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不妊治療/不良品のわたしから

カレンダーを見返すと、その日は去年の10月1日だった。ビルの合間から灰色の空が覗き、ビル風が強かったのをはっきりと覚えている。この日の記憶には色が無く味気のない白黒で再生されるのだけれど、それはこの記憶が楽観的なわたしの数少ない後悔の一つだからかもしれない。

この日はパートナーとともにオフィス街にある不妊治療専門の病院を訪れた。1年ほど前からタイミングを見ながら妊活を行なってきたが、なかなか結果が出なかったために無料のカウンセリングを受けに行ったのだ。私は事前に提出していた精液検査の結果を、妻は血液検査を行った。
私は学生時代と比べて体力の衰えは感じるもの、幸いにも日々の生活で不自由を感じることはない。カウンセリングも毎年の健康診断と同じように、現状維持を確認しに行くようなもの。帰りにスタバで新作を飲むかお気に入りのホワイトモカを飲むか。検査結果よりもそっちのほうが重要だった。
その病院はオフィス街の大きなビルの上層にあり、事前にQRコードを発行しいくつかのゲートとエレベーターを経由する道のりだった。新しい命を作るための妊活という有機的な行為と、多くのお金とスーツの大人が行き交う無情なこの街とのアンバランスさ。その日は自分がなんのために、何をしにいくのかということが頭の中では理解できていたが、なかなか実感できずふわふわと心の置き所が定まらなかった。

パートナーの血液検査の結果が出るまで数時間空くために、近くでチェーンのカフェでパスタを食べていた。本当はレストランに入ろうと思っていたのだけれど、想像以上に込んでいて断念してしまった。なかなか空いているお店が見つからず時間がかかってしまった。
詳細はもう忘れてしまったが、その間に喧嘩してしまったのを覚えている。病院で受付をしたころは一日が始まったばかりという頃だったが、結果を聴きに診察室に入るころには夕方に差し掛かっていた。その頃には結果がどうなっているかというよりも、いつ帰れるのかとソワソワしていた。想像よりも長い予定となっていて、休日がどんどん消費されていくことに焦っていた。

担当の先生は中年と言うには年を取っていて、おじいちゃんというにはちょっと若いような男性だった。淡々とした語り口でてきぱきと説明をしていく姿を見て、私たちのような患者を多く対応していて大変そうだなと思った。そして同時に、私たちは所詮、名もない患者のうちの一組と捉えていた。one of themのラベルを頭の中で貼った姿が見えて、この病院には通わないと決めた。
今回私たちが行った精子検査と言うのが「SMAS」というもの。精子の濃度と運動率を自動で計測する装置。男性から吐き出された精液の中に十分な精子がいて、その精子が子宮へ入り卵子にたどり着けるだけの運動能力を持っているかを調べるための機械だ。
検査の結果を聞く前に一般的な男性の数値と精子を顕微鏡で撮影した映像を見せてもらった。数値自体はふーんといった感じでただの数字と言う印象だったが、精子の映像は違っていた。整然とした網目の中を数え切れないほどのオタマジャクシが縦横無尽に泳いでいる。早いものもあればゆっくりと動くものもあり、まっすぐ進むと思っていた想像と反してジグザグに進んでいたのにはちょっと驚いた。

映像が切り替わり、私の精子の映像がモニターに映し出された。その映像を見た瞬間に大きな声をあげて笑ってしまった。何もない。綺麗にひかれたグリッド線には全くと言っていいほど精子が映っていなかった。検査のために提出した精子は少なくとも納豆のたれくらいの量だったり、ペットボトルキャップくらいは絶対にあったはず。それなのに画面には何も映っていない。直前に見せてもらった精子の映像が何だったのかというくらいにスカスカで、フリがとても効いていて思わず笑ってしまったのだ。笑っているうちに病院で大声で笑っている自分自身や、私を見つめるお医者さんやパートナーの様子が深刻そうなこともおかしくなってしまって、笑う時間が長引いてしまった。
様子が落ち着いたのを見て、お医者さんが説明をしてくれた。精液の量は問題ないが、濃度がWHO基準値下限の10分の1ほどで運動率が3分の1以下となる。俗にいう男性不妊。静脈瘤の除去などで改善される場合もあれば、遺伝子異常や原因不明の為に治療が難しい場合もあるとの事だった。
そういった説明を聞いているうちに胸からこみあげてくるものを抑えきれずに、涙を目の中に留めておくことが出来なくなっていた。精子の映っていないモニター。基準値を大幅に下回っている数値。先生の口から出てくる無機質な説明。

「わたしは不良品なんだ。」

この言葉がわたしを埋め尽くして、涙としてあふれだして来ていた。五感で感じる全ての情報が、私が不良品であると告げていた。両親は私を自然妊娠で産んでくれた。健康な体で産んでもらって、大きなケガや病気を経験することなく人生を過ごしてきた。性欲だって人並みにあるし、男性機能に不安を感じたことなんて1度もない。どこにでもいるような人間の代表で、貼られたラベル通りのone of themであると信じて疑っていなかった。
それなのにたった1つの検査で今まで当たり前だと思っていたものが当たり前ではなく、自分には生まれながらに備わっていないものだと気づかされてしまった。実際に起こったら、きっと全然違うと思うけれど、その時のわたしは事故にあって足が動かせなくなった時もこんなことを思うと本気で思っていた。
そしてパートナーには申し訳なくて、情けなくて仕方がなかった。私が普通の人間だったらこんな場所には今日いなくて、家でミニオンズを見ながらご飯を食べて、子供にスチュアートとケビンとボブの違いを教えていたかもしれない。公園で日向ぼっこをしながらいたかもしれない。そもそもこれからだって子供が出来るかもわからない。それが全部自分のせいで起こっている。「無力感」と言う言葉の意味を始めてきちんと理解できた気がした。

その後より正確な精液検査を受け、精子の数や運動量だけではなくて形質(精子の形)に異常が見られた。10カ月ほどたった今は別の不妊を扱っている病院に通いながら、顕微授精による妊娠を目指している。男性不妊については遺伝子検査や静脈瘤の検査を行ったが異常はなかったため、ビタミン剤やカルナクリンを用いた投薬で治療を続けている。
私の心を埋めていた無力感、不良品だというレッテルはその時ほどの存在感はなくしている。でも湯船につかっている時、乗り換えをするために電車を降りた時、そんな思い出したくても思い出せないようなどうでもいい時にまだそこにあると実感する瞬間がある。これは子供の頃に死という概念を知って、布団の中でただただおびえていた時の震えに近いものがある。それは成長と共に割り切れるようになっていったけれど、この無力感は同じように割り切れるものなのだろうか。これはこの間100円ショップで見かけた砂時計と同じだ。いつ砂が落ちきるかも書いていないし、置いてあるものの3分の2は砂が落ちずに止まってしまっていた。
最近までは無事に子供が生まれたら解放されるかもしれないと思ったが、きっとそんなことはないと思い直してしまった。だって子供が何かの病気にかかったら、絶対自分の精子のせいだと思ってしまうから。

このnoteを書くにあたって参考のために「男性不妊」と検索してどんな記事があるのかを見てみようと思った。そうすると約2000件の記事がヒットしたけれど、女性が不妊治療を行うにあたっての体験談が多いようだった。男性不妊の認知が低いことは治療の中で聞いていたけれど、noteの中でも感じるとは思っていなかった。
こんなわたしは自分のことを大した人間だなんて全く思っていないので、自分の文章を通して何かを知らしめたいとか啓蒙したいとか、そんな大層なことは考えていない。でもこの文章に関してだけは1つだけ知っておいてほしいというか、お願いしたいことがあって書き始めた。
それは子供と過ごす未来を選ぶ可能性が1%でもあるのなら、今すぐに不妊検査を受けてほしいということ。今パートナーがいるとかいないとか、男性だからとかそんなことは関係ない。もちろん子供が出来る出来ないという目線もすごく大事だけれど、自分が信じていた自分はいないというショックはかなり心を揺さぶるから。それが自分の大切な人との子供を考えているのであればなおさら。
普段はもったいなくて使う気になれない言葉だから口には出さないけれど、顔も名前も知らないあなたにならば遠慮なく使えるなと思った。
不良品のわたしから、一生に一度のお願いです。

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