これから正しさの話をしよう
誰かが勝てば誰かが負けて。
誰かが豊かになれば誰かが貧しくなる。
これまでの常識とはかけ離れた異端な方法で結果を残せば「イノベーション」と称賛されて結果が悪ければ「おかしい奴」と罵られる。
「これが正しいんだ!」
と世間は押し付けてくる。
生まれて、近くの幼稚園に入って小学校では水泳と英語を習って中学校では部活と勉強に励んで進学校に進んで恋して有名大学に入って大手企業に就職して年収1000万越えて結婚して子供が産まれて英才教育をして定年になって貯金でゆっくりと老後を過ごして安らかに眠る。
だいぶディテール省いたけどいかにも「正しそう」な一生。
こんな「正しそうな」人生を否定できるほどの人間はそういない。
次はSNS。
ラブラブな恋人との写真、友達と楽しそうに過ごす姿、綺麗な景色。
いかにも「映える」。
そもそもこんな文章を書いてSNSにあげることは模範的ではないのかもしれない。いや、間違いなく模範的ではない。
大学生なのに意味不明な長文を投稿してるアカウントなんて正直フォローしたくない。圧倒的多数がそう思っているだろう。
面白いことや「映える」ものを投稿するのがSNSの「正しい」使い方。少なくとも中高大学生、特に女性は表面的には(映える投稿を載せるメインアカウント以外にも・・・)この「正しさ」に乗っかる。
例示した2つの「正しさ」
この「正しさ」は間違いなく自分以外の誰かが構成したモノ。
majorityが望んだものが「正しい」ということ。
きっとその正しいことがminorityを圧迫しているといることに気付かずに「正しさ」の範囲にいたいという集団心理が働いて「正しさ」は強化されてよりminorityは排斥される。
ニートより外資系に勤めるイケメンと結婚したいと思う女性は99%を越える。100%かもしれない。
そのニートがとてつもないイノベーションを起こして1兆円企業の社長になったら。それまで「おかしい」と思われていた人々が一気に「正しさ」を獲得したら。
イケメン外資系社員より元ニートと結婚したいと思う女性が増えるかもしれない。
元ニートという「正しくない」と思われていた人がまるでなかったことにされて一気に「正しく」なる。
こんなことはそうそう起こり得ないかもしれないが。
「結果を残したい」
組織(経営学部生的には組織を人の集まりと捉えるのは専門性に欠けているという批判を浴びそうだがここでは一般的な何かを成し遂げるための人の集まりという定義で。)や個人は何かをするときに普通は結果を残したいと思う。
そのためなら合法的なことならなんでもしたいと思う。
しかし、なかなかそうはいかない。
組織の中で結果を残すために他者を差別化するための何らかのアクションを起こすとする。
すると大半の場合は組織の構成員から大バッシングを食らう。
例え結果を残せていない組織でも、階層性がある組織において上の階層の者の考えは一般的に何があっても「正しい」とされることが多く、多くの構成員は不当に評価させることを嫌うため例え自分の考えと違っていても普通はその「正しさ」に乗っかるから。
もっと言うと
「イノベーションを起こすことは悪だ!俺はこうやってきたんだ!俺のいうことに従えないなら組織から出ていけ!」
というような組織文化があることがあり、ネックが多くてなかなか思い通りに動くことができない。というより少し「正しさ」からはみ出たことをすると階層が上の者はもちろん同じ階層(同僚、チームメイト)からもまるで非国民のような扱いをされるからなかなか行動しにくい。
これによりそもそも本当に正しいのかどうかもわからないその組織で信じられている「正しさ」が更に強化される(これを一般に組織文化の逆機能と呼ぶ)から余計に結果が出なくなることがしばしば。。
しかし、組織内からバッシングを受けながらもなんとか結果を残したとする。きっと相当な覚悟をしてこれまでの常識を陳腐なものにするようなとてつもない努力が必要だが。
すると今までの批判の声は一気に止まりその行動は称賛される。ことが一般的であると思う。
結果を残せなければ
「やっぱりあいつは頭のおかしい奴だ!」
と白い目で見られる。組織内に居場所がなくなるのは必至だろう。
結果は時に残酷で、それまでの「正しさ」を覆すことも出来るしかえって強化することもある。
「結果が全て。」
間違いない。世間は誰もプロセスなど見てくれやしない。
しかし
本当にそれでいいのだろうか?
無論、
「結果出てないけど頑張ってるね~」
といった奇麗事が大切だと述べているではない。
ただ、せめて何かを変えようとアクションを起こしている者をその人と親しい人間までもが批判をしたら。
人間そう強くはない。逆風に負け道半ばで挫折してしまうかもしれない。
組織や世間が大好きな「結果」まであと一歩だとしても。
そしてそういった組織は新しい芽を摘み取る組織文化が定着するから結果を残せていない組織はずっと負け組であり続ける。(組織の構成員はその文化を醸造していることにすら気がつかないかもしれないが。)
何かを変えようとアクションを起こしている者の味方であり続ける姿勢が組織の「正しさ」を変え、誰もが望む「結果」に繋がるかもしれない。
「正しさ」なんて数時間後には変わることがあるし本当に「正しい」ことなんて不変の真理くらいしかないのかもしれない。
「最先端科学」だと信じられていたことだって明日にはブレイクスルーがおきて陳腐なものになっているかもしれない。
だからこそ結果という表面的なものだけに囚われず、現状打破しようとしている人々のプロセス(例え結果が伴わなくても)をほんの少しだけでも見ることが大切だと思う今日この頃のお話でした。最後まで読んで頂きありがとうございました。
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