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「TAR」を観てしまいました…。

ちょっと気になっていた映画「TAR」を観ました。

この映画、ざっくりいうと…女性指揮者として世界の頂点に上り詰めたTARが自らの言動で没落していく姿をえがいたもです。上映時間158分と少し長めの映画です。のこの映画についての映像表現等のテクニカルな解説は私には無理なので省きます。

この映画を見始めてすぐに感じたのは、自分はあまりにもクラシック音楽とそれを取り巻く状況に無知だということです。これは本当に残念なことで、この映画で貴重な甘くておいしい部分を食べ損ねた気分です。クラシック音楽に詳しい人は、序盤で映画の世界にどっぷりつかる準備出来たのではないでしょうか。それとほぼ英語が理解できない私は、字幕に追われて集中できなかった事も残念でした。これらは自分の無知と勉強不足によるものなので、映画の評価でありません。

この映画では「キャンセルカルチー」や「セクハラ」「パワハラ」といったことが物語の転換点になっていると思うのですが、私はこの映画の本質はそこにはないと感じました。TARはいわゆる才能ある「強い女性」ですが自尊心が強いがゆえ他者に攻撃的に振る舞ってしまいます。ちょっと子供っぽい行動や言い訳があったりするのも、才能のある人には良くあることです。またそこが人間的に魅力だったりする場合もあります。

私自身はTARの言動に肯定も否定もなく、特別、嫌悪感を抱くこともなかったです。むしろ共感する部分もありました。「セクハラ」も「パワハラ」も100年前の社会にも存在していたと思うし、100年後にも存在し続けると感じています。私はこれらの問題の根源にある物は、生物学的な遺伝情報の中にあると思っています。人は本能的に弱者を攻撃したり、他人を引きずり下ろしたりすることに快楽を感じる性質があるので、人間の理性や知性、倫理観を総動員してもそれを根絶することは出来ないと思います。だから認めますというわけではないのですが、自分自身がその事に過剰に反応しても問題解決にはならないと考えています。

ではこの映画を通して押し寄せてくる重苦し雰囲気は何でしょうか?この映画が観る人に問いかけてくるものは何なのでしょう…。それは「あなたは自分の人生を自分の足で歩んでいますか?」いうことではないでしょうか。他人が作った借り物の価値観で、楽な生き方をしている自分を見透かされて、なんだか後ろめたい気分になっているのだろうと思います。

この映画はとにかく色々なものを観る人に語りかけてくるので、それらを完全に表現するには時間が足りていません。上映時間158分ではとても足りません。ただ満足度はかなり高い映画で、中身がぎっしり詰まった重たい映画でした。

5月に「BlueGiant」を見て刺激を受けてこの映画を見ました。全く違うタイプの映画で結構楽しめました。また音楽をモチーフにした映画があれば見てみたいと思います。

最初にこの映画少し長めの上映時間と書きましたが、実際見終わったときは「時間が足りないなぁ…」と感じました。