車と外食。居場所と自由。
妻が車を買った。
住処を変えて以来家族3人だけの、初めての外食。
こんな人へ向けて書いています
こんな人が書いています
住処を変える選択から約一年
「実家で暮らそう」
長年の東京暮らしに慣れ親しみ、土地へも住まいへも愛着のあった僕ら夫婦は、僕の生まれ故郷で暮らすことを決断した。去年の10月のことだ。
この選択から、約1年が経とうとしている。
コーチ活動を続けながらベンチャー企業に就職してパラレルワークになったり、僕の家族と新しいチームワークを築くことに向き合ったり、コーチとしての活躍の場を拡げるための挑戦を始めたり。
生まれ故郷に14年ぶりに帰ってきた僕と、初めての土地で暮らすことを選んでくれた妻と、すくすく育つ子どもと共に、めまぐるしい一年を生きてきた。
三足の草鞋
父親となり、コーチとして生きることを選び、再び会社員としてチームでビジョンを目指す挑戦を始めた僕は、三足の草鞋(わらじ)を履いている暮らしを送っている。
この一年間、コーチングセッションを受ける際のテーマはたびたび「どうすれば最適なバランスをとれるのだろう?」ということを掲げた。
暮らしにかけられる時間は有限で、自分が発揮できるエネルギーも有限だ。ビジョンに呼ばれて「やりたい」「挑戦したい」と思考と想いに駆り立てられるまま、平日も休日もなく走り続けてきた僕は、眩暈に倒れた。
平衡感覚がくるい、世界がくるくると回り、少しでも頭の角度を変えると吐き気に襲われる。僕は台所の脇に倒れ込んで、動けずに目を瞑っていた。身体からのメッセージが、一段激しくなったように思う。
楽しみにしていた #すがけん本 の一か月ぶりの公開収録も休み、ひたすら布団の中で三半規管が落ち着くのを待つ。昨日はそんな午前中を過ごしていた。
我が家に新しい車がやってきた
一昨日、妻が買った車が我が家にやってきた。
群馬県は車社会で、生活必需品だ。
この一年弱、僕たちが自分らの車をもつことなく暮らしてこられたのは、ひとえに僕の家族の支えのおかげである。
日用品や病院、東京に出社する際、家族に助けられて暮らしてこられた。
今このタイミングで車が必要になったのは、妻が10月から仕事に復帰することが決まったからである。子どもを保育園に入れることにしたのだ。送り迎えのためには、さすがに車が必要だね、という話になった。
「子どもを持ちたい、そのために、場所と時間に囚われない仕事と働き方を手に入れたい」
そう望んでやってきた僕の挑戦は、既に叶った。
「今度は、君の番。」
僕の夢を叶えてくれた妻が、自身の人生を賭けた挑戦をするために、仕事は不可欠の要素だ。初めての出産、初めての育児、そして、母になってからの仕事復帰。
妻の挑戦を支えたい。
そう思いながらも、僕はいっぱいいっぱいになっていた。だから、この車を買う段取りも、入園のための手続きも、妻に任せっぱなしだった。
僕の父の助けを借りながら、妻は、自ら新しい暮らしの準備を整えてくれたのだった。
初めて自分たちの足で、外食へ
「行きたい場所があるんだ」
眩暈に倒れるちょっと前、妻が提案してくれたのは、「ママとこどものレストラン」だった。
子どもを持つまではまったくアンテナが立たなかっただろうコンセプトのお店。「地元にもそんなお店があるんだな」という印象だった。
「気分転換をした方がいいんじゃないかな」
そういって近くの居酒屋に連れ出してくれた父の言葉が残っていた。ともすれば、このお盆の期間中もずーっと家にこもってコーチ仕事のためのあれこれに費やしていただろう僕は、この提案に乗ることにした。
幸い、しばらく寝ていたら復調した。
チャイルドシートに乗って物珍しそうな顔をしているこまーをあやしながら、ナビをして、妻の運転で初めてのお店へ向かう。
車酔いにめっぽう弱い僕のナビが怪しくて、「ちょっと先まで行き過ぎた!」なんてハプニングもありつつ、目的地に辿り着いた。
あっという間の時間だけれど、僕は妙な高揚感を感じていた。妻の運転する車に乗るのは、これが初めてではない。妻の地元の徳島にいったとき、何度も乗せてもらっている。
ただ今回は、妻が自ら探し、選び、手に入れた車だ。新しい土地で、あたら暮らしに踏み出す決意をして、僕たちが初めて手に入れた「自分たちの意思だけで動かせる」足だ。
外食に出る、なんて、珍しい話ではないのかもしれない。現に東京に暮らしていた頃は日常だった。だが、住処を変えた僕たち夫婦にとっては、圧倒的な非日常となったイベントだった。
カフェは、とても居心地が良かった。
座席事に設けられたキッズスペース、味わい深いご飯、同じ年の頃の子連れのお父さん・お母さんたち。そして、夫婦で互いに子どもを気にかけながら、ご飯を食べたり食べさせたりする時間。
なんだかとても特別な時間に感じるとともに、なんだか少し、背中が軽くなったように感じた。根を詰めて暮らしている日々から、ちょっとだけ、息を吸えたような気がしたのだ。
「私たち夫婦は自己研鑽夫婦で、ちょっとした旅に出ることもなかった。でもこれからは、小さな旅をたくさんしていきたいなと思う」
妻の提案に、二つ返事で答えた。
多くの変化の先で
僕にとって激動の2021年。独立し、子が生まれ、住処を変え、再就職した。これは、その続きの物語だ。
僕は相変わらず、「自分の願いと繋がって生きる」ための挑戦を続けている。
光に満ち溢れた2021年と対照的に、たくさんの現実が追いついてきた影の2022年上半期。
この2年半語り続けていたラジオでも語れなかった、しんどさの中でも歯を食いしばって生き続けてきた日々にも、少しずつ光をあてられるようになってきたように思う。
場所を変え、仕事を変え、付き合う人達を変え、過ごす時間が変わった僕は、去年の今頃には想像だにしなかった物語を生きている。
大きな決断の先には、大きな変化への順応が待っている。これは、「これから人生を変える決断をする人」の、半歩先を歩んでみた僕の体験記だ。
コーチとは、職業ではなく、生き様である。
自ら歩むこの生き様の記録が、「自分の願いに沿って生きたいと望む」あなたの背中を、ちょっとでも押せたなら嬉しい。
幸福感だけの日々なんて無い。
けれど、いつでも僕は充足感に溢れている。光も、影も。全てが豊かな僕の一部であり、既に出会い、これから出会う方々への贈り物となることを、信じている。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。
どんな時間と価値を届けているかきになった方は、ぜひこちらの記事をご覧ください。60分間のセッションのイメージをお持ちいただくヒントになろうかと思います。
また最近、「発信活動を始めたいけど最初の一歩が重たい…」というお声をよく聴くので、何かお手伝いできることないかな?ということで新サービスを始めました。「stand.fmでの公開インタビュー&note執筆伴走サービス」です。こちらはその最初の取組記事。
今回の投稿をお読み頂いて、「自分のこれからの物語に出会っていきたい!」とご興味をお持ちいただけたなら、お気軽にお声掛け頂けたら嬉しいです(公式LINE)
最近、「テーマも決めずにお喋りしたい!」欲が出てきたので、公式LINEにそんな企画を流すかもしれません。直接まーと喋ってみたいぜ、という方は、気軽にLINEで話しかけてもらえたら嬉しいです。
あなたの物語に出会う日を、楽しみにしております。
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