【記憶】って自分に正直

最近、会社で依頼される仕事が重なって、暇な時間がほとんど無いくらいに過ごしている。仕事中に、ちゃんと仕事に集中して向き合っている自分が、少しだけおもしろい。もちろん、会社に属して働いているのだから【当たり前】なことは、重々承知している。しかし数ヶ月前までの『そんな環境ばかりの毎日ではなかった経験』が、私の【記憶】として残っているのだ。だからそれを受け入れる為、毎日必死だった頃のことは、過去のブログにも残してある通り。当時の『現状を変える為、自分の中でも変化を重ねた経験』も多々ある。だからこそ、今現在、仕事への充実度が更に高くなって満足している。

さて、今回の投稿では、正に上記にある様な、『過去の経験』が【記憶】として刻まれている。
ということについて、最近思った事を発信したい。先の会社の話とは別で、もう1つエピソードを紹介する。

先日、久しぶりに100円寿司を食べに行った。2人で20皿くらいを食べたのだが、久しぶりが故に驚く点が多々あった。色々あったのだが、『どうしても1つだけ、「これはどうなの?」と思い、大人しく納得するのが難しかった』という経験をした。それが、私の中で【記憶】として刻まれたのである。

2つのエピソードを通して、実際のところ言いたいことは、どちらとも、『今』から見たら『過去』の話だということ。少し前の『過去の経験』に対して『自分の中で納得するのが難しかっただけ』だという話。そう思った私の中で、『自分にとって納得するのが難しかった経験』→『鮮明に記憶される傾向があるのではないか?』ということに改めて気がついた。読者の皆さんも、似たような傾向はないのかな?と思ったりしたので、発信しようかなと思った。

正直、今回の2つのエピソードに限らず、私の人生28年を振り返ってみた時に、実家の家庭環境や幼少期、学生時代、そこで築いた形だけの人間関係など。少し前までの私は、『自分の人生経験の大半』を【自分にとって嫌な記憶】としてずっと刻んで生きていた。【自分にとって嫌な記憶】が『頭にいっぱいの状態に埋もれて生きていた』ので、当たり前だけど、なかなかに『生きづらい経験』だった。
しかし、1度、【真逆の思考回路】を知ってしまった『今』の私は、何を経験して何を思おうと【ある程度は当たり前】だと受け入れることが出来る。また、受け入れることを簡単に諦めず、努力する。その、【真逆の思考回路】というのが、

少し前の『過去の経験』に対して『自分の中で納得するのが難しかっただけ』だという考え方
ではないかな?と私は思った。

きっと、どんな『過去の経験』による【自分にとって嫌な記憶】でも、『視点を変えてみる』ことによって、その努力を重ねる【自分の経験】によって、『いくらでも変換出来るはずだ』と私は思う。今回の私の経験から言うと、会社の環境に対しては、『暇な時間があって苦しかったけど、その時間や環境と向き合って乗り越えた』から、『今』となっては『過去の経験』以上でも以下でもない。100円寿司に対しては、『どうしても1つだけは納得出来なかったとしても、その他に視点を当てれば概ね満足』みたいな結果なのだから、これも同様に『過去の経験』の一言に尽きる。

私は、生きていればきっと『簡単に納得出来ることばかりじゃなくても当たり前』だと、認識するようになった。それは、間違いなく【自分の視点】が変わったからだ。もちろん、『元気な人達』からの影響を受けたお陰で。だからもし、『自分だけで視点を変えることが難しい』のであれば、『同じ状況でもポジティブな人の考え方』を【知る努力】を始めるだけでも、きっと【自分の中の変化】に繋がると私は思ったりする。

そして、『過去』の私を振り返ってみると【自分にとって嫌な記憶】としていつまでも残していたのは、結局【自分だけ】だと改めて思った。【自分だけ】がその【記憶】を理由にしていて、先に進むための【次の1歩の出し方】に苦しんでいた気がする。そして、その最大の理由は、【自分への甘え】だと私は実感している。『自分にとって都合がいいことが当たり前』で、そうでないことは【自分だけ】が『納得出来ない事から目を背けていた』イメージだ。また、自分にとって不都合だと訴える自分を『認めてくれる人をいつまでも求めていた経験』もある。そして、それらが全て【私の経験であり記憶】だった。だから、正直なところ『私は、自分で何も乗り越えていなかった』と思うことも多々ある。

『今』の私は、それらの『全ての経験』に対して『当時の自分の中で納得するのが難しかっただけ』だと純粋に思う。その理由は、『全ての過去の経験』に対して『見る視点や向き合い方・乗り越え方』を、それが自然に出来る人達から学んだからである。その『学んだ事を自ら実践した経験』が確実にあるからである。そんな経験を積み重ねることによって、私の中の【自分にとって嫌な記憶】というものが【自分の人生には必要だった経験】として刻まれている。それが、【思考回路の変換】だと自覚する。そして、【記憶】というものは不思議なことに、【自分が納得出来る・満足出来る記憶】は『なかなか印象に残りにくいのかもしれない』と思った。逆に、今回のエピソードのように【自分にとって嫌な記憶】や【自分にとって納得するのが難しかった経験】程、ずっと印象に残り続けるということ。更に、それ故に『生きにくい人生』へと誘導されるような感覚になった。だから、そうならないためにも、『自分の人生を満足に生きるため』にも、今回の気づきはとても重要な事だと実感したのである。

重複する持論にはなるけれども、自分の人生の中で何を経験しようとも、可能な限り【ポジティブな記憶・経験】として『変換すること』を、今後も大事にして生きたいと思った。【自分の人生には必要だった経験】とか、『当時の自分の中で納得するのが難しかっただけ』などと、自分に言い聞かせて本気で向き合って乗り越えたい。そして、【記憶】とは『自分にとても正直である』という事も合わせて学んだ経験になったのである。


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