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いい男と意思決定

先日、大きな公園をブラブラしていたら、ある男の子を見かけました。歳の頃は小学校3〜4年でしょうか。彼は半ズボンのポケットをしきりにひっくり返して、「あの石、いい石だったんだけどなあ」と残念がっている姿を見かけました。何度も「いい石だったんだけどな、ポケットに入れてたらくずれちゃった。いい石だったんだけどなあ」と呟いていました。
それをみて、なんかいいなと思いました。
道端に転がっている石たち。なんの変哲もない、ただの石ころ。見る人から見たらそう見えるでしょう。でも彼はそのなかから「いい石だなあ」って思うものを見つけられたわけです。それを「いいなあ」って思ってポケットに入れる。素敵だから持って帰りたいと思うわけです。そして家に帰って「いい石だな」って眺める。
でも残念なことに、それは崩れてしまったようです。それをひどく残念がっていました。もうそれがそばにないことを悲しむ気持ちが滲み出ていました。
そういうこと全部ひっくるめていいなあと思ったんですよね。

この子、絶対いい男になる。

そう確信しました。

いい男と意思決定がどうつながるんだ?と思いますよね。
いい男って、絶対いい意思決定すると思うんです。
だっていい男って、いい意思決定を積み重ねてできあがると思いませんか?

人生にはいろいろなことが起きます。嬉しいことも悲しいことも腹たつことも笑。
そんなとき、どう行動するのか、どんな対応をするのか、そして自分のために毎日努力できるのか、自分を大事にできるのか。そこが問われる。それがめちゃくちゃな人はいい男になれない。あ、別に男だろうが女だろうがそんなカテゴリーはもう古いので、いい人って表現してもいいんだけど、それだと「人のよい人」とか「お人好し」ってとらえちゃうかもしれないので、あえて「いい男」で。でもお人好しっていいことですよね。人が悪いより断然いい。

でも何より大事なのは、他のものにそそぐ眼差しだと思います。
「いい石だったな」と残念がる少年は、間違いなく、ものごとに対する美しさとかかけがえのなさを見る目を持っている。たかが石ころのなかに、素敵なものを見つけられる。
これがその人の価値観であり、眼差しだと思うのです。それが大事。
そんな目をもっている男がヘンな意思決定するはずがない。いやたまにやらかしちゃうかもしれないけど、それでも、きっと大丈夫。そうした失敗も含めて、大事なことを自分のなかに蓄積していけるんじゃないかなって思ったりします。

顔でも容姿でも肩書きでもない、所有しているものでもない。
何かに注がれる眼差しの先にある「価値観」、それが「対象のなかにある美しさ、かけがえのなさ」を見出す。それを持っていることが一番大事なのだと思います。

「いい石だったな」の少年が大人になった時、どんな人になっているのでしょうか。会えないだろうけど、楽しみです。

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