【フォロワー数200突破記念】『砂の惑星』論
皆様お久しぶりです、三日月です。
本日はX(旧Twitter)のフォロワー数が200人を突破した記念に、創作論について語らせていただこうと思います。
専門学校の講師時代にも何度か話したことがあるのですが、すべてのクリエイター志望者の方にぜひ見ていただきたいのがこの『砂の惑星』という楽曲のPVです。
※なお、これからお話することは私の独自解釈であり、ハチさん(米津玄師さん)の楽曲そのものや各種の考察記事とは一切関係ございませんのでご注意ください。
長い間創作(のプロ)の世界にいると、「どんな人がクリエイター(作り手)に向いていますか?」という質問を時々目にしますが、私はこの『砂の惑星』の世界観に馴染める人が作り手に向いていると思います。
今の一言で大半の読者様は「それってどういう意味???」となってしまったかと思いますが、このPVに登場するキャラクターたちのように、先が見えない砂漠の中にあっても目的を見失わず、淡々と歩き続けられる人が創作活動に向くという意味です。
「砂漠に林檎の木を植えよう」という歌詞が作中にもありますが、創作とは砂漠の中に林檎の木を植えるがごとく地道な作業です。当然ながら苦しいこともたくさんありますが、自分の手で作り出せる喜びもあります。
「思いついたら歩いていけ 心残り残さないように」
これも私が好きな歌詞です。
アイデアが浮かんだら、「本当にこれでいいのか?」とか「うけなかったらどうしよう」などと悩むこともありますが、それでもそれらを作品のかたちにして、前面に押し出していくことが作り手に必要なスキルです。
どんなに素晴らしい作品であっても、ユーザーが見れる場所に置かなければ商業作品として成立しません。周囲が有象無象の墓になってしまったとしても、怯まずに突き進まなければいけないのが砂の惑星です。
途中で方向転換をして去っていく仲間を見送ったり、昔の仲間と突然再会したり……PVの描写にもあるように、出会いや別れもたくさんある世界です。それでも一喜一憂し過ぎることなくドライな顔で歩き続ける人が、自分だけの林檎の木を手に入れるのだと思います。
最後にもう1つ、私が好きな歌詞を紹介します。
「あとは誰かが勝手にどうぞ」
ここまで創作に対する熱意を語っておいてあれなんですが、必ずしも全員が林檎の木にたどり着く必要はありません。
辛くなったり、別のことに興味が湧いたりしたら途中でやめちゃってもいいんです。結果にも意味がありますが、過程にもちゃんと意味はあります。
私自身もまだ砂漠を歩いている途中で、林檎を手に入れたわけではありません。
私が育てた林檎の木を、後輩にあたる人々が引き継いでくれる…そんな未来があってもいいんじゃないかと思っています。
これが『砂の惑星』論のすべてです。
お読みいただきありがとうございました。
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