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自分をいかしたい?(西村 佳哲:自分をいかして生きる (ちくま文庫) )


「自分をいかして生きる」ってフレーズは、働いている誰もが自分ごととしていろんな思いを広げてしまう言葉じゃないだろうか?

今私は産休中で、臨月に突入。来年復帰する予定ではあるけど、おそらく今まで通り自分の時間をめいっぱいつかって働くことは難しくなる。

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でも、そんな中でもできるだけ「自分をいかして生きたい」という思いは人一倍あると思った。誰にでもできる代替可能な・リソースとして働くのではなく、できるだけ自分のよさを出していきたい。これは、一緒に働く他者に対しても「あなたの良さを出してほしい」とも思ったりしている。

数年前に「自分をいかして生きる」を読んだんだけど、改めてひっぱりだしてきた。昔と今とではインタビューから感じとる内容もかわった気がした。本っておもしろい

#本書を読みすすめる前の 「問い」

最近試しているのが、本を読む前に「問い」を設定してからう読むこと。今回の問は2つ

(1)自分のいかし方って、どうすればいいんだろう?
(2)自分をいかしたいのであれば、他者だっていきいきとしていてほしい。他者をいかして生きるって?

この2つについて、自分なりの「こうゆうことかなー」を見つけにいきたい

自分を正直に表現する

自分をいかして生きるには?という問に対して、下記の加藤晴之さんの言葉がしっくりきた。のと、そう言い切れることがかっこいいと思った。

僕の中で「生きる」ということは、「自分を表現する」ことです。どれだけ自分を正直に表現できているかということが、人と向かい合ったときにまず大事なことなんです。(p111 )

加藤さんは元Sonyのデザイナーで、それ以外にも車やスピーカーや色んなものをデザインして、今は蕎麦屋さんを営んでいる。越境しまくりの人。

自分がここで生きることを発揮しなかったら〜(略)〜自分自身がこう性能を出しきらないまま死んじゃったら、自分自身つまらないし、まわりの人達もきっとつまらないし。

生きることを発揮する」という言葉にはっとする。自分を正直に表現することはつまり、生きることを発揮すると同じことであって、それっていつも新鮮な気がする。

「発揮する」ってどこか瞬発的な・眼の前の状況から瞬時にうごくような印象がある。数年後のゴールを見据えながら計画的に企てるというよりも、ある程度有機的に その時その時に力や能力を発揮していくことを楽しんでいる・自分にも試しているように感じた。

あと「つまらないし」って大事な本音だと思う。「あー、つまんなくなってるかも」という心の信号は自分でもごまかしちゃいけない。人は誰しも「役に立ちたい」し「自分をいかしたい」生き物だから、効率的に・生産的に・誰かのお役にたちたいと思うと思う
けど、「あー。自分を発揮してないな」と思うことを脇においてしまうときっと、どこかでツケが回ってくる。思考停止というか、自分のことがわからなくなってしまうというか。

就きたい仕事がないと感じるのは、正しいのかも

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転職活動をしていた当時「やりたい仕事がどこにもない」と思っていた。

募集要項を見ても、スキルや求められる実績を見たらマッチするだろう求人はいくつかある。だが、それと「なんか違うなー、これ私やりたいんかな〜」と結構悩んでしまった。報酬が高そうなところ、と割り切ってしまえば選択肢は絞れるが、それだけが大事なわけではなく。(そもそも採用されるかどうかわからないのに偉そう笑)

今になって思うのは「そもそもあなたを生かすための仕事なんて最初から用意されていないのだ」ということ。

「自分をいかして生きる」とは「より自分になろう」とする働きの積み重ねであり、どんな仕事の内容であってもいかすことができる。「自分の仕事にしてしまう」ということが大前提だ。

あらかじめ価値や意味のある仕事なんてない。あるように見えて、それはたまたま時流にかなっているだけの話で、要はそれを誰が、どう、やるかだ。(p55)

そう、あらかじめ価値や意味は用意されていない。どんなにありきたりな仕事でも、特殊な仕事でも、たぶん それを誰が、どう、やるかによって意味や価値が変わってくる。

仕事を選ぶ、とか、選ばれるとか、そうゆうのも違うのかも

答え合わせとしての、仕事選び

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就きたい仕事がない、みたいな感覚は求人や人材市場の「カタログ化」にあるのかもしれない。

今、こうゆうことができる人が求められています。と、求人なんかみるとわかりやすく提示されているのだけれど。それは会社や市場の求めるリソースとしての人材像・スキルの列挙であって。
まじめな私達はその人材市場でどうやって高く売れるか?を考えて、その枠に合わせて成長しようとしていってる傾向はないか。

それって逆にいえば、自分の仕事の正解を市場軸や業界軸といった、自分の外においてしまっていないか?
評価されるかどうかを気にしながら、答え合わせをしているような感じ。

だからこそ起きる、「期待されていることに応えられているだろうか?」とか「あんなふうになりたい!」とか自分の外からのフィードバックや理想に対して一喜一憂してしまう。

それは、自分をいかす仕事と言えるのだろうか?正解なんてそもそもないし、人事評価は給与決定するための一部の仕組みでしかないし(MBOの達成は幸福度とイコールではない思う。仕組みとしては便利だけど)。
私は自分なりの価値や意味を作り出せる人でいたいと思う。

自分同様、他者がいきいきとする働きをしたい

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自分をいかしたい という思いがあれば、

やっぱり一緒に働く他者も「自分をいかして」ほしいと思うもので。

西村さんが気をつけていることは以下の3つだという。
1)アドバイスしない。でも話を聞く
2)自分の語る言葉を、自分自身が聴いて気づくこと
3)信頼して待つこと

これは「相手への信頼と尊重」が前提にあると思う。
君は自分の本音を持っているし、それを大事にしていい。そしてきっとできる。すぐにわからなくても時間をかけてわかることもある。じっくり考えたらよいさ、と。

この、信頼して待つことの難しさ。

先回りして、アドバイスや手を差し伸べたくなる気持ち。誰にでもあるが、それはその人自身の意思ではなくて、他者の判断や解釈によるもの。本人の本音や本人のタイミングを無視してるってことは、尊重ではないということ、しっかりと心にとめておかねばいかぬ。

なんでも早ければいいってもんでもないし、効率的に・生産性を追い求めると大事なものをこぼれ落としてしまいそうだ(これ、子育てにも言えそう)

私が、私をいかして生きるには?

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じゃあ、私が私をいかしていきるには、どんなあり方をしていきたいだろう?

1)自分の本音を正直に表現する。
 しっかり表現できなくてもよくて、完成度30%でもとにかく表現してみたい。何でも外に出して、体験をしないとわからないからだ。

2)信じて、待つ姿勢。
 直ぐにできなくてもいいし、すぐに応えがでなくてもいいと思う。わかったつもりになって、要約してしまうと大事な違和感をスルーしてしまうと思うからだ。そしてその違和感がすごく重要。

3)他者の本音やその表現も大事にする。
それは結局、自分の本音をしっかりと大事にしないとできないことだと思う。自分に誠実でなければ、他者も尊重できない。

こうする必要がある、というわけではなく「私はこうしたい」というものを整理してみた。結構すっきりする。

今回のテーマは、生きてる限り永遠に応えのない・磨き続けていくものだと思うので、年を追っても振り返ってみたいと思えた。答えがでないってとってもやる価値があっておもしろいな。

めちゃくちゃおすすめの本なので、配ってあるきたいくらいだ


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