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#14 在日と差別と歴史

こんにちワンダフル、青森移住民族マリエです。今回もディープなテーマ、今まで公には触れてきてなかったことを書きます。

「在日」って何だろう

「在日」って何かわかりますか。広義では「日本にいる外国人」のことを指しますが、多くの場合「在日韓国・朝鮮人」の略語として使われます
なぜ、私が「在日」について語ろうかと思ったかというと、私自身にもつながりがあるからです。

今、K-popや韓国コスメ、韓国グルメやファッション、美容など、若い世代にとって韓国は身近で友好な存在と認識してる人も多くいると思います。私も昔は東方神起が好き(ユノペン)で、韓国旅行に行ったり語学留学にいったり、韓国ドラマをみまくったりしてました。

ただ、政治的な話については、まだまだ知らないことが多くて。一部の人にとっては、韓国人が「憎悪」の対象になるんだってことを知ってから、在日に対して発信をすることがとても怖くなりました。

だけど、尊敬するフォトジャーナリストの安田菜津紀さんの発信から学ぶことが多く、私も自分の言葉で、この「在日」というキーワードを他人事ではなく自分事として向き合ってみたいと思いました。
(当時読んだ記事のリンクがみつからず、別の記事を貼付します🙏)

「ハーフ」という言葉に舞い上がる

私は、日本で生まれ育った日本人です。高校生時代のある日、家の郵便ポストに届いた封筒の宛名をみてびっくり。そこには、親の名前に似ているけど見たことのない漢字の羅列が。とっさのことで状況がわからず、家族に「なにコレ!?」と聞いたところ
「あんた知らんかったん?」
とみんなが口を揃えていう。え、なにを?

なんと、私の両親の一人は韓国籍らしい。
むしろ、なんで私以外の家族みんな知ってるの…(私は3兄弟の末っ子です)
家族たちは「ばあちゃんの喋り方聞いたらわかるやん!」とか言ったけど、関西弁とばあちゃん独特のイントネーションが韓国に起因するものだとは微塵も思ってなかった。

「じゃあ、マリエは韓国と日本のハーフなの?」
「ハーフ」という言葉にちょっとテンションが上がる。もう一人のおばあちゃんはドイツ人のクオーターなので、私は1/2韓国、1/16ドイツ、7/16くらいが日本なんだね!と妙にうれしい気持ちになった。

親から、昔あった差別の経験の話を聞いていたけど、時代が時代だし、なんたって東方神起だし(?)、私は韓国とのハーフであることをアイデンティティとして持つようになった。

私が黙るようになったワケ

そんなある時、学校か何かの機会で老人ホームのような場所にお邪魔することがあった。(どこだったか全然覚えてない)
そこでお話をしたおじいちゃんが戦争の話をはじめ、「韓国」というワードが出てきた。私はワクワクとうれしくなり、
「私、韓国と日本のハーフなんです!」と伝えた

そしたら、そのおじいちゃん、みるみる血相を変えて、
ものすごい形相で「でていけ!」と怒鳴った。

あまりの想定外の反応で私はびっくり(こんな出来事が、本当にあったのか自分の記憶が曖昧なほど薄れてしまった)

これを境に、私は安易に自分が韓国とのハーフであることを口外しないようにした。いつどこで、血縁を理由に人の怒りに触れるかわからない。
私の親は日本で生まれ、日本で育ち、韓国には一度も行ったことがなく、もちろん韓国語も喋れない。祖父母が韓国籍なので韓国籍になった。
日本で生まれ、日本で育ち、日本人と同じように仕事をし納税をする。それでも国籍が違うだけで、憎悪の対象になる現実をはじめて見知った

そもそもなぜ在日になったのか

在日について調べていたら、とても興味深いことに気づいた。
Wikipediaで「在日韓国・朝鮮人」のページをみると、歴史の項目に以下のような記載がある。

在日朝鮮・韓国人は日本統治時代(1910-1945年)に朝鮮から渡航してきた定住者、戦後に朝鮮半島に帰還したものの、経済も政治も悪い故郷よりも日本で生活する方が良いために再度密航してきた者[28]、戦前は日本に住んでいなかったが、済州島四・三事件(1948年)[29]、朝鮮戦争(1950-1953年)などから逃避するために密航した20万人~40万人に区分される

wikipedia

この文章をみる限り、在日朝鮮・韓国人は「自らの意思でやってきた」という受け取り方ができる。

一方で、以下のような記載も多く見受ける。

そして、日中戦争の泥沼化と太平洋戦争突入による労働力の不足を補うために1939年に「強制連行」がはじまり、多くの朝鮮人に有無を言わせず、60万人もの人びとを強制的に連行してきて、過酷な労働を強いたのです。化学兵器開発のための人体実験や元日本軍「慰安婦」の問題もこの頃のことです。

こうして、1945年の敗戦当時で230万人をこえる朝鮮人が日本にいました。戦後、日本政府は帰国費用や生活面での一切の手立てもおこないませんでした。このために、自費で多くの人が帰国しました。しかし、帰国費用のない人や自分で苦労して築いた財産の持ち出しの禁止、帰っても生活できないなどの理由から多くの人が残されました。そしてその結果、1947年頃に約53万人の人が日本に残りました。これらの人が在日1世です。

NPOヒューマンライツわかやま

上記は、「日本人によって連れてこられ(またはそれに準じた事情で)、帰ることができなくなった」という内容。このように、検索して出てくる情報によって、歴史の認識が大きく異なっている

歴史認識の功罪

日本で教育を受けると、日本は【被爆国】であり【敗戦国】であり、【戦争の被害者】であるような認識を持つ。戦時下における日本の【加害性】について、私たち日本人が学ぶ機会はほとんどない。

果たして、日本は戦争の被害者という側面しかなかった、というと答えは無論NO。

在日に関する史実についてはとても勉強になる動画があったので、ぜひ観てほしい。よく聞く意見に反論する内容ですごく参考になる。

わたしは歴史の授業が好きじゃなかったもんで、日本がアジアにおいて広く侵略をした歴史を大して知らない。それでも、学校で習った【韓国併合】とか【創氏改名】とか覚えやすい四字熟語はしっかり覚えてる。きっと多くの人が歴史の授業で通っているだろう。

韓国併合は、日本が36年間韓国を植民地にしたこと。創氏改名は、植民地化した韓国・朝鮮の人に日本風の名前を強制したこと
(ちょっと待って、Wikipediaで「創氏改名」を調べると、めちゃめちゃねじ曲がった表現になっている…ぜひ見てほしい…震える…)

調べれば調べるほど、日本の内側にある情報と、諸外国から見た日本に関する情報は、韓国・朝鮮にとどまらず多くの諸外国において非常に差があると感じる。

私のように日本で教育を受ける者は、自国の「戦争加害性」について知る由もない。しかし、このような加害性の黙殺こそが、国民を安心させ、政治情勢に無関心を導き、権力が戦争を正当化することにつながるのではないかと危惧してる。

自国の戦争加害と向きあうこと

わたしは歴史の専門家ではないから、一般的なニュースや記事でしか情報を得ていない。その中で、たしかラジオか何かで耳にしたドイツの歴史教育が正面から自国の戦争加害と向き合う内容だと知って、大変感銘を受けたことがある。

ナチス政権下でどのような残虐な犯罪がおこなわれたか、それが他国や自国にどのような影響を及ぼしたか、それらを隠さず子どもの頃からしっかりと向き合うことで「二度と同じ過ちをしない」という国の覚悟が受け取れる。
ドイツの街には、至るところに戦争の追悼碑や記念日があるという。戦争の記憶が、人々の内面だけではなく街の至るところに形として刻まれている。
日本は終戦記念日や原爆の日くらいしか戦争が話題にならないけど、戦争について考えるのに時期やタイミングは関係ないはずだ。

日本の戦争加害性について

日本の戦時下の加害性について、ぱっとネットで調べようと思ってもあんまり出てこない。日本は「敗戦国」とか「原爆を落とされた国」という被害者的なイメージを抱きがちだけど、実際にはあらゆるアジアの国へ侵攻し、マレーシアやシンガポール、フィリピン、インドネシアなど(たぶんもっとあるだろうけど)で残虐な侵略をしたことは事実なのに、私はそういったことをほとんど学んだ記憶がない。

大人になってから興味を持つようになったから知れただけで、そうじゃなければ私も日本を「戦争被害のかわいそうな国」とか思っていたかもしれない。ちゃうで〜。

憲法について学びを深めたい

今、わたしは趣味の延長で『憲法』から人間って何だろうと考える機会をつくりたいと思ってる。憲法は第二次世界大戦のあと、二度と同じような過ちを繰り返さないために制定された法規で、憲法を知ることで「権力者の暴走」の恐ろしさを学べると思う。

今回、わたしは「在日」という言葉を、自分の言葉で向き合うということに挑戦してみた。向き合うほどにもっと考えなきゃいけない課題がでてきて、「在日」だけでなく歴史認識やそれを取り巻く情報について、わたしたち一般の人がもっと能動的に動かなきゃ本当にどんどん社会がやばくなっていく気がする。

以前書いたこちらの記事のように、「政治に関心を持たせない国民づくり」に哀しいかな、現政権はなかなか成功してるように思う。

これがいよいよ本当におかしくなっちゃう前に、権力の暴走の恐ろしさを甘く見ず、つねに身を引き締めておきたいと思う。わたしにできることはわずかでも、「微力だけど無力じゃない」を肝に銘じて。


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