見出し画像

「楽しくないと仕事じゃない」

(このnote数日寝かせました。)
月曜日の朝、出勤後ある連絡をうけました。私と2か月前まで今まで仕事をしてきた上司(64歳)が、亡くなったとのこと。

なんか早かったなぁ・・・

正直なことを言うと「残念」というか、心の準備もできていたので、涙が出るとかそういうこともなく、すんなり受け入れられた自分がいます。

東京オリンピックまでは、仕事がんばりたい!

この人は、いつもそういってました。
60歳を過ぎて、オリンピックが来たら65歳定年

私の上司は、私の母親と同い年で、実は同じ病気になりました。
もう1年半前ですが、胃がん。

上司は、私が新人で今の会社(大阪)に入社した時から、部長でシステム開発の一線ではたらき、勤務先でもいろんな人に慕われる人でした。
そんな中、私のことを目にかけてくれて入社して3か月で、開発メンバーに加えてくれたのもこの人でした。この人にはいろんなことを教えてもらいました。言葉にすればきりがないのですが、ダメなときは叱るということもできる人で、お前は「はっきりモノを言いすぎだ。」とも言われていました。
私は、大阪勤務を4年した後、自らの意思で転勤。
上司は大変悲しんだと聞いています。

その8年後(2012年)、以前の上司は東京に来て所長になり、再び私の上司となりました。それから以降、毎週大阪から東京へ1週間単位で往復、会社の東京進出後なかなか人を増やしたり、事業を拡大するということができず低迷していますが・・・※
※なにも成功物語ばかりが、いい経験とは思ってないので。

この上司が東京に転勤してきた2012年に親睦ついでに、「みんなで温泉に行こう!」という企画が持ち上がり、伊東温泉旅行を1泊2日で企画したことがありました。それが上司の非常にお気に入りで、いつか2回目がしたいね!ということを言っていたのですが、ノビノビになり、去年の9月上旬に6年越しの思いで2回目を実施。大変盛り上がりました。

そこから、上司の体調が急変

そもそもいろいろ持病を抱えている方ではあったのですが、「背中が痛い」と勤務中に言うようになり、早退してもらうこともしばしば・・・

健康診断や胃カメラが嫌い

結果は病名は隠していましたが、私の母と同じということを聞いて大体察しがつきました・・・そこからは、手術するための入院→検査→手術は無理→違う病院で検査→手術前の検査→手術できない→抗がん剤で体調を崩すの繰り返しでした。本人は、病気と付き合いながらも仕事がしたいという思いで事務所で一人で勤務をしていたようですが、ある時私と連絡が取れなくなります。その時から私は「所長代行」という肩書がついて働いています。

いまはシステムエンジニアではないですが、所長代行と兼任です。

タイトル文言は、私の上司がいつも口にしていた言葉です。

「楽しくないと仕事じゃない!」

仕事は、楽しくないならやめてしまえな人でした。これだけの言葉でもでも、仕事が好きだったんですよねぇ・・・

くるみnoteさんが出されていたスティーブン・ジョブズの動画ちょうど見ていて泣きそうになりましたが・・・

共通点が多いので、似たようなことを言っている名言を発見

終着点は重要じゃない。
旅の途中でどれだけ楽しいことをやり遂げているかが大事なんだ。

緩和ケアであったり、がんから復帰した人の話をここ最近は情報としてみたり聞いたりしていたのですが、志半ばだった人ってやはりいます。私はそういう人も忘れてほしくはないのです。だからと言って亡くなった方をいつまでも想うというのは、亡くなった方も喜びません。
(というかそういう人でした。)

追悼noteでした。m(__)m

金曜日の大阪出張の最中にUPします。
長い一週間を大阪出張をやり切ることで終えます。

読んでいただいた方ありがとうございました。

この記事が参加している募集

#noteでよかったこと

48,332件

#熟成下書き

10,589件

ここまで読んでくれてありがとうございます! 読んでくれる方の多くの「スキ」で運営されてます!! XやInstagramのフォローは自由にどうぞ!