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団地は曲がり角が多い

不妊治療のために通い始めてそろそろ一年が経つというのに、駅から病院での道がいまだに覚えられない。
二月に一回という少ないペースで通っているのもあるけれど流石にひどい。方向音痴の自覚はあるけれど、通院のたびにちょっとへこんでしまう。
駅から歩いて15分とそこそこ距離があるのに加えて、駅と病院の間にある団地が私のコンパスを狂わせる。病院へ向かうには必ずその団地を通らなくてはいけないのだけれど、一つの町といってもいいくらい大きく、たくさんの分かれ道が現れる。
可能な限り方向転換を避けて歩きたい私にとって、とても相性が悪い。
私のパートナーは頭の中の地図がかなり正確。知らないところに行っても帰り道をしっかり覚えていたりしているので、パートナーとの帰り道は人として立つステージの違いを見せつけられるランウェイでもあったりする。

「辛いと思うけど二人で暗くなりすぎないように、難しいかもしれないけれど切り替えていきましょう。」
お医者さんからのこの言葉を聞いた時に心の中の知らない扉が勝手に開き、入っていた感情が一気に流れ出してきて、涙を堪えるのに必死だった。受精卵を戻して七週間が経った後に心拍が確認できず、流産となってしまってから一ヶ月ほど経った。その時の悲しみは自分の中では消化し切っていたつもりだった。
自分が男性としての性能が圧倒的に劣っていること。
妊娠から出産の過程において、採精を終えた男性にできることは何もないということ。
ショックから早く抜け出せたのはそんな無力で低能な自分には悲しむ資格がないと思っていたからだった。それなのに優しい言葉をかけられて悲しむ権利が与えられたように感じてしまった。

辛うじて泣かなくて済んだのだけれど、その後のことはあまり覚えていなくて、気がついたらショッピングモールで頼まれた買い物をしていた。
方向音痴の原因として、ぼーっと歩いているから景色を覚えられないのだとよく言われる。私からすると行きの景色と帰りの景色は同じ道を歩いていても全く違う。進む方向が違えば見える景色が変わってくるに決まっている。他の人は背中に目がついているのかと、子供じみた反論をしないように我慢している。

私は自分のことを客観視できている方ではないかと思っていたけれど、そんなことはないのかもしれない。
同じ道でも行き帰りで見える景色が変わるのと同じで、同じ気持ちでも解釈によってリアクションが変わってくる。
それならば可能な限り直進していきたいものだけれど、団地の曲がり角のように心は複雑で、まだまだキョロキョロしながら歩かなくてはいけない。

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