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暗殺と政治と政策:GIGAスクール構想のアフターは現場任せですか

物騒なタイトルだなぁ~。

昨日のNHK大河ドラマ「青天を衝け」のラストは、徳川慶喜を支えた平岡円四郎の暗殺。享年43歳。「タラレバ」だが、彼が生きて慶喜を支え続けていたら歴史も変わっていただろうと言われるほどの影響力をもち、彼が見出した渋沢栄一は「この人は全く以て一を聞いて十を知るといふ質で(中略)暗殺せられてしまうやうになつたのも、一を聞いて十を知る能力のあるにまかせ、余りに他人のさき廻りばかりした結果では無からうかとも思ふ。」と回顧しているらしい(Wikipediaより)。それだけ有能な人物だったのだろう。

私がいつも幕末ドラマを観て共通して思うことは、この時代を動かそうとした多くの藩主、藩士、幕府側の人間…彼らはこれからの「日の本」を良くする(守る)ためには、本気で自分の命をかけて動いていた事実である。それは江戸や京だけを中心に起きていたことではなく、全国津々浦々に共通することだったはず。坂本龍馬はその代表的アイコンだが、名も知れていなくとも日本の未来を想いながら志半ばで命を落とした優秀な者たちが何十人も何百人もいたのだ。

では単純に。「暗殺を覚悟しろ!」とは言わないが、現代政治で、政策を動かす者たちの間で、「命がけで」未来を考えて何かを計画もしたり動かしたりしている人たちがどれぐらいいるのだろうか。

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(2020年03月14日ブログより)

タイトル:教育(だけではない)におけるICT後進国「ガラパゴス日本」

皆さんはこのブログを「PC」で見ていますか。それとも「スマホ」で見ていますか。

昨年12月、補正予算案に約2000億円を盛り込み、全国の児童生徒向けの1人1台学習用端末と、高速大容量の通信ネットワークを一体的に整備するための「GIGAスクール構想」が閣議決定されました。
https://www.mext.go.jp/a_menu/other/index_00001.htm
私たちが聞きなれている「ギガ数」のギガではなく、Global and Innovation Gateway for Allの略です。来るSociety 5.0時代に生きる未来の子どもたちのための政策…

って、遅いです!!!日本は世界OECD加盟国の中でも底辺を彷徨うICT後進国。Windows95以前に義務教育を受けて(受け終わっていて)パソコンに触れないまま大学に入った我々世代と比べても、幸運にも小学校でPC教育を受けたにも関わらず「PCが使えない大学生」が近年でも話題になっておりました。
https://archive.is/wJjOf
それもこれも「スマホちゃん」が、「タブレット君」が、本当に本当に便利だからというのが要因の一つ!
※どっちが「ちゃん」でも「君」でもいいですが、かわいくてたまりませんよね。

初代iPhoneが2007年にアメリカで、そして2008年に3Gが日本で発売されてから、我々のIT価値観はガラッと変わりました。ガラケーを元カノとして葬り、あっさりと高スペックな恋人に乗り換え、日々それなしでは生きられない…我が子を保育園に預けて仕事に向かうことは違和感がなくても、スマホ(私はiPad mini派)なしで仕事に向かうそれといったら…家に忘れた日にはもはやパニック状態です。

ただこの流れの中で、私たちは「PCは用途が違うから、それはそれで愛さなければならない恋人」であることを忘れて、「スマホ万歳・PC不要ガラパゴス日本」への道を進んでしまったのではないでしょうか。

娘の東京の小学校は、このGIGAスクール構想の先駆けで区のパイロット校に指定され、小学校入学と同時に一人一台タブレットを支給されて授業に導入してきました。
小学校1年生~6年生まで。30数人学級が12クラス。結構な予算がついています。もちろん学校中どこででも使えるようにWi-Fi環境もバッチリ整えて。
そして授業だけではなく、週に一回の朝の活動(読書や全校集会に利用している朝の時間)に「タブレットタイム」というものを設け、児童が自由にタブレットを利用できるようにしています。
クラスによっては、休み時間の使用も認められており、「気になったことがあったら、いつでも手を伸ばしてタブレットを使用できる環境づくり」を実践しているそうです。

ところが。
Yahoo!キッズという子供向け検索サイトしか使える設定ではないタブレットからも、「進化を続ける」子どもたちは徐々に使い方を覚え、そこからついにゲームができる道を発見!なんとクラスの9割の子が休み時間も外に出ずにタブレットに食い入るようにのめり込んだ時期が。
正直、私の方針とは真逆(「ググらずに調べる」の記事を読んでいただければお分かりかと)のもの。子どもは小さければ小さい程、「本物」に触れなければならない!虫の種類を調べるくらいなら、その虫に触って欲しい(種類にもよるけど!!!)。…そう思って本当なら担任の先生「せめて休み時間ぐらいは禁止してほしいのですけど…」と言いたいのをぐっと堪え(モンペ認定は嫌だしなぁ…と気弱に)しばらく様子を見ることに。
結局。今時の子どもは家でも十分にIT機器に触れているからか、学校の休み時間ぐらいは友達と鬼ごっこや折り紙、図書館に本を借りに行く方が楽しいということに気が付き、徐々にゲームブームは去り最後は2,3人の男の子しかゲーム三昧休み時間を送ることがなくなったとか。
思わず先生に「そうなることを分かって許していたのですか?」と教育的な興味から思わず聞いたところ、「いや~、そこまで深い考えはありませんでしたが、どうせ飽きるなとは思っていました」と苦笑いしていました。厳しい(時には軍曹みたいに怖い!)女性の先生ですが、子どもたちの心をしっかりつかんだ尊敬すべきベテラン教師です。

という、一人に一台「無償で」配布されている大変大変ありがたい恵まれたお話ではありますが、私はなんで「パソコン」じゃないのだろう…と非常に残念に思っています。だってPCとスマホ(ここではタブレットもあえて含んで)は、「用途」が違うから。

この記事を読んでくださっている多くの奄美の保護者の皆様も、「私はPCが苦手~」「持ってもいないわ!」「え!スマホで十分でしょ!」と思う方も多いかと…
ですが、子どもが「スマホだけでOK、PCなんていらない!」まま今後成長してしまうことには、シンプルに考えただけでも下記のディスアドバンテージがあるのではないかと思うのです。

①非効率的。フリック入力(スマホ)とブラインドタッチのスピードと効率を考えればその差は歴然。スマホのアプリを操作してできることと、PCのソフトウェア(しかもマウスも)使ってやれることのパフォーマンスを比較してもけた違い。
②PCはどうしても仕事に必須。マイクロソフトのアプリケーション(Word、Excel、PowerPoint)が使いこなせない会社員は、「文書が書けない」「表計算ができない」「プレゼン資料を作れない(プレゼンができない)」と言っていることと同じ。しかも分野ごとにおける専門ソフト(CADや解析ソフト、会計ソフトなど)はPCスキルなしではできない。今後小中学校に触りだけとは言え導入されるプログラミング教育にしても、その先のレベルに進みたい場合はどうしてもコーディングを覚えてPCを使いこなす必要がある。
そして、「2020年の教育改革」の根幹となる「主体的学び」に影響を及ぼすこととして、
③スマホ・タブレットは「受け身」のIT機器である。情報収集(インプット)にはどこででもいつでも使えるから最適ではあるが、こちらから何らかのものを「創作・創造」し、「発信」する(アウトプット)には、どうしてもPCが必要。「アクティブ(能動的)」になるツールであるため、ブラインドタッチや加工技術は必須。

もちろんこれは今後の技術次第で多少は変化もあるでしょうし、すでにiPad Proなどの機器にキーボードを付けてしまえば、PCに負けない(むしろもっと創造的な)ことができることはわかっています。PC不要意見は結構ありますし。ホリエモンなんて全否定(笑)
https://newspicks.com/news/1704169/

ただ、根強い意見、そして現実としては「PC=仕事力」「スマホ・タブレット=プライベートや趣味」という分け方は存在するので、まだまだPCスキルは必要です。
大手メーカーから4大コンサルティングファームに転職した娘の友達のパパは、転職後の研修で「マウスを使わずに〇〇分以内で〇〇枚のパワポスライドを作成する」という課題を毎日課されて、レベルアップさせられていました。
コンサルタントにとって、パワポで自分たちの頭脳をクライアントに売るのは生命線ですから当然なのでしょうけど、マウスなし!ひー!

また、世界的な「OECD学習調達度調査」では2015年からPC使用型調査となったために「日本の生徒がPCに不慣れだったために結果が伴わなかった」という分析結果もあったため、それも先に紹介した「GIGAスクール構想」に間接的に結びついたはず。
やはり国が危機感を感じていることは間違いないでしょう。「日本の子どもは賢いが、コンピューターが使えない」と評価されていますので。
https://www.huffingtonpost.jp/satoshi-endo/pisa-japanese-children-pc-skill_b_14094274.html

ですがいくら学校教育に機器を導入しても、親が買い与えても、その中で教員や親たち側が使用経験不足だと、または「そんなの必要がない!」と切り捨ててしまうと、子どもたちの可能性を摘んでしまうことになってしまうはず。

「BYOD」(Bring Your Own Device)といって、北欧や欧米では学校に自分のIT機器を持ち込むことも普通になっているし、日本の企業でも会社から支給するのでは二台持ちになってしまって非効率だから、自分の機器を仕事にも使ってもらい、その代わりに使用料をカバーするような動きもあります。
子ども用のパソコンも販売されているし、安いPCを「壊されてもいい」覚悟で(笑)、「ほら、自由に使ってみなさい」と与えるのも手かもしれません。

ガラパゴスにいつまでもいると、独自の進化は遂げますが、外との「競争力」を失います。
もしPCが苦手だとしても、完璧に「使いこなす」必要はありません。スマホやタブレットを与えて「自由にYouTubeでも観ていたら?」というよりも、一緒にブラインドタッチゲームで競ったり、なんならプログラミングの初歩的なものもチャレンジしても面白いかも!
(WEBで検索すれば、無料のフリーソフトや有料ソフトなど、たくさん見つけることができます)

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とまあ、こんな感じで2020年真っただ中の時は、日本のガラパゴスICT教育を憂いていたし、時間がかかりすぎることにイライラしていた。特に奄美は生態系はガラパゴスでもいいけど、離島の不利な教育格差を是正できるのはICTの活用なのに、そこに気づいてもらえない。特に「PCを使えないこと」に関しては、かなりのフラストレーションだ。ま、東京でも実際に親がPTA役員を逃げる常套手段で「私PC使えないんで~」と言い訳をしたり、LINE依存による文章作成力の低下は起きている現象だし…とにかくPCが使えないことによる弊害を早く解消したい!(あくまで「紙ベース」で学習することと「ICT機器」で学習することを同等に考えているわけではなく、「スキル」としてのPCが世界水準で必須という意味)。

だが、昨年2020年度は予想に反してGIGAスクール構想は「コロナ」という暗殺者に追いかけられる形で否が応でも推し進められた!びっくり!国内全自治体等のうち 1,769自治体等(97.6 %) が令和2年度内に納品を完了する見込み(速報値)、完了できなかった残りの自治体でもほぼすべてが令和3年度内に追いつく予定であるという(令和3年3月文部科学省初等中等教育局発表)。

私が後日アーカイブで視聴した「アフターGIGAスクールの学校とEdTech」「EdTech業界 2020年振り返り&2021年大予測」(ReseMom「教育ICTEXPO2021」サイトより)によれば、このGIGAスクール構想を推し進めてきた民間事業者・関係者の苦労・裏話があったようで、例えば初めて予算提案を持ち込んだ時は5000億を主張したのに、文科省は実証実験ぐらいにしか考えておらず、財務省に200億しか取り付けることができなかったと説明されたこと。5年かけて完了すればいい…(実際の構想では令和5年度までにと明記)という感覚だったこと。そして彼ら民間事業者・関係者は「端末を持ち帰ることを可とすること」というこだわりがあった…らしい。

この人たちはきっと「本気で日本のICT教育を憂いて」推進してくれたのだろう。だが「EdTech」の関係者たちも(教育(Education)× テクノロジー(Technology)を組み合わせ)、教育領域にイノベーションを起こすビジネス、サービス、スタートアップ企業である。「自分たちは良い未来を、良い教育システムを創り出せる」と信じていても、利害関係はもちろんあるはず。お金を生み出す都合が出てくるから当然だし、それを否定はできない。

でもなんか、なんか、心が追いつけない自分がいる。それは多分「コロナ」という暗殺者が切りまくったせいで、現場や親や子どもたちは心も自覚も追いつかないままに教育の明治維新を迎えてしまい、勘違いしたままで散切り頭にされて洋服を着せられた感が否めないからか。例えば先のブログのとおり、娘の学校は区のパイロット校であったために3年も前に全員がタブレットを配られていたが、今回のGIGAスクール構想の予算で区が残りの他の学校すべてにiPadを配布してそれらを持ち帰って宿題に使えるようにした。それを「ウチの学校だけ(iPadじゃなくて、契約上持ち帰りできなくて)すっごい損じゃない?」と愚痴っているママもいる。iPadじゃなくたって死にはしない。大した違いもない。さすがにまたコロナで休校になった時に持ち帰りができない!となれば、去年の状況とは違うのだからその時こそ騒げばいい。あれはあくまでツールでしかないのだ。勘違いをしてはいけないはず。

思い出すのは私が高校の教員だったころ。ちょうど電子辞書がはやり始めていて、「電子辞書容認か紙の辞書マストか」で教員間でも分かれた議論。今考えると問題はそんなことではなかった。今や我々が昔やった「単語帳」を作って必死にめくって覚える勉強法も、蛍光ペンで綺麗に教科書に線を引く勉強法も、その効果が疑われている。電子辞書で単語を引いても紙で引いても、そこが問題なのではなく、その単語を覚えて使いこなして、自分のものにできるかどうかが問題なのだ。(すみません!ここまで主張しておいて「紙」の良さを主張したい自分がいるけど、それはまた別途)

政治家のみなさん、政策立案者のみなさん、そして強い影響力を持つステークホルダーのみなさん。教育の明治維新を「命がけ」でやってくれているだろうか。「そんなことを言うなら、自分がやれよ!」と言われそうだけど、残念ながらそういう役割を担う人生を歩んでこなかった私は、皆さまの「国の未来を想う心」に頼る・期待するしかない。

私の思い通りにならないからといって誰かを「暗殺」するつもりはないし、できない笑。でもマクロでもミクロでも、この2020年のコロナ教育維新を真に理解して変化に対応し、「一を聞いて十を知る」ことがでいなくても、一つ一つを積み重ねていかないと、「変えた・変えられた」意味がない。似合わない散切り頭と洋装でも、ICTという「ツール」を血税で与えてもらったのならば、子どもを想って先生も親も必死に有効に使わないと意味がない。

ランドセルにタブレットを入れて帰らなくてはいけなくなった分、「肩こり持ち」の子どもたちが増える現象が起きるだけでは避けたい。可哀想すぎる。

KYHR/SLA







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