【良かったね】って何?

私は今、結婚したばかりってこともあり、何かと下記のようなことを言われることが多い。あくまでも、言っている本人は『お祝いの気持ち』なことも、私は理解しているけれど。例えば、

①「好きな相手と結婚出来て良かったね」
②「ステキな旦那さんで良かったね」
③「旦那も旦那の両親も、良い人でよかったね」
④「実家よりも、旦那の実家の方がきっと良い」
⑤「私達夫婦よりも、良い夫婦でやっていけそうだね」

私は、そんな言葉をかけられる度、毎回疑問に思う。『いったい、何を基準に【良い・良かった】って言われるのだろうか?』『私が選んだ相手と、たまたま縁あって結ばれただけだよね?』『旦那や旦那の両親の何を知ってるんだ?』みたいな感じで複雑な感情になる。一応、冒頭でも言ったように、本人達の中では、『私に対するお祝いの気持ちを込めているのだろう』と思うので、私も「ありがとうございます」と返すことが多い。
ただ、実際の私の胸の内を、より具体的に発信したいと思った為、各発言に番号をつけた。それらに対する私の持論を下記に羅列していく。


①「好きな相手と結婚出来て良かったね」

私が【自分の意思】で選んで決めた相手だから、【私が1番納得している】に決まってるよ。そこに【出来た・出来なかった】とか【良かった・悪かった】もある訳ないじゃん。『私が私の好きな人と結婚した』ってこと、ただそれだけ。それなのに、勝手に【良い・悪い】の判断されている気持ちになる。まるで、【私が好きな相手と結婚した】っていう【現実が良かった】ことでしょ?【その現実】に対して『言ってる本人達が満足してるだけじゃん?』って感じ。『ひねくれた印象を与える』かもしれないけど、私は別に、その言葉が嬉しいとは思わない。

②「ステキな旦那さんで良かったね」

正直、【ステキな旦那】って何?って思う。具体的な印象も無く、アバウトな感じで言われたところで、私としては「あ、そうですか?あなたから見たら、ステキな旦那って思ったんですね」って感じ。しかも、結論は①と同じく【良い・悪い】じゃない?【私が選んだ旦那】なんだから、『私が1番納得してるよ。勝手に判断しないで頂きたい』って言いたくなる笑

③「旦那も旦那の両親も、良い人でよかったね」

これも②と結論同じ。私と旦那が、【たまたま縁あって結婚】して、旦那の両親も、【たまたま縁あって家族】になっただけだよ。それなのに【良かった・悪かった】なんて誰が言えるんだろう?って感じ。旦那も旦那の両親も【既に私の家族】だ。私も、旦那の家族の一員だと迎えてもらっている。単純に逆に考えてみたら、私や私の家族に対して、旦那の両親が旦那に【良かった・悪かった】って言うってことだ。
『何を思ってそんな発言をしたんだろう?』『そこから何か生まれるとか思ったのかな?』『でもきっと何も生まれないよね?』って私は思う。【言っている本人を基準】に『勝手に評価された気分になるだけだよ』って感じだ。

④「実家よりも、旦那の実家の方がきっと良い」

以前のブログでも発信した通り。【そもそも比べない】し、【私の実家に私自身が満足】している。私の実家が良いとも悪いとも思っていない。そして、【私の実家】は、世界中見渡しても代わりは無い。【たった1つだけ】だ。【たまたま両親】の下で育っただけで【別に選んでない】よ。でも、【別に選んでないから】と言って『ネガティブに思ったり、他の家族と比べて自分勝手に評価したり』するの?そんなことは【何の意味も無い】ってことを、私は実体験から散々学んできた。【私の実家で育った私は、私でしかない】に決まってる。【それが良いも悪いもある訳ない】じゃんね。それに、【旦那の実家】だって同じ。【たまたま縁あった】だけ。【大事に思う思わない】って話だ。そして、そんなのは間違いなく【自分の問題】だ。

⑤「私達夫婦よりも、良い夫婦でやっていけそうだね」

夫婦ってワードに変わっただけで、基本的には④と似ている。ただ1つ違うのは、【間違いなく自分の意思と覚悟と責任】で、夫婦になった。「上手くやっていけそう」って何だろう?『私が望んで決断した』んだから、『私が納得する人生を送るだけ』の話じゃん?そもそも、『こんな夫婦になりたい』なんて『理想すらも考えたことない』し。『私達がどんな夫婦になろう』とも、『私が幸せならそれで十分だわ』って思う。『わざわざ旦那の幸せ心配する訳でもきっとないじゃん?』って感じだ。

【良かったね】って言葉について、私も少し前までは、無意識に頻繁に使っていた。この言葉を発言することによって、自分や相手に対して、【なんとなくポジティブな印象】を齎してきた自覚がある。しかし、今の私は、ちっともポジティブだとは思わない。
その理由は、結局のところ、【誰だって望みを叶えるために進み続けた結果】だからだ。それが、【たまたま実っただけ】の話。
特に、【私の結婚について】はそう思っている。別に、結婚したからと言って、【何かが急に良くなった訳じゃない】って話。かと言って、結婚しないから悪い訳でもないじゃない?【自分自身が望んだ人生で満足してる】なら、【良いも悪いもない】じゃん?って感じ。そもそも、『周りの人を喜ばせたい』『喜んで欲しい』『喜ばれたい』みたいな【相手の反応を考えて】結婚してないわ。どこまでいっても【私の人生】なんだから。

『旦那に対してどうだ』とか『旦那の実家がどうだ』とかも、すごく不思議。【私の決断】故に、【私にとって新しい形】で【私の人生】が進んでいくはずだよね?なのに、何でそれを【良かった】【良くなりそう】なんて言われる意味があるんだろう?

『夢見心地で話してただけ』から【前進した私】に対して【良かったね】って言葉をくれた人はいる。それは素直に「ありがとう、良かったわ」って言えるし思う。
だけど、上記みたいな【良かったね】は、申し訳ないけど「勝手に言っといて?」って感じだ。『あなたにとって良かろうことでも、【私の旦那は、私が選んだ】よ。そんな【旦那の生きていくのは私】だし、どんな夫婦になるかは黙って見てて』って気持ちだ。なんなら逆に、「私の旦那が彼じゃなかったら良くないのかい?」って言葉を返したくなるよ。どんなことを言われようとも、ぶっちゃけそんなことは、「私の人生なんだから私の勝手だけどね」って話。

そして私は、今回のブログで強く言いたいことができた。それは、【相手の人生に対して自分の物差しで勝手に判断しない】ってこと。要は、私の結婚を例えて言うなら、【結婚したのは間違いなく私】だ。それなのに、【結婚】に対しての【良かったね】とか【旦那の存在をベース】にした【良かったね】とか。更に【私と旦那を勝手に比べる】とか【私と言っている本人を比較する】とか。

私は実際に【私の人生に対して、言っている本人達の物差しで勝手に判断された】って印象を受けた。そして、【私は全く嬉しくない】ってことを強く思った。何にもポジティブじゃないし、生まれた訳でもない。『勝手にどうぞ思っててください』って感じだ。

これまでにも、似たようなことを思うことは度々あった。実際にあった私の話をした時に、相手から「〇〇だから、良かったね」みたいなことを言われた。だけど、【結論は、私の人生だし、私の判断】だって頻繁に思うようになった。
現実に対して【良かった】があるってことは、そうじゃなかったら【悪い】のかって本気で不思議に思う。
私は、どんな現実であろうとも、『その中で生きていくのは私だ!』って【自覚や責任を持つ】ようになった。良かろうと悪かろうと関係ない。どんな現実でも、まずはそれを受け入れる努力を惜しまない。そして、どんな現実も【受け入れた者同士】で助け合って生きていきたい。諦めでも妥協でもない。『精一杯、どんな現実にも向き合って』生きたい。

だから私は、以前のような感覚で簡単に【良かった】なんて思わない。『〇〇で良かった』『△△じゃなくて良かった』『△△よりは〇〇で良かった』なんて思考は全部。仮に【今の自分に向けて使う】ことはあっても、決して【相手に向けて使う言葉でない】ってこと。それと【今の自分以外と比較すような使い方は絶対しない!】って強く思った。
『〇〇だから幸せ』『△△だったら幸せじゃない』『△△よりは〇〇の方が幸せ』みたいな思考と、きっと同じ。【全部が自分基準】&【勝手な自分の価値観】で、『決めつけたり思い込んだりしている』だけ。『そうじゃなければ私は幸せじゃない、幸せになれない』って思ってるのは、【正に自分】の問題。
今の私は、【どんな現実】に対しても、それを【自分なりに本気で向き合っていく自分】になりたいと思っている。だから、そんな【自分都合の先入観】みたいなものは、『ぶっちゃけ邪魔でしかない』ってのが本音。

今回の内容は、私の結婚を『お祝いしてくれる気持ち』が故の発言なのは、私も理解している。なので、それに対して『私が思ったことをブログにした』までの話。それこそ、【良い・悪い】【肯定・否定】のつもりはない。【あくまでも私】が、【私と関わる人達に対して気をつけたいと思った】だけ。
そして、【今の私】が【私の人生は常に幸せ】だと【本気で思って生きている根源】だと実感した。だから、今回発信したいと思った。
【常に今の自分と本気で向き合って生きる】ってことが、『どれだけ今の自分を本気で満たすのか?』ってこと。今の私の答えは、【常に比例する】って自信を持って言える。それが、根本的に【自分を大切にする】ってこと。私は今回、改めて実感したのである。

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