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こちらでは普段表には出さないニシキオリの“ダークサイド”を書き記しておこうと思う


こんにちは
裏の顔を滅多に人前に出さないニシキオリです

縁あってこちらに書き残しておこうと決めました

【注意】
物凄くややこしく、感受性豊かな人にとってはなかなかに精神的にくる長編内容な為、もしそれでも先が気になる様でしたら休み休みお目通し頂く事をオススメ致します

それではどうぞ


亡くなった父の事

24歳

大学院を中退し、ベンチャー企業に飛び込み、バリバリと都内の法人へ営業で飛び回っていた

とある駅のホームで電車の乗り換え待つ中で、次のアポイントの予定を確認中に携帯が鳴った

お客様からか?
お得意先からか?
それとも本部からの連絡か?

通知を見ると兄からだった

私たち家族は普段からお互い不干渉というか、お互いに「あいつなら大丈夫だろう」という謎の深い信頼関係ゆえに、まず電話なんてし合わない

ましてやこんな日中にだ
ただならぬ事態だとは察した

兄「親父が死んだらしい」

ここで、ふとあなたはこう思った事だろう
「らしい?」
なんで少し他人事なの?と

それは、私の母と父は私が4歳か5歳程の時に離別をしており、ずっと兄妹3人を母の手一つで育てられた為、また幼少期から父に会う事は滅多に無く、殆ど他人の様な存在になっていた事に起因する(この話はまた別で)

私『、、、そうか。何が原因?』
家庭環境からくるいまいち実感の湧かなさと、次のアポイントの事、電車の乗り換えが不得意な私にとっては乗換え先の電車の判別で頭が一杯で今まで感じた事の無い複雑な心境を胸にふわついた気持ちで受話器に耳を当てていた

兄「ガンらしい。しかも末期だったって。さっき再婚相手から連絡が来た」

私『、、そうか、、、なんか複雑な気持ちだね。自分の父親なのにね。ありがと。お母さんには?』

兄「んー、別にわざわざ言う必要もないかもね」

私『それもそうか。』

兄「相続関係で今後弁護士から連絡があるかも知れないってさ」

私『わかった』

兄「死ぬなよ」

私『お互いにな』

近しい親族の死すらそもそも経験が無い上に、相続関連などさらにそうだ

ここで、私が父のガンについてあまり驚かなかったのには訳がある

実は、大学時代のサークルの旅行先が私の生まれた熱海だった時があり、その際に熱海の近場に住む父に連絡を取って夜にこっそり抜け出して父親と会っていたり、個人的に何度かやり取りはしていた為、近況はザックリとだが知っている方だった

しかも、今では何の縁だったかは忘れたが、父が亡くなる半年程前に千葉にある父方の本家の葬式に出席する事があり、そこで嬉々として久しぶりに対面した父の顔が土色に変色していた事、そしてガンを患っていて、既に末期、余命は半年という事は聞いていたのだ

さらに父の亡くなる数日前、実は休みの日に父と会う約束をしており、その当日、埼玉から静岡へ電車を乗り継いでいる途中で「すまない、やはり体調が崩れた。悪いが引き返してくれ」とメールでだが何やら圧の強い、ただならぬ雰囲気の父から連絡があり、約束が流れた事があった

この時無理矢理にでも会っておくべきだったかと今でも思う時がある

その数日後に兄からの電話で、なんとなくは想像は出来ていたから、さほど驚きではなかったのだと思う

それからは、遠方とのあまりの怒涛のやり取り、未経験の手続き、イレギュラーが噴出の嵐でイマイチ記憶は曖昧だが、薄れて消えないうちにここに記しておきたいと思う


相続で見えたあるもの

ここからは本当にしんどかった
思い出しては今でも憂鬱な気持ちが蘇る

楽な道はいくらでもあったが、周りからは何度も説得もされたが、自分には譲れないものがあった

兄から父の死の連絡が来てから3ヶ月程した頃だろうか
とある分厚い封筒に入った何やら厳密な書類一式が届く

“訴状”だった

訳がわからなかった
何よりもその内容うんぬん、文面がやたらと攻撃的であり、より精神を削る言葉使い

仕事終わりで疲れていたのか震える手でよく読むと、何やら父の負っていた借金の返済への訴訟内容だ

額が額だけに流石に尻込みしたが、相続対象である兄妹達にも同じ書面は届いており、情報を共有しあい乗り越える他無かった

そもそも、父の死亡によりプラスマイナスあれども相続権はまず再婚相手に行ったようで、プラスはどうにかしたのだろう、やり方はいくらでもあったのだろう、再婚相手はマイナスだけ相続放棄により、次の相続権を有する我々に流れて来たようだ

ここで、気の滅入る程の書面を読み込み、ある事に気がつく

私を含む3人兄妹(兄、私、妹)の他にもう一人腹違いの兄妹がいる

再婚相手と思っていた相手は再々婚相手であり、その前の再婚相手との間にもう一人子供がおり、その名前が我々兄妹とは別で並んでいたのだ

流石にこれには笑った
兄妹中で笑った
妹に『弟がいたんだな!良かったな!」なんて最後の最後にとんでもないサプライズを残してくれた父には、このとんでも無く暗い雰囲気の中で一筋の笑いを提供してくれた事に感謝が芽生えた事を覚えている

しかし内容が内容だ
笑ってはいられない

何やら父と母の離別、そして我々家族がそれぞれ既に全国各地の別の地に住んでいるゆえに相続の手続き連絡が滞り、先にこの訴訟の進行が先行したようで、長い書面の最後の最後に相続放棄の手続きが未完了で行き違いでの通達だったら、、と謝文が添えられていた事で理解した

父の記憶すら無い妹、借金だけなら勿論放棄の兄、もう一人の腹違いの兄妹は勿論放棄、打つ手は明白だ

しかしだ

ある一つの事が頭をよぎった
もしこのまま私までも相続を放棄した場合どうなる?

その考えすら無かったようで、兄妹達はポカンとしていたが、私は知りたかった


ここからが真の沼

この些細な底知れぬ興味で各方面を紐解いて行くと、弁護士をはじめ、訴訟原告、存命な父方の祖母とその後見人、後で登場してくるある人物、そしてもう一人のとある人物を巻き込んだとてつもないややこしい話になるとはこの時は思いもしなかった

話はこうだ
私を含め相続対象全員が放棄した場合、父の借金の請求が保証人である父方の祖母、そしてもう一人の保証人である祖母の親戚に行くようだ

ここで引っ掛かったのが、当時の数年前から認知症を患っていて進行中の父方祖母に請求が行く場合、どうなるのか
後見人が出てきた時点で察しはしていたが、どうやら再々婚相手は祖母の面倒すらも放棄した様子

その真相解明の為、仕事の休みを調節し、静岡の後見人の先生、弁護士の先生、訴訟元の担当弁護士各者を交えて話を進める為、休みの度に何度も何度も車で静岡へ向かっていた事を思い出す(ナビが無かった為、スマホのGoogleナビを頼りに進んで富士山の麓の細い一本道の林道を深夜に通された事、結局その翌日は不眠で職場へ向かって顔色の悪さを社員こら心配された事は今では良い思い出)

仕事よりも精神的に削られるこのやり取りの方が、疲れは酷く、休みなのに休めない様な最悪な循環に陥っていたのは言うまでもない

必死だったのだ

先生方に聞くと
対象者全員相続放棄

訴訟請求は祖母(後見人の先生)と祖母の親戚へ

祖母に支払い能力は無い為破産手続き、祖母の親戚も高齢と重い持病があるようで支払い能力が無く破産手続き

祖母は私の幼い頃に亡くなり一人で暮らしていた祖父が残した熱海の家とその土地と家族の思い出を自らの判断とは無関係に失い、また祖母の親戚には多大な迷惑をかける

訴訟元担当者曰く、どうやら父の借金は父の弟(私のおじにあたり未だ行方不明)の借金の肩代わりの様子

こんな感じだ

弁護士をはじめ、各者相続放棄を私に強く強く勧めた
理由は明白だ
誰にとっても明白だ

でもだ

私だけ引っかかっていた
何せ、兄妹で私だけ何の縁か熱海で産まれていたのだ(兄は東京、妹は岩手)
幼少期の記憶では熱海の家、祖父、祖母、飼っていた白いマルチーズ(ロンという名前)は鮮明に覚えているくらいだ

詳細の流れを聞いて、疲れて鈍る元から足りない頭ながら自分なりに懸命に整理すると、相続放棄=私の産まれ故郷の思い出を丸ごと失う事、祖母が悲しむ事、祖母の親戚に迷惑をかける事は理解出来た

当時、ある程度何不自由無く生活出来る程の給料は頂いており、そこから大学の奨学金の返済も滞りなく行い、たまたま物欲が薄いもので、多少なりとも支払い能力はあった。

今までより無駄な出費を抑えて、返済に可能な限り捻出すれば良い、ならば、支払えるうちは支払いたい、やってそれでもダメなら仕方がないが、出来るのに、自分の判断ひとつで守れるその可能性を自ら潰したくは無い、と思い私はその借金を相続する事を悩んで決めた

家族からは猛反対
バカ呼ばわり
弁護士からもやめた方がいい
後見人からも
訴訟元からもだ
そりゃそうだ

わかってる
そんな事きっと誰よりもわかってて、誰よりもこの決断はバカだとは思ってる

でもさ、結局は皆他人事よ
他人ならそうなるだろうよ
それは仕方がない事

でもね、私は他人じゃない
当人だ

何よりも、綺麗事かも知れないが祖母が己の判断無くして家族の思い出を無くしてしまう事が何よりも悲しかった、心が痛かった

ならば出来る事をやろう
やってダメなら仕方がない
でもやらずして逃げたくはない
守れるものがあるなら守りたい

それだけだった


難航する手続き

誰もが予想しなかった決断

訴訟元すら誤算だったようで、相続からの借金の肩代わり手続きにはまた時間が要した

ここで、とある人物の登場で話がまたややこしくなる

私が借金を相続した事により、熱海の家を守れるのはいいが、その土地と家が借金の担保にもなっているようで、と訴訟元の金融機関と祖母の後見人から話があった

聞いてみると
この先、祖母が亡くなった場合の話だが
要するにこうだ

祖母亡くなる

相続発生

父の弟に相続権発生

行方不明、音信不通故に手続き滞る

最悪、熱海の家と土地失う

という最悪のシナリオ

なぜか?
こういう事らしい
熱海の家と土地は私の父と祖母が半々で所有していたらしく、私が相続したのは父の分
しかし、祖母が亡くなった場合、その相続権はまず父の弟に行き、そこで手続きが滞った場合、不履行により担保となる家と土地の所有権を失うとの事

なるほどなと

ならばどうしたら?
話はこうだ
祖母が存命のうちに手遅れにならないうちに祖母の所有分を私が買取り、この先祖母が亡くなったとしても相続の発生で行方不明のおじを挟むリスクが無くなるという訳だ

せっかく決心して守れている家と土地をそんなあやふやなリスクで失う訳にはいかない
買取の手続きを後見人の先生と進めた

しかしだ、いきなりそんな事を言っても借金返済でただでさえ正にカツカツな収支の中、一括で買い取れる程のお金なんてありゃしない

そこで借金の肩代わり手続きを進める中で、先方の金融機関にも相談した

ここで面白いのはそもそもの借入先の金融機関というのが熱海の地元の農協という所がなんとも(私が熱海で史上第一号の新規就農者でこの金融機関に後々お世話になるのは後の話)

この話に関しては先方も理解しており、祖母所有分の買取の為の新たな借入れ、そして本命の借金返済との統合を進めた

その額、総額約800万円
自分で借りている奨学金を含めたら借金は1000万円を超えてしまった

20台半ばにして借金1000万円プレイヤーになってしまった

その見たことも無いあまりの額の大きさに時々潰されそうにもなる

でも後悔は無い
自分で決めたのだから

きっと熱海の家の近くに眠る祖父も、祖母も、そして父も、自分の子孫が自分達の借金で苦しむ姿など見たくは無いはずなんだ

そんな事、じいちゃんもばあちゃんも、親父の誰もが望んでないはずだしね

それで諦めなきゃならない私の可能性はあってはならないと思う

だから私は、それでも自分の可能性は自分で切り開きたいと思う

胸張って先祖達に『俺は負けなかったよ』とあの世で伝えたいしさ


最後に

じいちゃん、俺、頑張れてるかな

ばあちゃん、なかなか隣町の養護施設まで顔見せに行けなくてごめんね、行ったら行ったで俺泣いちゃってさぁ、ばあちゃん面会しても目も合わせてくれなくて目の前の俺を認識すら出来てない程に認知症が進行しててさぁ、あれは孫にはキツイぜ、、、面影がそのままなだけにくるものがあるよ、、、たまには顔見せに行くから待っててね

親父、まだ納骨もされてないみたいだけどどうなってんだ?再々婚相手もずっとあれから連絡つかないしよ、どーせニヤニヤしながらも見守ってくれてんだろ?わかってるよ、一番兄妹の中であんたに顔も性格も似てんのは俺だからな、知ってんだ

この先どうなるかはわからないよ
熱海の家を守れないかも知れないよ
でも、やるだけやって後悔無いよう頑張るからさ、応援しててくれよ

俺は俺の人生があるからさ、背負った責任の重さもあるけどさ、たまに倒れそうになるけどさ、嫌になる時もそりゃあるけどさ、後悔はしてないんだ
今のところ守れるものは守れてるからよ
そこは胸を張れて生きてるよ

もしこの先ダメだったら盛大に笑ってくれよ

無理だ無謀だと散々言われた選挙にも20代で出馬したしさ

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借金のせいで無理だと言われた、産まれた地である熱海にUターンして、熱海市史上第一号の新規認定就農者にもなれたしさ

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未だに周りから無理だと言われる国産の無農薬レモンの栽培も出来てるしさ

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ただ、売り上げのほとんど全てが返済に回ってしまって生活自体は正にギリギリなんだけどさ

負った責任と夢のバランスは非常にシビアだよ

でも、今のところ背負った借金の重さは、俺のやりたい事への障壁にはなり得てないよ、壁でも乗り越えられる壁だったよ

だから安心して見ていて欲しい
これからも借金を理由にして俺は自分の人生からは逃げないし、重くてもキツくても、たまには泣いても、たまにはしょげても、それでも俺は前に進むよ

もしこの先完済出来たら、そん時は褒めてくれよ

俺、頑張るからさ^ - ^

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