私が私の人生を生きること

最近の私は『何か一生懸命に取り組みたい!』と、無性に考えることが増えた。しかし、具体的にやりたいことが見つからない。見つかっても【思うだけ、調べるだけ】の時間がめちゃくちゃ長い。そんな時、『何で私はこうなのだろうか?』って自問した。その結果『私にとって【親】ってどんな存在なのか?』と、考えるきっかけとなった。

両親との関係も改善しているし、それなりに毎日幸せに過ごしている。けれども、【何となく暇な時間】が多いと思っている現在の私。だから私は【自分一人でも一生懸命にやりたいこと】を探してしまう。私の中で【暇な時間=自分の時間】なのだけれど、『時間の使い方が下手くそだ』と自分で思った。

きっと、一般的には【子供時代】の方が、【大人になった今の私】よりも『よっぽど暇な時間はありふれていた』はず。それなのに、私の人生においては『今が1番暇を実感している』気がした。【思うだけ、調べるだけ】の時間がもったいない』なんてことは自分でも分かる。そんな【もったいない時間を過ごす私】に対して【何とか改善したい私】は【実行しないままの私】に焦点を当てた。
そして、【私の先入観】みたいなもので【暇な時間=家族の時間】の『イメージがなかなか抜けない』ことを自覚した。最近特に、【家で旦那と2人の時】に考えることが増えた。だからこそ、再び私は、自分の子供時代を振り返るきっかけになった。

今更、私の子供時代を振り返ったところで、正直、思い出すことってめちゃくちゃ少ない。今も実際、パッと思い出す楽しい記憶はリアルに無い。けれど、それが私の人生なので、ぶっちゃけ今となってはそんなことはどうでもいい。

今回大事にしたいことは、『私の子供時代、何を一生懸命にやっていたのか?』ってことだ。私は、その答えを考えた時【親の言うことを聞くこと、怒らせないようにすること、その中でも家族みんなで楽しく喜んで生きること】が、1番最初に出てきた。我ながら面白い人生だとつくづく思う。
そして、この自分の答えからも分かるように、【親を絶対的に信じて】【家族みんなで同じ方向を求めて】生きていたことを振り返る。この時の【親】が指す意味としては、【実家の固定概念】も該当する。そして、私の人生なので、【親だけが理由ではないこと】を強調したい。そのため、16歳以降は、あくまでも【自分の意思】で【親を絶対的に信じて】生きていたってことが前提の話。
逆に、16歳までの私は、ある意味【親の言うことを聞くこと、怒らせないようにすること、その中を家族みんなで楽しく喜んで生きること】が、『絶対的に守るべきことだ』と漠然と思っていた。むしろ、その様に教育されて生きていたので、小中学校時代の私は大変だった。そのギャップと上手く付き合って過ごすことは、到底難しかった。とはいえ、結論【自分が未熟だった】に過ぎない、勝手な言い訳だけど。

結果的に私は、私にとっての【親】は、『親を信じなさい、感謝しなさい、喜ばせなさい』と子供に教育するイメージが昔からあった。『親が子供を産んだから、育てたから。だから子供の命がある。つまり、子供から見た親は絶対的存在』みたいな。しかも、そのイメージはきっと『私だけじゃない。親も兄妹も親戚も同じ。皆きっとそう信じてる』はず。【私だけじゃない】が大前提に常にあった。だから、16歳以降の私は、その教育を【自分の意思】で信じて求めた。自分1人でも一生懸命に活動した。

けれど、今思うと、【私の時間】【私の人生】だという認識は芽生えていなかったって話。【私の人生だけど親に捧げる、常に親の喜びを求めて、皆で一緒に】みたいな気持ちで一生懸命だった。また、幼少期の頃も『親に言われるがまま親に着いて行くから、その環境で教育された』『それが親戚の集まりで毎週のように通った』『私の家は、そういうもの。つまり私も、そんな大人になるんだ』ってなイメージが強かった。

そんな子供時代を過ごした私は、【自分で自分を育てる生き方】について、たぶん、『身近な大人達からは教えられなかった』と思う。だから知らなかったし、自分でも考えたことがなかった。大人になった今、初めて【私の時間】【私の人生】に対して、本気で意識するようになった。故に私は、『親や固定概念を無くしては語れない』私の過去を、振り返った。
また、『自分が親になりたい』と思うことが増えたのも大きな理由。『より具体的な理想の母親像や育児・子育て』について、想像する。近い将来、そんな現実を夢見ている自分がいる。だからこそ、【まずは、私が私の人生を生きること】を以前に増して、より強く叶えたいと思っている。そして、その為に【今の私が出来ること、やるべきこと】も同時に日々考えるので頭が忙しい。

そんな私が思う【親】について、最近特に強く思うことがある。結局のところ、私も親も、『たまたま、奇跡的に、その時代に産まれただけ』ってこと。だから、それはきっと『子供だって同じじゃないの?』って話だ。【奇跡的なタイミング】が、『たまたま親よりも遅かっただけ』で、それだけの違い。【同じ人間であること】に変わりわないし、つまりは【対等な人間同士】だ。それに、『親が望んだから子は産まれるんだよね?』って正直思う。

両親から見たら、私は子供。だから、そりゃもちろん【両親のおかげで今の私が在る】のは、間違いなく幸せな事実。当たり前だけど感謝もしてる。だけど、ぶっちゃけ『お互い様じゃない?』って子供ながらに私は思う。【親だって、自分が子供を望んだ】上で、『奇跡的に子供が存在する訳じゃないの?』って気持ちになる。『自分の子供がいるから、親になるんじゃないの?』って感じだ。

それなのに【親】だからっていう特権みたいな、だから子供にとって親は絶対みたいな。私は、そんな『親の圧力で子供を育てるのは嫌だな』って個人的にめちゃくちゃ思っている。むしろ、未来の自分の子供は【本人が本人の望む人生】を生きられるように育てたい。なんて考える。何故ならば、【親になる私の意思で、自分の子を望む】訳だから。

あくまでも私の持論として思うこと。【親として子供を責任持って育てること】は、もちろん大事なんだろうと思う。けれど、その前に、もっと大切なことを私は主張したい。皆それぞれに【私の人生】【旦那の人生】【子供の人生】だってこと。私は、『それを忘れてしまっては絶対ダメだ!』って心からそう思う。つまりは結局【私が私の人生を生きること】に繋がるってな訳だ。

今の私は、新婚で旦那と2人の生活だ。そんな【今】だからこそ、【互いの人生】【互いの時間】を大事に過ごしたいと、改めて強く思った。同じ屋根の下に暮らしていても、夫婦でも、【お互いがお互いの人生】な訳だ。だから『互いに互いの人生を充実させて、幸せに』生きていきたい。私は、そんな自分になりたい。
その為にはもちろん【私が私の人生を生きる】ってことが、大前提。それも立派な【私の夢】だと正直思う。夢だけど、課題でもある。『課題を乗り越えて、夢を叶えて』その結果【自分で自分の幸せを掴み取る】みたいな。それがきっと【私が私の人生を生きる】ってこと。今の私よりも、更にもっと意識して過ごしたい気持ちになった。

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