状況によって豹変する」ことを知っている。

それは「自分」だってそうだ。
だらら、今日誠実だった人が、明日悪人になることだって可能性としては普通にある。

日本だったらば、他人が失敗したりしたら「努力が足りないからだ」「見通しが甘い」など、自己責任という形で個人を評価してしまうだろう。うらを返せば「自分は同じようなヘマをしないぞ」とたかを括っている。

果たして、本当にそうだろうか?

対して、タンザニア人は「評価をしない」。その人の状況だったら、自分だってそうなっていたかもしれない。と思っているから。

あの人を助けたから、誰かが助けてくれる

「あの人を助けたら、今度はあの人が助けてくれるだろう」という考えはソーシャル・エコノミーでは異なってくる。「あの人を助けたから、今度はだれかが助けてくれるだろう」なのだ。価値の交換や贈与の対象は、必ずしも特定された人でなくてよくて、回り回ってだれかが助け合い、それがいつか自分にも巡ってくる

助けられる状況にいる人が、必要を求められたとき助けられればいい。それも人それぞれ状況が異なるのだから。だから自分が誰かに手を差し伸べられるのであれば、率先してシェアし助け合う。

そしてその助け合いにもポイントがあり、「無理なく、ついでに」だ。無理するとバランスが崩れる。私ばっかりが頑張っているのに、、という状況になると続かない。

多様なネットワークは「安全」のため。無償で見ず知らずの人を助けるのも、いつかの自分のため。カマラがSNSでこまめに友人に連絡をとったり、ふざけた画像を投稿したりするのは多様な人達とゆるやかに繋がり続けるため。そうすることで、セーフティーネットを張っているのだ。

協働型コモンズのディープ・プレイを重視とは?

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これからの時代は、富を築く=お金を稼ぐ ことが幸せだという価値観では経済がまわらなくなる。物の価値や効率中心だったのは高度経済成長時代の話しで、経済は十分に発展し・豊かになり、「シェア」「フリー」「コモンズ」に代表されるソーシャル・エコノミーが中心になる。

人生の価値を高めること

経済を回すということだけではなく、それに対して生きがいを感じ、楽しみながら、社会価値をわかちあえるプラットフォームであることが必要になる。

カマラは、TRUSTという仕組みを元に、「楽しみながら・ついでに仕事をする」そして助け合いや知恵のシェア(カマラは商売の仕方や仕組みを惜しみなくシェアする)を通じて社会価値を分かち合えるプラットフォームとして成り立っている。(仕組みの説明を始めると長くなるので割愛する)

彼らの生活は、楽しみ・遊びが中心で、そのついでに仕事が回ればよいのだ。せっかくの楽しみを「仕事のために...」と言い始めると味気ないものになるからだ。(味気ないものにしないようにという心がけ、いいなぁ。。)

そして、人に分け与える事自体が喜びだ!という考え方も、「無理なくついでに」できる自分の生きがいにつながるのだ。結局はすべて自分のため。自己犠牲などは払っていないのだ。

メルカリなどのスコア経済圏を超えていくのか?

その人の評価を「星5つ」など、相互スコアリングして、この人は評価するに値するか?を可視化する仕組みは、メルカリなどのCtoCビジネスや中国でも当たり前になりつつある。ただ、そこで浮き彫りになるのは高い評価をつけてもらえない人たちの排除。それはいい面も、悪い面もある。だって状況によって人の対応って変わる、一貫性がないのだから

TRUSTは、機械的に評価をしない仕組みだ。その人の評価は、その人自身がSNSのフィードなどをみてジャッジする。その間に人をつないでいるのは「金儲け」。信用ゼロのスタート地点で信用できるのは「貨幣との交換」ができるかどうか。逆説的だけれど資本主義がここで効いてくるのである。===

今思うこと

気軽に人助けをできず「自己責任だ」と思考停止したりすることは、結局は自分に回ってくる

つまり、一人で何とかしろ!ということだ。誰にも助けを求めにくい。
果たしてそれは、「生きがい」「楽しさ」といった人生の目的に即しているのだろうか?それって豊かなの?

自分がシェアすること、人を助けることは、怠け者の誰かに対してのボランティアで「損だ」なんて考えではなくて(すごく卑屈な表現になってしまったが笑)
シェアすることが自分の楽しみになったり、「ついで」にできるとこで誰かの助けになればいいのだ。そんなに大それたことではない。

この無理ない程度というのは非常にポイントで、たぶん日本人(私とか)頑張ってしまう。頑張ってしまうと、相手にも引け目を感じさせ・自分だって「見返り」を求めちゃうこともある。だったらそもそも、頑張らなくたっていいのだ。

いかに楽しく、楽に働くか。ここのヒントを得られる本だと思う






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