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自分と言葉と文章と、作文嫌いだった私の遍歴①

私は子供の頃、本を読むのが嫌いだった。
絵本は絵だけを見る。物語そのものには特に興味はない。
幼稚園に通っていた頃は毎月1冊、両親が絵本を買ってくれていたので(幼稚園であったシステムを利用。毎月決まった日に絵本が届く)、さすがに申し訳程度に読むことはあったけれど、その大体が、1ページに1行、2行程度で終わるもの。それくらい、並んだ活字を読むのが面倒だった。

小学校へ上がると、教科書を読まなければならないので、敢えて子供の頃に読んでいたと言えるものがあるとしたら国語の教科書くらいだ。それ以上のものはほぼ読んでいない。でも、あまり記憶にはないが、読書感想文のための読書くらいはあったと思う。夏休み、冬休みの宿題の定番であったように思うけれど、どんな本を読んだのか、記憶は殆んどない。

そのせいか、文章を書く…いや、文章を作る作業が嫌いだった。必ずしも付随するものではないかもしれないけれど、やはり少なからず関わりはあると思っている。むしろ、文章自体が好きじゃなかったのかもしれないが、文章を作ることは好きじゃないとか、そういうぬるい感じではなくて、明確に、嫌いだった。
作文とか絵日記とか、学校で毎月書かされていた詩とか、本当に何を書いていいのか困るし悩む。書きたいことなんて別にないのだ。絵日記ならばまだ、絵を描けるだけ救いがあるけれど。絵は小さい頃から好きで描いていた。

とはいえ、いくら絵を描けるだけいいと言っても、絵日記だって、自分がどうした何したとか、何をどう感じたか、なんて、そんなもん別に文章に起こしたいなんて思ったことはない。ちなみに、書道は就学前から習っていたので文字を書くこと自体は嫌いではない。
やはり文章を作ることが、嫌い。

そんな小学校低学年生だったので、宿題の作文は、プライド高き?お祖母ちゃんが下書きを作ってくれることが多かった。ウチのお祖母ちゃんという人は、孫が優秀でなければいけない人だったので、作文が下手な私を嘆いて、宿題の作文は下書きを作ってくれたのだ(この時点でただ孫に甘いだけとも言える)。自分は、それをなるべくたくさん書いたように見せるため、句読点を駆使して原稿用紙に書いていく。
だから学校での文章作りは、草稿を手伝ってくれるお祖母ちゃんもいないため、本当に苦痛でしかなかったが(苦行ならばまだ良かったけれど)、忘れもしない小学校2年の秋、とある変化があった。それは毎月、学校で書いていた詩。

本当に毎月何を書けばいいのか、悩んでいた私。その月も勿論、書きたいことはない。どうしようか悩んで、ぼんやり教室の窓から外を見ていた。
通っていた小学校はとても緑の多い町にあって、教室から見える景色は近くの山。冬になるとそこでスキー授業がある。季節はまだ秋の色付きを始めたところだった。そして、急に思い付いた。


「秋は妖精さんがペンキを塗り変えてるんだ。」


無論、本気でそのような絵本みたいなことを思っていたワケではないが、軸となったその一文で、思いの外、筆が進んで、気が付いたらその時の詩は、毎月学校が発行している、詩集に掲載された。
1年生から6年生まで、各クラスから1名ずつ、毎月誰かしらの詩が選ばれて掲載される。
学校規模の話だからそう大層なことではないが、自分の力だけで載ったことはこの上ない進歩だった。
とはいえ、そこから急に書きたいことができるワケもなく、ほんのちょっとだけ苦手意識が、軽減したような気もするが、恐らくはまぐれなので、まぐれはまぐれ以上のものにはならなかった。

お祖母ちゃんにも自分の詩が載った詩集を見せたが、「あんたのは子供らしくない」と言われる始末で、隣のクラスのコの詩を褒めていたし。喜んでいただけたのは、詩を読む前までだった…。
今思えばなかなか厳しい。

そうして、迎えた小学校3年。勿論、相変わらず文章を作ることに関しては超後ろ向き。長期休暇の作文の宿題は、お祖母ちゃんが草稿を作るスタイルも変わっていなかったが、早くも2度めの詩の採用が決まった。6月くらいだったと思う。季節的にも特段、ネタになるようなことがなく、本当にひねりにひねり出したネタ。


「夢はロードショーだ。」


確かにここまでくると、小学校3年生が書くネタにしてはちょっと子供らしさがないと、祖母が言うのも分かってくる。その時も2年生の時と同じことを言われた。
2度目の採用までは早かったが、恐らくそれもまぐれ。それでも、少しずつ文章を作ることの苦手さからは解放されていったのではないかと思うのだ。
何故なら、小学校4年になる頃には、このままじゃいけないと思っていて、どうにかしたいという気持ちだけはあったから。
そして、本は読まないくせに、図書室は好きだった変わり者の私は、図書室の本棚を眺めながら、とある一冊の本に目を留めた。


『作文がすきになる本』


ベタ過ぎるほどベタだけど、こんなタイトルだったと思う。
高学年側の図書室で出合ったそれは、自分が小学校4年生の時だ。その本自体は、対象を小学校中学年としていて、私は「またまた~」なんて思いと、「まだ間に合うの?」という、淡い期待と半々の気持ちで手に取った。パラパラとページを繰る。

どんな内容なのか、そもそも自分にも読めそうな本なのか?まずはそこが重要だ。活字はできるだけ読みたくないのも、全く変わっていない。
それでも、作文が苦手であるという事実と自覚は、子供心に危機だと感じていて、どうにか克服したいと思っていたのだから、そこは自分を褒めてあげたい。

そして、手に取ったその本は、見事に私の心を掴んだ。
「作文がすきになる本」という、ハウツー本のようなタイトルでいて、主人公は作文嫌いの同い年くらいの男のコ(小3だか小4)。
その男のコが、嫌いな作文を好きになるまでの物語。同じ境遇の主人公は、性別は違えど自分を重ねるに充分で、いざ作文を書かなければいけなくなった時、何を書くのだろう?と。そして、この状態からどうやって作文を好きになるっていうんだろう?と。読むうちに期待が膨らんでいく。

大人たちには、何でもいいから思ったことを書けばいいと促され、本当に素直に正直に、主人公が書いた作文の冒頭は、「ぼくは作文が大きらいです」だった。

当時10歳の自分には、完全に目からウロコ。
え、そういうこと…?と、急にハードルが下がった気がして、本を読み終わった頃には、何かちょっとだけ、自分にも作文が書けるような気さえした。私にも面白いと思えるくらいの物語と(自分に重ねてたからか?)、主人公の経験は、私にも大きな経験を与えてくれた。読書は体験、とはまさに、と思う。

それからの私と作文や詩を書くことについては、あまり記憶がない。多分、本当に「作文とか無理、やりたくない」と思っていたのは、きっとそこまでなのだと思う。
その証拠に、私は小学校4年だか5年だったかの夏休みに、物語を創作して自由課題として、ノート1冊を提出しているのだ。そのノート自体は処分してしまったが、ホラー小説的なものを書いたのは忘れていない。作文ではないけれど、文章を作ることを自らするようになった。

そしてこの頃から、漫画も描くようになったので、全般的に、創作することが面白いと気付いた頃なのかもしれない。
ちょくちょく文章を作るようになり、中学生になった頃には苦痛ではなくなっていた。こんなに変わるものなのだろうかと、自分で振り返っても驚いてしまうけれど、何が起こるか分からないものだ。

ちなみに、書くことは好きになったものの、この時点ではまだ本を読むことは相変わらず苦手なまま。というか、面倒なのだ。少しずつ色々なことに興味はわくものの、活字を読むのが面倒で仕方ない。
それがどうして変わったのか、また次のnoteで思い出しながら書いておこうと思う。

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