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23/10/20 教育ってなんだろう

前回の続きのような話で、友人と話してた時に学校教育の話になった。
僕は周りの人に恵まれて育った。
学校でいうと良き友人に恵まれ、先生に恵まれた。特に中学の部活の恩師には、人として大切なことを教わった。

その恩師は僕らに対して向き合い、あきらめなかった。誰1人残さず全員でいこう。やろう。ひたすら向き合い、目をかけてくれて、その人その人に合った言葉をくれる。時に厳しく、時に愛に溢れた優しさをくれた。

高校に入るとそんな先生はなかなか居なかった。だから、先生の言うことは全く響かなかった。
生徒に向き合い、生徒をよく見て、生徒を諦めない先生の方が少ないんだろう。

今の学校の先生はどうなのだろうか。
娘はどんな先生と出会うのだろうか。
この町の学校教育は、どうなのだろうか。
心配だ。

もう一つ、高校卒業の次の日くらいから、個別指導塾で働いた。小学校の頃通っていた塾だ。
大学卒業まで4年働いた。

そこで見てきた子どもたちのことを時々思い出す。

ねーたかしくん、聞いてくれよー。
学校ではおれらなんもしてなくても、お前らが悪いって言われる時があるんだぜー。
結局おれらが悪者になるんだよなーー。そんだけ悪いって言われたら、おれらもそんな態度にならざるおえないっていうかさ。

元々は自分が蒔いた種なのかもしれない。
本当に先生からしたらやりにくい生徒なのかもしれない。一般的には悪い子とされるのかもしれない。

ただ、彼らから聞いた言葉は本心であり、事実だろう。

悪い子のレッテルをはられて、
それを演じないといけないことが、
実際起きてるんだなって。
それがどんなに辛いことか。
ストレスがかかることか。

その子たちの居場所は学校からは無くならざるを得ないだろう。だって、悪っていわれるんだもん。

じゃぁ、その子たちはどこに居場所があるんだろう。その子たちが素でいられる場所があるんだろうか。
フェアに(素のその姿を)見てくれる大人たちが、その子たちの周りに少しでも多くいることを願った。僕だけでもその子たちの素を見ようと思った。

実際、その塾の塾長は、僕たちが子どもの頃から、フェアに、1人の人間として見てくれたから、素の自分でいられた。フェアに見る大切さを教わった。

今思えば、家で1人の子を育てることでさえ、とても多くのことを考えさせられるし、ああ、しんどいなあ、って思うことがある。

学校の先生はたくさんの子どもを抱えて、それがどれだけエネルギーのいる仕事なのかと思う。

そう、エネルギーがいる。

たくさんの子どもを抱えざるを得ないから、1人の子に注げるエネルギーは限られるだろう。

学習を進めないといけないから、それを妨げる生徒は悪のレッテルをはって、あぁはなるなよ、って言いたくなるかもしれない。それを妨げる子にエネルギーを注いだら、他の子がおろそかになるかもしれない。

学習カリキュラムを進めること、が正義なのだろうか。では、プリセットされた学習カリキュラムが合わない子はどうするのかな?
学校はどうあるべきなのだろうか。
学習はどうあるべきなのだろうか。

そんなことを、大人たちが集まって、未来を描き、具体化された課題を具体的に対応していくことが必要なのだろう。

教育ってなんだろう。

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