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音楽/ライブで心が軽くなった話(礼賛「PEAKTIME」)

3人の巨人


私にとっての人生のイメージは、3人の巨人が天を支える姿。
「アトラス」で検索して、天を支える巨人の画像を見てみてほしい。
神話に出てくるアトラスという巨人は天を支える役目を与えられたが、辛くなってしまいなんとかしようとする話。
子供の頃アトラスの話を聞いて、教訓はなんだったのかよくわからなかったけど、1人じゃなくみんなでやればよかったのになと思っていた。
天が私にとっての人生で、3人の巨人はそれぞれ、仕事とパートナーと趣味を司り、一生懸命支えている。

仕事もパートナーも趣味も全部大事。
人生を充実させるには欠かせない。
でも仕事を司る巨人だけに人生を任せて、仕事一筋になってしまうと、仕事がうまくいかなった途端に支えきれなくなる。
辛くなってしまうし、破綻してしまうかもしれない。
パートナーだけ、趣味だけでも同様だ。
やっぱり3人くらいいないと、急に1人調子が悪くなった時に対応できない気がしていて、私の人生は巨人3人がかりで支えてもらっている。

そしてその3人の中でも趣味の巨人だけがちょっと特殊。
仕事は意図せずに入ってくることが往々にしてあるし、パートナーは私が管理するものでは決してない。
でも趣味だけは自分から手を伸ばさないと決して入ってこないので手がかかる。
だから意識して積極的に先々の予定として入れるようにしている。
趣味というと何かこだわりを待って続けるような高尚な物でないといけない気がしてくるが、実際はそんなたいそうなものじゃなくていい。

劇団☆新感線の舞台を見に行く。
会社に行く時にお気に入りのパン屋さんのブラウニーを買う。
録画したドラマを見る。
貰った「ほりにし」のスパイスでチキンソテーを作る。

そんなどうでもよさそうなことも気持ち次第で楽しみの一つになる。
大小様々な楽しみをわざわざ予定として組み込むことで、たいしたことのない1日を特別な1日として仕立て上げる。
私がセブンルールに取り上げられたら最初に、いや、あえて最後のルールにするやつだ。
もう終わっちゃったけど。
そしてこの間行われた礼賛のライブは、その中でも特注の楽しみとしてカレンダーに載せていた。


新宿と書いて苦手と読む

15時くらいの新宿駅近辺。

「カバンの中身見せてもらってもいいですか?」

お昼は韓国料理を一緒に食べた。
先に帰宅するパートナーを見送って、横断歩道を渡ると、警察官に声をかけられた。
持ち物検査をしているらしい。
パートナーを見送ってからたった30秒くらい。
ただ単に目についただけなのか、自覚がないだけで怪しい格好をしていたのかしら。
もちろんやましいことは何にもないので、素直に応じるし、カバンを広げるどころか、カバンごと渡してあげた。
彼はなぜか少しびっくりした様子で、中身を一通り見た後に一言。

「十徳ナイフとか入ってないですよね」

「一通り見て、入っていないことはわかっているはずでは……。悪魔の証明?」
なんて考えてしまい、びっくりしてる警察官の姿が印象的だったこともあり、ちょっと笑ってしまった。

16時半くらい。
ライブハウスに向かう前にお手洗いに寄った。
お手洗いには列ができていて、列の先には便座に座った若者と、心配そうに見つめる友人のような2人。
便座に座っている若者は両肘を膝につけて、うなだれていた。
誰がどう見ても酒に呑まれて意識がない。
ラウンドとラウンドの間にセコンドに話しかけられているボクサーみたいだなと思ったと同時に、絶対にこのあとタオル投げられるやつだなって思った。完全に燃え尽きちまっていた。

警察官に声をかけられ、グロッキーな若者を見かけた。
新宿で起こることはだいたい悪いことというイメージがあり、今日も例に漏れず、これからいいことは何も起こらないのではないかと思ってしまった。

頂上

会場で私の前に立っていた女の子はインスタのストーリーに、「えぐちかい」って投稿していた。
覗き見してしまいすみません、つい目に入ってしまいました。
私は、そんなえぐちかい距離で、礼賛のライブを堪能することができて、大いにくらってしまった。

一曲目の終わり、CLR(vo/ラランド・サーヤ)さんが水を飲み、口元を拭っている姿に思わず見惚れてしまった。
眼差しは強い意志そのものが形になったようで、口元を拭う仕草は色気と余裕を感じさせた。
このアンバランスさがオーラとして滲み出ていて、どうしようもなくかっこよかった。
これから先、礼賛の曲を聴くときはこの瞬間を思い出すと思う。

芸人でも役者でもなく、ラッパーとして放つ彼女の言葉には決意もあれば、ユーモアもあるし、中にはコンプレックスのようなものもあった。
でも決して自分を大きく強く見せたりしようとはしない、一切のボースティングやフレックスのない言葉だった。
何度芸人の音楽と揶揄されても、楽曲やライブでかましていく姿はラッパー以外の何者でもなく、HIPHOPそのものを表現していると思う。
その等身大そのものの姿、堂々としたアーティストとしての在り方がカッコいいし、憧れる。


てっぺん過ぎればただの生活

人生を3人の巨人で支えていることに後ろめたさというか、情けなさを感じることがある。
情熱をもって一つのことに打ち込んでいる人、夢のために人生を捧げている人たちにすごく憧れる。
いろんな保険をかけてぜえぜえ言いながら毎日を乗り切っていることが、カッコ悪く惨めに思えてくる。

私は彼女がMCで語った言葉。
礼賛の活動を楽しみに、なんてことない生活を頑張っている人の声を聞くことがあって、同じように自分たちもライブや新曲などの目標に頑張っている。
ピークを過ぎると後にはただの生活しか残っていなくて、新しいピークに向けて乗り越えていくしかない。
「生活」という曲がある。
なりたかった自分と現実。
手に入れても満たされない感覚。
いろんなギャップに向き合いながら、なんとか折り合いをつけようとする苦悩を歌っている。
等身大の姿と言葉がとても温かく、惨めな自分を少しだけ忘れられた気がして、気が楽になった。

ピークを目指して生活を頑張っている、次のピークを楽しみにしててほしいと語ったライブの直後に次のワンマンツアーの発表をするあたり流石。
そしてトー横は磁場が乱れていると話していて、普段知的でセンスを感じるのにたまにスピってる一面を出してくるところがめちゃくちゃ面白い。

素敵なライブを見れたから新宿を好きになるとかは全くなかったけど、次のピークを目指してbadに入らず頑張ろうと素直に思える時間だった。

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