1人の時間とひとり暮らし①

最近気づいた自分の傾向について、発信したい。彼の仕事の帰りが遅いとか、休日に予定があるとか、何かしら事前に予定がわかった時のこと。そんな時私は、ひとり暮らしの気分に近くなることを実感した。
1週間ほど前のこと。彼の仕事が忙しくて、前日の夜から既に「帰りが遅くなる」と言われていた。つまり、私が普段と変わらず帰宅したところで、私1人の時間が長くなるだけ。そんな時、以前の私なら、その日の夜ご飯の時間だけでも合う友達を探していた。基本的に1人でご飯の時間も苦手だし、気心知れた人と過ごした方が圧倒的に楽しいからだ。だけど今回の私は、1人で過ごすことを選択した。もちろん、自分の時間を充実させるため。だから、2人分のご飯を作り、先に食べて彼の帰りを待つイメージだった。それが、当日の帰宅時間になって、急に気が向かなくなった。かと言って、何か他にやりたいこともなく、テイクアウトやお惣菜の気分でもなく、1人時間の有意義な使い方に模索していた。そんな時、友達から「暇だよー、電話しない?」と連絡があり、私はその誘いに速攻で乗っかった。そして現状を話しているうちに、そもそも彼女もご飯を作っている最中だったことも起因して、帰宅後の私は、そのまま料理を始めたのである。結局のところ、普段と変わらずら2人分のご飯を作り、彼女と電話しながら1人で食べた。

ただ、この時に私が思ったことがある。それは、ひとり暮らしの時はどれだけダラダラしようが、楽して手を抜こうが、お金を掛けようが、影響があるのは自分だけだった。それが、同棲している今、1人の時間は変わらなくても、気持ち的な変化が大きいことを自覚した。仕事が忙しく疲れて帰ってくる彼がいるのに、自分の都合でひとり暮らしの様なことをする自分に対して、抵抗するようになった。自分でも不思議に思いながら、なぜか自己嫌悪や罪悪感に近い感情になった。どちらかと言うと、『m__lovemiも働いてるんだから』と手を抜くことを推奨してくる私の彼。私の都合で、ひとり暮らしのような食事だったとしても、きっと受け入れる人だ。それなのに、私は自分の意思でそれを拒んだ。『個人的な不明確な自己都合を理由にする』ことが、嫌だと思った。仮に「これが食べたくて買ってきた!」と言えたなら、自分で納得する。でも、今回の私は、色んな意味で不明確要素が多かった。

本当にたまたま、ナイスなタイミングで友達からの連絡があった。そのお陰で私の気が紛れたことは確実だ。もし、あのまま1人で模索を続けていたら?なんて考えなくもない。ただ、いくら考えたところで【全てが想像】な話。そんなことよりも、【実際】に友達のお陰で気が紛れ、【結果的】に普段通りに過ごしたことで【自分】がどうだったのか。そっちの方がよっぽど【現実的で堅実な思考回路】だと考えるようになった。結論、私が今回の経験から学んだことは、『変な自己嫌悪や罪悪感を抱くような不明確要素を考えるよりも、何も考えずに日常を過ごす方が気が楽である』ということ。私がどんな風に1人時間を過ごそうと、彼は必ず帰ってくる。それは変わらない。それが『毎日楽しみで、自分が自分らしく過ごす日常』が、『私の幸せ』なのだと気づいたのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?