大人な対応が出来る大人

最近あった会社での出来事で、【何気ない】上司とのやり取りの話。そこから新たに学んだ【私の思考回路】を発信するよ🙋‍♀️

私が、コピー用紙の包装紙(機密内容ではないってこと)をシュレッダーしていた時の話。上司も上司でシュレッダーするものがあったらしく同じ場所にガチ合った。そして、私が上司の存在に気づくよりも早く、上司の方から「m__lovemiさんは、こんなものまでシュレッダーしてるの?」と話しかけられた。私は最初『突然声をかけられたこと』に対しての驚きの方が遥かに明らかに勝っていた。だけど、『そんなことに驚いている場合ではないよ、とりあえず上司が話した内容を瞬時に理解しよう』という私の心の声と共に思考切り替えた。
我ながら、『そんなことさえも未だに難しいことを実感した訳だ』けれど、私なりに【会話を成立させること】に意識を向けた。何故ならば、【ただ難しいからと言ってその場を離れられる訳ではないから】って話である。
『まずは、会話として成立させることが大事』と私は瞬時に理解したことで「はい、ゴミ箱が嵩むのが嫌だからです。」と、自分の意見を伝えた。すると、上司は「こんなのクシャっとしてゴミ箱に入れたらいいのに」っと笑って言い、私も笑ってその場を離れた。

別に、【このやり取り自体】が、私にとってネガティブだったとは思っていない。ただ率直に、【何かと日常的に該当する話】だなっと私は思った。私が何故そう思ったのかを紐解いていく。


まず1つ目は、【自分の成長】を感じた話。【何気ない上司の発言】を『自分がネガティブになる程に真に受けない』で【感情のコントロール】が出来たってこと。そんな思考の切り替えを持ち合わせている自分に対して、【自分が自分のままに、楽に生きられる喜び】を実感した。
上司が『どんなことを思い浮かべて私に声をかけたのか』は分からない。ぶっちゃけ、私の考えようによっては、いくらでも想像することが出来る。実際に私は、【上司から見た時の私の行動】が、『理解できなかったのだろうか』『意味が無いとか思ったのだろうか』『馬鹿なヤツと笑われてるのだろうか』と、どちらかと言うと『ネガティブな方へと自分勝手に想像』した。
だけど、そんなネガティブ思考になったのは最初だけ。数分後には、『上司から見たら、私の行動は不思議だっただけだよね』とか『そんなに深い意味はなく、【ただ気になった】から言っただけだよ』とか思うようになった。
だって別に、『私が直接的に上司に迷惑かけた訳じゃないし』とか『誰がどう見ても明らかに間違ってることでもないよね』と【私自身を自負すること】出来たからである。そう、要は【自分の行動への責任】を『自覚する』ことを、少しは覚えた気になったからである。
それに、そもそもの話。【上司の何気ない、ただ気になっただけの発言1つ】で、『私の行動や気持ちが左右されるのは違うよね!』って思考になった訳だ。
そんな思考になった私は、【とてもシンプルな結論】に至った。要は『あなたはそうなんですね、でも、私はこうなんですよ』っていう、【互いに明確な印象】が生まれたってこと。その【きっかけ】になったのが、『何気ない上司との会話だっただけ』って話だと認識するようになった。つまりは、普段、日常生活の中で【何気ない会話1つ】でも、【自分を知り、相手を知るきっかけ】になることを私は学んだ。

そしてもう1つ思ったこと。それは、『上司に対する尊敬する気持ち』だった。
私の中で、人ってきっと、【自分の視野の中をベースに発言する】(ことが多い)っていうイメージ。だから、【それを一旦差し置いて、目の前の事実に目を向けた一発目の発言】をした上司を、純粋に尊敬する気持ちになった訳だ。
だって、もし仮に、【私の意図を汲み取る要素のない相手】だった場合の話。【一発目の発言】から「なんでこんなことしてるの?こんなのシュレッダーする意味ないじゃん。」みたいなニュアンスの発言になりそうだと思った。少なくとも、『私だったら、何にも考え無しで言ってしまう可能性がある』と心配になったくらいだ。それに、そんなニュアンスの発言をされた【経験や記憶】も、簡単に沢山蘇ってくる。そして、そんな時は決まって【とても否定的】且つ【自分の意見の押し付け】みたいな印象を、私自身が沢山受けてきた訳だ。【内容よりも、ネガティブな印象】の方が『明らかに強く自分の中で残る』ってことを身を持って経験してきている。
そんな【過去の苦い経験のお陰】もあってか、今回の上司との【何気ない会話の中】から、『ふと学ぶことが出来た』と思った。今後の私は、【まずは自分の意見は一旦置いておいて、目の前の事実に対して素直な発言をすること】を心がけたいと私は思ったって話。

あと、総括して思うことは、極論は【自分と相手を分けて考えることが、互いにどれだけ出来るのか】って話。上司の放った【一発目の発言】に対しても言えるし、その【発言を受けた私の反応】にも言えると思っている。更には、【やり取りの終わり方】や【終わった後の互いの解釈・印象】にも直結するイメージにもなると思っている。
そして、そんなイメージから更にその先に発展して考えた時、『これが、【心の器の大きさ】なのかな』とか『要は、【大人な対応】なのかな』なんてことを思ったんだよね。

最近になって私は学んだ気がしている。
・きっと、【自分の周りで起きる全てのこと】に『自分が納得しなくてもいいじゃない?』ってこと。
・別に、わざわざそんな【自分に負荷をかけるようなこと】しなくても、『世の中それなりに生きていけるよね』ってこと。
・生きていれば、『誰だって、理不尽なことに遭遇することはある』と思う。だけど、『そんな中でも、【何とかして自分を保って生きてく術】を見つけてこそ大人な対応だ』ってこと
私は、上記の様なことを強く思うようになった。

だから極端な話、【自分に直接的に影響を感じなければ、何も気にする必要も無い】し、『そんなことにエネルギーを使うのは勿体ない』ってな話。私は、そんな印象を受ける人達を見ては、『時には、そんな思考回路も大事だな』ってことを痛感し、自ら求めるようになった訳だ。結果、今回のように新たな気づきを得ることが出来たと思っている。

そして、最後にやっぱり改めて思うこと。私自身が1番強く主張したいこと。それは、【自分に対しても相手に対して】も、【自分の見方が変われば、確実に見える景色も変わるはず】ってこと。今回の出来事も、まさに該当していると思う。
【心の器が広い人間になりたい】【他人の言動や行動が気になって仕方ない自分をどうにかしたい】【もう既に終わったことに対しても、いつまでもモヤモヤを続ける自分】を『早く卒業したい!』とか。私は何度も思ったことがある。
しかし、そんな【儚い私の願い】だったことは、今現実に、確実に叶い始めている。つまりは、大概のことは共通して、その都度【自分が成長して大人になれば解決する話】だと今になって本当に思う。
私は、『大人な自分に本気でなりたい』と思うようになった。正直なところ【大人だなって感じる人】って言っても、多種多様な価値観があると思う。その中でも私は、【私が思う大人な私】を目指して生きたいと思ったのである。

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