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恩師、「三蔵」法師

 「恩師」と聞いて、どなたの顔を思い浮かべますか?
 小学校、中学校、高校、大学の先生…
 もしかしたら社会に出てからの上司・先輩や、ご両親が恩師、という方もいらっしゃるかもしれませんね。

 わたしの「恩師」は、出身大学の教授でした。 
 もうこの世ではお会いできませんが、わたしの人生においては今でもちょっとした「ペーパーウェイト」のような役割を果たしてくれています。そんなに大きいわけではないけれど、確かな重石となって、わたしの足を地につけてくれる人です。

 学生時代、わたしは学習院大学の英米文学科に在籍しており、矢作三蔵先生のゼミで卒論を書きました(この学科はかなりガッツリしたカリキュラムだったにも関わらず、いとう、結局英語は全くしゃべれぬまま四年間を生き延びました。我ながらよくまあ卒業できたもんです)。

 「名前は三蔵法師からとってつけられた」という矢作先生の専門はアメリカン・ルネサンス。ロングフェロー、ホーソーン、メルヴィル、ホイットマンなど、日本人には聞き慣れない作家を扱っていました。とりわけナサニエル・ホーソーン文学が先生の得意分野。ホーソーンさん、善と悪や罪をテーマにした作品が多く、なかなか面白かったのですが、もうほぼおぼえてません(笑)。
 作品や時代より、先生の人柄に惹かれてゼミを選択したからです。

 先生は「愛」を語る人でした。
 たくさんの文学作品から、ご自身の経験から、
 人間愛や友愛、男女の愛の素晴らしさを、その裏の弱さや罪深さを、滔々と語ってくれました。
 LLも担当されており、一年次に必修で授業を受けた時から、わたしは先生のゼミを取ろうと決めていました。
 今から思うと、LLの授業でなぜ愛を語っていたんだろう(笑)。
 でもとにかく、そういう先生でした。

 当時の講義ノートを見返すと、先生の名言がページの片隅に書き残されています。
「女は意地を張ると不幸になる」
「本当に人を愛すると、人は無言になる」
「愛は孤独を条件とする。他のものをすべて断ち切り、今までの価値感を否定してゼロになるのが愛」
「人は誰でも孤独を抱えている。それを埋めるために誰かを愛する」
「相手に120%の理解を求めてはだめ。6割とか7割で十分」
「愛は後ろめたさの共有、自分にとっての引け目を相手はそうと思わなかったり、何でもなかったりするのが愛。誇れないものをこそ大切にする」(スカル・イン・クローゼット、と書いてありましたが、「誰にも言えない秘密」みたいな意味だったような…)
「自分に痛みがあれば人の痛みもわかる」
「(対人関係において)8割は相手に譲っていい。でも、残りの2割だけは譲ってはいけない」
「心のバランスのとり方は、要するに納得の仕方。どう自分を納得させるかが重要」

 今でも自分の人生の指針になっている言葉が、いくつもあります。

 さて、当時のわたしは今以上に精神的ひきこもりでした。
 顔、ファッション、性格、成績、どこをとっても地味の一点張りな上、ものすごく内向的&ネガティブだったのです。
 だからこそ、堂々と愛を語る先生に惹かれたのかもしれません。
 自分がまだ体感したことのない「愛」が、どういうものか知りたくて。

 そんな薄暗い青春時代でしたが、
 一応、表面を取り繕うことだけは身に着けていました。それなりに苦しみはあったものの、いわゆる「察してちゃん」は格好悪い、と思っていましたから、自分なりにいつもにこやかに、愛想よく振る舞っていました。
 同級生に対しても大人に対しても、それでうまくやっているつもりだったのです。

 学生の中には先生に個人的な悩みを打ち明けたり、相談に乗ってもらったりしていた方もいたようです。
 当然、わたしにそんな勇気はありませんでした。そういうことができればそもそも、精神的ひきこもりにはなってませんからね(笑)。
 二人でじっくり話をする機会もありませんでしたし、ゼミで目立った活動をしていたわけでもなかったし、先生にとってはこれといった思い入れのない「One of them」だったはずです。

 けれどゼミ生になり、文学部棟の廊下でいつものように笑って挨拶したとき、先生は言いました。
「いとうはいつもそうやって笑って飄々としてるけど、きっと陰で泣いてることもあるんだよな」

 わたしと先生のマンツーマンな、そして個人的なやりとりは、後にも先にもこれだけだったように思います。
 それでもいまだに思い出すと涙が滲みます。
 包み込むような温かな声でそうおっしゃってくださったことに。
 先生が「わたし」という学生に、きちんと目を向けていてくれたことに。

 写真、というものが嫌いで、それは「そこにいる人と心で風景を共有したいから」なのだとおっしゃっていた先生。
 けっこうな酒飲みで、酔っぱらうと上野動物園のバイソンに英語で話しかけに行く先生。
 文学者らしくロマンチストで熱血漢で、仲睦まじい奥様や立派なお嬢様をお持ちでありながらも、きっとどこかに、癒し得ぬ孤独を抱えておられたのではないかと、大人になった今、思います。
 だからこそわたしたちに、あれほど熱心に愛を語ってくれたのだと。

 「いいか、文章というのはな、切ったら血が出るんだぞ」という先生の言葉を聞いて、「切ったら血が出る文章を書けるようになりたい」と思ってから十数年。
 印刷会社も出版社も体がもたずにドロップアウトし、経済的に自立できない現状をなんとかしなきゃと思いながら、それでも諦めきれず文章を書き続けています。

 そんななかで先日、うたがわきしみさんから「どの文節で斬っても芳醇な蜜が血となって溢れそうな」という評価をいただきました。
 どんなお気持ちで言ってくださったにせよ、わたしが書いた文章がその言葉をいただけるようになったのだということが、とてもとても嬉しい。
 きしみさんのお言葉で先生のことが思い出されて、少しは先生の後進になれているのかな、と思っての記事です。

 折しも、ご命日は今月。
「愛」というものがなんなのか、アラサーになってもまだ体感できずに模索し続けるわたしですが、
 それでもいつか先生が涵養してくれた「愛」を、表現できる人になれたらいいなと思っています。
 先生の想いが、今でも私のなかで息づいている証として。

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