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母への弔辞(日記2022年2月22日)

今も書いているtaichoの日記

今noteで公開しているのは17年~20年前のtaicho日記と給料の手紙なんですが、今も、taichoの日記は書き続けてファクトリーギアの社内向けとしては公開しています。

進行形の今の日記というのは、なかなか社外に公開できない内容もあってオンタイムは躊躇してしまうのですが、今日はかなりプライベートな内容なので、ちょっと公開したいと思います。

taichoの日記2022年2月22日


仏壇処分で発見された母への弔辞


断捨離好きの妹から連絡がありました。

「預かっていた実家の仏壇捨てちゃったから。で、そんときに母の葬儀のときのH先生の弔辞出てきたので、送るね。」


相変わらずあっさりしている妹です。

仏壇捨てちゃったって(笑)

「だって、仏壇のなかに誰かいるわけじゃないからさ。あっ、位牌は捨ててないよ」


まさにその通りだけどね。
実は私も仏壇をそれほど気にはしていません。

カタチあるもの無くなるわけで、なので仏壇というカタチよりも、祖先を思う気持ちや振り返ることのほうが大事なんじゃないかと思います。


そしてまさに、
その仏壇に入っていた弔辞からのメッセージが素晴らしいものでした。妹から郵送されてきた弔事は和紙に薄墨で丁寧にしたためられていました。

昔はこうやってきちんと書いたんだねと思いました。

弔辞を書いてくれたのは私の仲人もしていただいた当時、H学園の常務理事をされていた、H先生でした。

私の人生で出会った人の中で一番尊敬する、
そして目標にもしている方です。H先生は母が亡くなった2002年8月は81歳。
この弔辞を読まれた翌年の11月にお亡くなりになられました。

私は先生のお別れ会で、親の葬儀よりも号泣しました。その位、私にとっては大切な方でした。

弔辞に書かれていたこと


弔辞にはこれまでの我が家とH先生の日々のこと、私のこと、などが書かれていました。


「一子さんの正義感の強い、明朗で率直なそのご性格は時には誤解を受ける面もあったようですが、その明朗清新なお気持ちは皆様から愛され頼られるものをお持ちでた・・・」


うん。確かにね。私にもそういうとこあるもんね(笑)


「今でも記憶に残っていますが、16号線の一軒屋であったあの常陸商会は、今日、大商店街の中心に立派な存在感を示しております。この変化の激しい時代に立派に生き残り
成長されたお店を見るたびに、その先見の明と、ご夫妻のご努力を感銘せずにはおられません」

本当にその通りです。
周辺には森しかない、まさに陸の孤島と呼べるような場所に投資するという決断はなかなか出来るものではなく、

あそこまでの進化を予測した人は50年前、周りには誰も居ませんでしたよね。


そして、弔辞は最後にこう締めくくられて
いました。


「長年にわたってあなたの積まれましたお徳は、永久に消えることなく、末長くご遺族をお護りされることと存じます。
一子さん、長い間ご苦労さまでした。」


生きてきた生き様が今生きる人たちを護る



H先生が亡くなられる前に私は聞きました。

「先生、人間は死んだら、どうなると思います?」

「私はなんにもないと思いますよ。こんなに一杯人が居て毎日沢山死んでいるんやから、これであの世があったら、ぎゅうぎゅうでかまいませんわ。(京都の方です)」

なので、お墓にすら興味のない方でした。




弔事の最後の一文は、本当に大きなメッセージです。


死んだ人があの世から、すごい力で、生きている人を護るのではなくて、生きている間の生き様こそが、永遠に消えることなく、遺族を(という言葉ですが、もっと広く多くの人をだと思います)護る。

あなたの生きざまは見事で、その生きざまがあなたの子供たちに永遠にしっかりと息づき、護っていきますよ。


なんと優しい。そして深みのあるメッセージなんでしょうか?
H先生が死んだらなんにもないとおっしゃっていた意味がここに繋がっているんだと思いました。

なんとなく期待しがちな「生きている間に良いことをすると天国に行ける」という自分の未来のことではなくて、自分の今の生き様が後世のひとたちを護る。愛するだれかの為に素敵な自分の生き様を残す。
ホント愛に溢れていますよね。

そして、それは母に向けられたものであると同時にあのときの私たちに向けられたものだと感じました。


今の生き様は自分の大切にしたい人たちを護れるのか?


このタイミングで、この弔辞を目にすることが出来たのも本当に意味があると思います。


今、目の前の損か得か?
ではなく、その選択は自分の生き方として恥ずかしいものではないのか?
自分の大切にしたい人たちを護れるような生き方なのか?


私は子供の頃からH先生と接し、そして仲人さんをしていただいたことで、季節ごとにご挨拶に行く機会が出来ました。

年齢は40歳以上離れていましたが、一緒に山に登ったり、ドライブをしたり、沢山の時間を過ごさせて頂きました。

今となると、そのひとつひとつの体験や、言葉が、自分の人生を作ってきたと思うし、まさに永遠に私のなかに息づいていると感じています。


生きる意味、働く意味。
全ては自分の生き方。そして、自分が遺せる何よりも大きく大切なものだと思います。


実家の仏壇以上に大事なものを頂いたと思います。
断捨離好きの妹に感謝です。


母と先生が亡くなられてから間もなく20年。
人生はアッという間です。


あれからの私の生き方は、
そして、今の私の毎日は、

この後、人を護る生きざまになっているのだろうか?

自筆で書かれていた弔辞は本当に達筆です。


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