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桜のようには消えない【SS】

 春の柔らかい陽射しが、別れの日に優しかった。

 一通り名残惜しんで、母親が先に帰るのを見送りがてら学校の外に出る。雲1つない快晴に映える桜。絶好の卒業式日和だ。うちの高校の卒業式は、他の学校よりも遅いからもう入学に近い時期だ。

 卒業式まで学校に来ていたわけでもなく休みが多かったから、何だか変な気持ち。明日からはもう、ここには来ない。あんなに毎朝起きるのが大変で、行きたくない日だってあったのにさみしいなんて不思議だ。

 楽しかったなあ、高校生活。たぶん、無敵だった。大げさに言えば世界の中心はいつだって自分たちで、いつだってきらきらしていた。それは宝石のようなたいそうな輝きじゃなくて、土に埋もれたガラスの欠片に太陽の光が当たったくらいの小さな輝き。

 十分だった。たくさん苦しくて、たくさん息が詰まって、最高に楽しくて、最高に嬉しい日々だった。

 これからも世界は続いていくのに、何だか世界が一段落してしまったみたいな感じがする。少し窮屈なブレザーの裾をきゅっとつかんで、校舎を眺めた。ここから離れるのが名残惜しいのなんて、きっと最初で最後だ。

「あ、すずいた。お母さんはもう帰っちゃった?」
「うん。しーちゃんのとこは、パパと会えた?」

 自動ドアを抜けて校舎を出て来たしーちゃんに手を振って近寄る。

「何とか一瞬ね。そこで写真撮ったら仕事行った。でね、みんなは親と帰るって」
「あはは、何となくそんな気がしてたけどいつも通りか」

 そのみんなとまだ一緒にいるつもりで母親に帰ってもらったわたしは小さく笑った。だね、としーちゃんも笑う。

 明日からはバラバラになるのに、いつもと変わらない友達。たぶん、大人になっても今みたいな感じなんだろうな。それが嬉しくて、ほんの少しだけ泣きたかった。

「また今度集まろうって話はしたから、あとで連絡は来ると思う」
「わかった、ありがとう」
「で、鈴はあたしとご飯でも食べて帰らない?」
「食べて帰る!」

 即答すれば、しーちゃんは嬉しそうに「そう言ってくれると思ってたけど」と鼻を掻いた。

「どこ行きたい?」
「うーん、駅前とか。わたし、パフェ食べたいかも」
「ファミレスかぁ。悪くないけど、ちょっと特別感出したい。お好み焼き……って気分ではないか」

 うん、今はちょっと違う。答えなくとも、わたしの表情を読み取ってくれたしーちゃん。

 特別感があって、いつもは行かないけど今日みたいな日なら入ってみようと思える場所。閃いて、しーちゃんの肩を叩く。
 
「お金出せるなら、チーズのお店行こうよ! ラクレットチーズをこれでもかってかけてくれるとこ見つけたの。いつかみんな誘って行きたいと思ってたけど、卒業しちゃった」
「いいけど、鈴ご所望のパフェは?」
「何かしら甘いものありそうなところだから、デザート食べられたらどこでも満足」

 いいねと賛同してくれたしーちゃんを連れて、テレビで見たお店へと向かった。

 いつもの帰り道をちょっとそれて、初めての道。スマホでマップを確認しながらたどり着いたお店は、駅からほど近くにあった。けれども、一度も通ったことがなかった。

 3年通ったというのに、このへんのことは何一つ知らないままで来なくなってしまう。

 ファミレスもカフェも散々行ったけど、こういう場所には来なかったな。ひとりで来る勇気もなくて、気軽に誘える値段でもなかった。高校生という肩書きがあるうちにしーちゃんと来れて良かった。

「良さげなとこじゃん。鈴、よく知ってたね」
「前にテレビで見たの」
「へー。普段じゃなくて今日来れて良かった。バイト代もあるし、特別な日だから好きに食べてやろうって気持ちになれるよ」

 メニューの値段をトントンと指差すしーちゃん。なるほど、普段は気にしてしまう値段も今日くらいはと思えるかもしれない。

 運ばれてきた水にさっそく口をつけた。爽やかさとわずかな酸味を感じつつ、メニューを眺める。お腹に入るかを悩んだものの、最終的には、おすすめのラクレットチーズかけ放題がついたハンバーグセットとデザートを選んだ。

 今日は特別な日だから、わたしも特別にお金をかけるとしよう。しーちゃんの頼むものが決まってから注文をした。

「しーちゃんとこうやっていると、いつもの放課後とあんま変わんないね」

 卒業式だったなんて思えないくらい普通の空気だ。心地良くて落ち着きすぎちゃう。

 さみしさの波も水面下で大人しくなっている。

「変わんないよ、明日からだって。学校は卒業したけど、会えばたぶん、こんなんだよ」
「卒業はやだな」
「……さみしい?」

 どう答えればいいだろう。さみしいと言うのは簡単で、けれどもなぜそう思うのかうまく言語化できない気がする。

「何か、みんなともっといたかったし、もっとこの辺を開拓したかったし……よくわかんないけど、さみしいなって思う」
「それは良かったな」
「良かった?」
「良かった良かった。あたしは嬉しい」

 しみじみと、しーちゃんが言った。嬉しそうというよりも、にやにやしている。

「鈴、入学してから、しばらくはぜんっぜん心開いてくれてなくて、ひとりでもいいやって感じだったじゃん。そんな鈴がさみしいと思ってくれることが、あたしは嬉しい」
「……気づかれてたんだ」
「当然」

 恥ずかしさを冷ますように、再び水を飲む。しばらくの間わたしは、いつひとりになってもいいと気張っていた。仲良くなっても、どうせひとりになる可能性がある。最初から一定の距離を保とうとした。

 気づかれずにうまくやっていると思ってのにバレバレだったとは、むず痒くなる。

「2年になったあたりで、しーちゃんが“何をしても、嫌いになることはない”って言ってくれたの大きかった気がする。あれで心が開けたっていうか……」
「え、マジか。あたしそんなの言ったっけ」

 覚えてないな、としーちゃんが左上に視線を向ける。

 ドン引きすることはあっても、嫌いになることはない。その言葉が、とても心に響いたのだった。しーちゃんの言葉だから、嘘がないと思えた。

「しーちゃん、いいこと言ってたよ」

 おかげで、嫌われるのが怖い壁をなくしてしまえた。

 教室でお昼ご飯を食べながらの何気ない会話だったと思う。思い出すと、波が押し寄せてきた。息を吐いて、どうにか沈める。

 どうか、泣きたくはない。

 料理が運ばれてきて、2人とも感動の声を上げた。チーズに埋もれて見えなくなったハンバーグを写真に収めて、しーちゃんにもスマホのカメラを向ける。大事な思い出を残しておこう。

 お返しとばかりに、しーちゃんからも撮られたので思い切り笑顔でピースしてみた。

「ずっと同じ場所にいたら、たぶんダレるし飽きるし、ありがたみがなくなっちゃうんだよ。終わりはさみしいこともあるけど、でも、そのおかげで鈴にとってあたしたちは特別なんだなって思える。あたしにとっても、鈴は特別だし」

 美味しそうな湯気が目に沁みて痛い。しーちゃんの柔らかい手のひらが伸びてきて頭をなでた。

「今日まで、ありがとう」
「あたしこそ。これからもよろしくね。鈴、自分から誘えないとかって連絡しないのなしだよ」
「しーちゃんからしてくれたら大丈夫」

 目元を拭って、両手を合わせる。いただきますの声がしーちゃんと重なった。

「うわっ、おいしい〜」
「ほんと、めちゃめちゃおいしい。鈴、今度みんなも連れて来ようよ。ちゃんと誘って。あたしは行くから」
「いいよ。今送っとく」

 テーブルに置いたスマホをひっくり返して、みんなにお誘いを送る。すぐについた既読は、目の前にいるしーちゃん。と、それから誰かひとりの分。

「あたしは返事しといた。誰かは見てんね」 
「絶対、他の人から返事遅いよね。みんな、わたしが送ったとき既読つけてから返事までが遅い」
「何か、鈴のときって会ったときに返事すればいいかってことが多いんだよ」
「卒業して会わないんだから返事くれなきゃ困るよ」

 もぐもぐとハンバーグを咀嚼しながら画面を見ていても返事がなくて、一旦画面を消した。

「そう簡単に変わんないよ。次会っても変わんないねってなるでしょ。見た目は変わってそうだけど」
「変わんないか。変わってても、中身はおんなじだもんね」

 すっかり波が引いて、おいしくご飯を噛み締められている。

「そうそう。そんなもんでしょ。わかんないけど」
「わからんのかーい」

 しーちゃんがふふふと笑う。何だその顔、かわいいな。わたしの頬も緩んでくる。

 世界は終わったようで、終わっていない。明日から変わるようで、変わらない。

 みんなと次に会える未来が、楽しみになってきた。

 

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