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第52帖 浮舟(うきふね)

内容

第1章 放置

 兵部卿の宮は美しい人をほのかに御覧になったあの秋の夕べのことをどうしてもお忘れになることができなかった。たいした貴族の娘ではないらしかったが婉嬋とした美貌の人であったと、好色な方であったから、それきり消えるようにいなくなってしまったことを残念でたまらぬように思召しては、夫人に対しても、
「何でもない恋の遊戯をしようとするくらいのことにもあなたはよく嫉妬する、そんな人とは思わなかったのに」
 こんなふうにお言いになり、怨みをお洩らしになるおりおり、中の君は苦しくてありのままのことを言ってしまおうとも思わないではなかったが、妻の一人としての待遇はしていないにもせよ軽々しい情人とは思わずに愛して、世間の目にはつかぬようにと宇治へ隠してある妹の姫君のことを、お話ししても宮の御性情ではそのままにしてお置きにはなれまい、女房にでもそうした関係を結びたくおなりになった人の所へは無反省にそうした人の実家へまでもお出かけになるような多情さがおありになるのであるから、これはまして相当に月日もたつ今になっても思い込んでお忘れになれない相手であっては、必ず醜い事件をお起こしになるであろう、ほかから聞いておしまいになればそれはしかたがない、大将のためにも姫君のためにも不幸になるのを知っておいでになっても、それに遠慮のおできになる方ではないから、そうした場合に姫君が他人でない点で、自分は多く恥を覚えることであろう、何にもせよ自分のあやまりから悪いほうへ運命の進む動機は作るまいと反省して、宮の恋に同情はしながらも姫君の現在の境遇を語ろうとしなかった。上手な嘘で繕うことはできない性質であったから、表面は良人を恨み、深い嫉妬を内に抱いている世間並みの妻に見られているほかはなかった。
 薫の大将は恋人を信じて逢うことにあせりもせず、待ち遠に思うであろうと心苦しく思いやりながらも、行動の人目につきやすい大官になっている身では、何かの名目ができなくては行きにくい宇治の道であった。「恋しくば来ても見よかし千早振る神のいさむる道ならなくに」と抽象的に言われたその道よりもこの道のほうが困難であると言わねばならない。けれどもそのうちに自分は十分にその人をいたわる方法を考えている、宇治へ行って見る時に覚える憂鬱を消すためにその人を置いておきたいと思ったのが最初の考えなのであるから、しばらく滞留していてよい口実を作り、近いうちにゆるりとした気持ちで行って逢おう、そうして当分は隠れた妻としておき、彼女の心にも不安を感じさせないようにしてやり、自分のために非難の声が高く起こらないふうにして妻であることを自然に世間へ認めさせるのがよいであろう、にわかにだれの娘か、いつからというようなことを私議されるのも煩わしく初めの精神と違ってくる、また二条の院の女王に聞かれても、思い出の山荘から、身代わりの人さえ得ればよかったのであるというようにつれて出て、昔をもう念頭に置いていないように見えるのも不本意であると思い、恋しい心をおさえているのも、例の恋に呑気な性質だったからであろう。しかし京へ迎える家は用意して、忍んで作らせていた。少し心の暇が少なくなったようであるがなお二条の院の夫人に尽くすことは怠らなかった。これを知っている女房などは不思議にも思うのであったが、世の中というものがようやくわかってきた中の君にはこうした薫の誠意が認識できるようになり、これこそ恋した人を死後までも長く忘れない深い愛の例にもすべき志であると哀れを覚えさせられることも少なくないのであった。世の信望を得ていることも多くて、官位の昇進の目ざましい薫であったから、宮があまりにも真心のない態度をお見せになったりする時には、不運な自分である、姉君の心にきめたままにはなっていないで、陰で多くの煩悶をせねばならぬ妻になっていると、こんなことも思われた。けれども逢って話などをすることはもうあまりできないようになっていた。宇治時代と今とはあまりにも年月が隔たり過ぎ、どんな情誼を結んでいる二人であるとも知らぬ人は、身分のない人たちの間では世話になった、世話をしたというくらいのことでいつまでも親しみ合っていて、それが穏当に見える、こうした高い貴族の中では例のないことであるなどと誹謗するかもしれぬという遠慮もあり、宮が続いてこの交情に疑いを持っておいでになるのが今になっていよいよ煩わしく思われもする心から、自然うとうとしいふうを見せていくようになったのであるが、薫のほうではそれにもかかわらず、好意を持ち続けた。宮も多情な御性質がわざわいして情けなく夫人をお思わせになるようなことも時々はまじるが若君がかわいく成長してくるのを御覧になっては、他の人から自分の子は生まれないかもしれぬと思召し、夫人を尊重あそばすようになり、隔てのない妻としてはだれよりもお愛しになるため、以前よりは少し物思いをすることの少ない日を中の君は送っていた。
 正月の元日の過ぎたあとで宮は二条の院へ来ておいでになって、歳の一つ加わった若君をそばへ置き愛しておいでになった。午ごろであるが、小さい童女が緑の薄様の手紙の大きい形のと、小さい髭籠を小松につけたのと、また別の立文の手紙とを持ち、むぞうさに走って来て夫人の前へそれを置いた。宮が、
「それはどこからよこしたのか」
 とお言いになった。
「宇治から大輔さんの所に差し上げたいと言ってまいりました使いが、うろうろとしているのを見たものですから、いつものように大輔さんがまた奥様へお目にかけるお手紙だろうと思いまして、私、受け取ってまいりました」
 せかせかと早口で申した。
「この籠は金の箔で塗った籠でございますね、松もほんとうのものらしくできた枝ですわ」
 うれしそうな顔で言うのを御覧になって、宮もお笑いになり、
「では私もどんなによくできているかを見よう」
 と言い、受け取ろうとあそばされたのを、夫人は困ったことと思い、
「手紙だけは大輔の所へ持ってお行き」
 こういう顔が少し赤くなっていたのを宮はお見とがめになり、大将がさりげなくして送って来た文なのであろうか、宇治と言わせて来たのもその人の考えつきそうなことであると、こんな想像をあそばして、手紙を童女から御自身の手へお取りになった。さすがにそれであったならどんなことになろう、夫人はどんなに恥じて苦しがるであろうとお思いになると躊躇もされるのであって、
「あけて私が読みますよ。恨みますか、あなたは」
 とお言いになると、
「そんなもの、女房どうしで書き合っています平凡な手紙などを御覧になってもおもしろくも何ともないでしょう」
 夫人は騒がぬふうであった。
「じゃあ見よう。女仲間の手紙にはどんなことが書かれてあるものだろう」
 とお言いになり、あけてお見になると、若々しい字で、
その後お目にかかることもできませんままで年も暮れたのでございました。山里は寂しゅうございます。峰から靄の離れることもありませんで。
 などとある奥に、
これを若君に差し上げます。つまらぬものでございますが。
 と書いてある。ことに貴女らしいふうも見えぬ手紙ではあるが、心当たりのおありにならぬために、また立文のほうを御覧になると、いかにも女房らしい字で、
新年になりまして、そちら様はいかがでいらっしゃいますか。御主人様、また皆様がたにもお喜びの多い春かと存じ上げます。ここはごりっぱな風流なお邸ですが、お若い方にふさわしい所とは思われません。つれづれな日ばかりをお送りになりますよりは、時々そちら様へお上がりになって、お気をお晴らしになるのがよろしいと存じ上げるのですが、あのめんどうなことの起こりました日のことで恐ろしいように懲りておいでになりまして、あいかわらずめいったふうでおいでになります。若君様へこちらから卯槌を差し上げられます。そまつな品ですから奥様の御覧にならぬ時に差し上げてくださいと仰せになりました。
 こまごまと、年の初めの縁起も忘れて、主人のことを哀訴している、かたくならしい心も見える手紙を、宮は何度となく読んで御覧になり、怪しく思召して、
「もう言ってもいいでしょう、だれの手紙ですか」
 と夫人へお言いになった。
「以前あの山荘にいました人の娘が、訳があってこのごろあそこにいるということを聞いていました。それでしょう」
 この答えをお聞きになった宮は、普通の二人の女房が同じ階級の者として一人のことの言われてある文章でもないし、めんどうが起こったと書いてあるのは、あの時のことをさして言うに違いないとお悟りになった。卯槌が美しい細工で作られてあるのは、閑暇の多い人の仕事と見えた。またぶりに山橘の実を作ってならせてあるのへ付けてあったのは、

まだふりぬものにはあれど君がため深き心にまつとしらなん
(まだ古木にはなっておりませんが、あなたの成長を心から深く期待しています)

 こんな平凡な歌であったが、常に心にかかっている人の作であるかもしれぬということで興味をお覚えになった。
「返事を書いてあげなさい。無情じゃありませんか。隠す必要もない手紙を私が見ただけだのに、なぜ機嫌を悪くしたのですか、では私はあちらへ行こう」
 こんな言葉を残して宮は夫人の居間から出てお行きになった。中の君は少将などに、
「宮様に見られてしまって、あの人がかわいそうだったね。小さい子が使いから受け取ったのだろうけれど、だれも気がつかなかったのかねえ」
 ひそかにこんなことを言っていた。
「私どもが気がついておりましたなら、どうして持たせて差し上げなどするものでございますか、全体この子はあさはかに出過ぎる子でございます。将来のことは子供の時を見てよく想像されるものですが、おっとりとしています子には見込みがございますけれど」
 などと憎むのを見て、
「まあそんなに言わないでね。子供に腹をたてるものではない」
 と夫人は制した。去年の冬にある人から童女として奉公させた子であるが、顔のきれいなために宮もかわいがっておいでになった。
 御自身の居間のほうへおいでになった宮は、不思議なことでないか、あれからのちも宇治へ行くことを大将はやめないと聞いていたが、そっと泊まる夜もあると人が言った時に、深い恋をした人の面影の残る山荘だからといっても、ああした所に宿泊までするのかと思ったのは、こうした新しい情人を隠していたためなのであろうと、思い合わされることもおありになって、学問のほうの用で自邸でもお使いになる大内記が、薫の家の人によるべのあることをお思い出しになり、居間へお呼びになった。韻塞をされるはずになっていたから、詩集のしかるべきものを選んでここの棚へ積んでおくことなどをお命じになったあとで、
「右大将が宇治へ行かれることは今でも同じかね。寺をりっぱに作ったそうだね。一度見たいものだ」
 こんな話をおしかけになった。
「たいへんなものでございます。不断の三昧堂などもけっこうな設計でお作らせになったと申すことを聞きました。宇治へおいでになりますことは昨年の秋ごろから以前よりもはげしくなったようでございます。下の者のそっと申しておりますのを聞きますと、愛人を隠しておいておありになるようでございます。かなり大事にしていられる人らしゅうございます。大将のあのへんのあちらこちらの荘園の者が皆仰せで山荘の御用を勤めております。代る代る宿直をおさせになったりもするようです。京のお邸からも、そっと目だたせずに入り用な物品を山荘へ送らせておいでになります。どんな幸運の人が、しかしながら心細い山荘住まいをさせられておいでになるのだろうと、この話を十二月に聞いたと私に話した者は言いましてございます」
 と大内記は言った。すべてがこれで明らかになったと宮はお喜びになった。
「どういう人と言っていなかったかね、あの山荘にもとからいる尼のめんどうを大将は見てやっていると聞いたが、そのまちがいではないだろうね」
「尼さんは廊の座敷に住んでおります。その方は今度建ちました御殿のほうに、きれいな女房などもたくさん使って、品よく住んでおいでになるようでございます」
「おもしろい話だね、どういうつもりで、どこの婦人をそうして隠しているのだろう。なんといってもあの人のすることは特色があるね、左大臣などはあの人があまりに宗教に傾き過ぎて、山の寺などに夜さえも泊まることをするのは、身分柄軽率な譏りを受けることだと非難をしておられると聞いたが、実際は信仰のための微行などというものはできるものではない、やはり昔の恋人の家であるから、それに心が惹かれて行くのだと私に言う者もあった。それがまた当を得た解釈ではなかったのだね、愛人を隠してあるなどとは驚くね。君はどう思う。だれよりも自分はまじめな人間であると標榜している人が、そんな常識で想像もできぬようなことを仕組んで愛人をそっと持つなどということは」
 と宮はおかしそうにお言いになった。大内記は右大将の家に古くから使っている家司の婿であったから秘密な話も耳にはいるのであろう。宮のお心の中では、どんな策を用いてその薫の愛人をあの夕べの女であるか、そうでないかと見きわめたらいいであろう、あの大将がそれほどに大事にしておく人はひととおりな美人ではあるまい、またその女が自分の妻とどういう関係で親しいのであろうとお思われになり、薫と心を合わせて夫人があくまで隠そうとしていることがねたましく、いささか不快なことにもお思われになった。

第2章 声まね

 それ以来兵部卿の宮は宇治の女のことばかりがお思われになった。宮中の賭弓、内宴などが終わるとおひまになって、一月の除目などという普通人の夢中になって奔走してまわることには何のかかわりもお持ちにならないのであるから、微行で宇治へ行ってみることをどう実現さすべきであるかとばかり腐心しておいでになった。大内記は除目に得たい官があってどうかして宮の御歓心を得ておこうと夜昼心を使っているころであったのを、宮はまた好意をお見せになって、おそばの用に始終お使いになり、ある時、
「どんな困難なことでも私の言うことに骨を折ってくれるだろうか」
 とお言いだしになった。内記はかしこまって頭を下げていた。
「この間の話の大将の宇治に置いてある人ね、それは以前に私の情人だった女で、ある時から行くえ不明になっているのが、大将に愛されてどこかへ囲われているという話をこの間聞いてね、確かにその人かどうかをほかに分明にする手段はないから、あそこへ行って、ちょっとした隙間からのぞくようにして見定めたいと思うのだ。それを少しも人に気どらせないでする方法はどういうふうにすればいいだろう」
 宮はこうお言いになるのであった。めんどうの多い仰せであるとは思うのであるが、
「宇治へおいでになりますのには荒い山越しの路を行かねばなりませんが、距離にいたせばさほど遠いわけではございません。夕方お出ましになれば夜の十時ごろにはお着きになることができましょう。そして夜明けにお帰りになればよろしいでしょう。人に秘密を悟られますのは供の口から洩れるのが多いのでございますが、それも侍たちの性質などはちょっとわかりかねますから、人選がむずかしいのでございます」
 と申した。
「そうだ。宇治へは昔も一、二度行った経験がある。軽率なことをすると言われることで遠慮がされるのだよ」
 とお言いになりながら返す返すもしてよい行動ではないと自身のお心をおさえようとされたのであるが、もうこんなことまで言っておしまいになったあとではおやめになることができなくなり、お供には昔もよく使いに行き、宇治の山荘の勝手をよく知った者二、三人、それから内記、乳母の子で蔵人から五位になった若い男と、特に親しい者だけをお選びになり、大将は今日明日宇治へ行くことはないというころを、薫の家の内部の消息のよくわかる内記に聞いてお置きになってお出かけになる兵部卿の宮であったが、覚えのある路をおとりになるにつけても昔がお思い出されになり、あやしいまでに何事も打ちあけ合う友情を持ち、自分を伴って恋人の家へ入れてくれたほどの好意を知らず顔に、その人へ済まぬ心を起こして同じ宇治へ行くと、悩ましい気持ちを覚えておいでになった。京の中でも、浮気な方とは申せ、極端な微行は経験しておいでにならないのであるが、簡単なお身なりをあそばして、大部分はお馬でおいでになることになっていた。お気持ちも無気味で、恐ろしくさえおありになるのであるが、好奇心の人一倍多い方であったから、山路を深く進んでおいでになったころには、こうして行ってその人を見ることができたらどんなにうれしいであろう、のぞくだけで自分の行ったことを知らせる方法がなかったら物足らぬ気がするであろうとお思いになるとまた胸が鳴った。法性寺のあたりまではお車で、それから馬をお用いになったのである。
 急いでおいでになったため、宮は九時ごろに宇治へお着きになった。内記は山荘の中のことをよく知った右大将家の人から聞いていたので、宿直の侍の詰めているほうへは行かずに、葦垣で仕切ってある西の庭のほうへそっとまわって、垣根を少しこわして中へはいった。聞いただけは知っていたが、まだ来たことのない家であって、たよりない気はしながら、人の少ない所であるため、庭をまわり、寝殿の南に面した座敷に灯のほのかにともり、そこにそよそよと絹の触れ合う音を聞いて行き、宮へそう申し上げた。
「まだ人は起きているようでございます。ここからいらっしゃいまし」
 と内記は言い、自身の通った路へ宮をお導きして行った。静かに縁側へお上がりになり、格子に隙間の見える所へ宮はお寄りになったが、中の伊予簾がさらさらと鳴るのもつつましく思召された。きれいに新しくされた御殿であるが、さすがに山荘として作られた家であるから、普請が荒くて、戸に穴の隙などもあったのを、だれが来てのぞくことがあろうと安心してふさがないでおいたものらしい。几帳の垂帛を上へ掛けて、それがまた横へ押しやられてあった。灯を明るくともして縫い物をしている女が三、四人いた。美しい童女は糸を縒っていたが、宮はその顔にお見覚えがあった。あの夕べの灯影で御覧になった者だったのである。思いなしでそう見えるのかとお疑われにもなったが、また右近とその時に呼ばれていた若い女房も座に見えた。主君である人の、肱を枕にして灯をながめた眼つき、髪のこぼれかかった額つきが貴女らしく艶で、西の対の夫人によく似ていた。宮のお見つけになった右近は服地に折り目をつけるために身をかがめながら、
「お宅へお帰りになりましたら、早くおもどりになることは容易ではございませんでしょうが、殿様は除目にお携わりになったあとで、来月の初めには必ずおいでになりましょうと、昨日の使いも申しておりました。お手紙にはどう書いていらっしったのでございますか」
 と言っていたが、姫君は返辞もせず物思わしいふうをしている。
「おいでになります時にわざとおはずしになったようになりましてもよろしくございません」
 と、また言うと、それと向き合っている女が、
「そう申し上げてお置きになりませんではいけませんね。お詣りをなさいますことをね。軽々しくそっとお外出をなさいますことも今はもうよろしくないと思います。そしてお詣りが済めばすぐにおもどりなさいまし。ここは心細いお住居のようですが、気楽で、のんびりとした日送りに馴れましたから、お宅はかえって旅の宿のような気がして苦しゅうございましょうよ」
 とも言う。また一人が、
「まあ当分はお動きにならずに、殿様の思召しのままここでごしんぼうをしていらっしゃるのがおおようで、お品のいいことではないでしょうか。京へお呼び寄せになりましたあとで穏やかに親御様にもお逢いあそばすことになさいませよ。ままさんが性急ですからね、急にお詣りをおさせしてお宅のほうへもお寄りさせようと、こんなことを独りぎめにきめてお宅へ言ってあげたのがよくないと思います。昔の人だって今の人だってもよくしんぼうをして気のゆるやかに持てる人が最後の勝利を占めていると私は思うのですよ」
 こんなことも言っている。
「どうしてままをここまで来させたのでしょう。あちらへ置いて来るべき人をね。老人というものはよけいなことまでも考え出すものだのに」
 右近のにがにがしそうにこう言うのは、乳母というような人の悪口かとも聞こえた。そうだ、差し出者がいたのだったとお思い出しになる宮は夢を見ている気があそばされた。女たちは聞く者が恥ずかしくなるようなことまで言い合って、
「二条の院の奥様はほんとうに御幸福な方ね。左大臣様は権力にまかせて大騒ぎになるのだけれど、若様がお生まれになってからは女王様の御寵愛が図抜けてきたのですもの。ままのようなうるさい人がおそばにいないでゆったりと上品に奥様らしく皆がおさせしているのがいい効果を見せたのですよ」
「殿様さえ奥様を深くお愛しになれば、こちらもお劣りになるものですか」
 こんなことの言われた時、姫君は少し起き上がって、
「醜いことは言わないでね。よその人には劣らない人になりたいとか何とか思っても、女王様のことに私などを引き合いに出して言わないでね。もしあちらへ聞こえることがあれば恥ずかしい」
 と言った。どんな血族にあたる人なのであろう、よく似た様子をしているではないかと宮は比べてお思いになるのであった。気品があって艶なところはあちらがまさっていた。この人はただ可憐で、こまごまとしたところに美が満ちているのである。たとえ欠点があっても、あれほど興味を持って捜し当てたいとお希いになった人であれば、その人をお見つけになった以上あとへお退きになるはずもない御気性であって、まして残る隈もなく御覧になるのは、まれな美貌の持ち主なのであったから、どんなにもしてこれが自分のものになる工夫はないであろうかと無我夢中になっておしまいになった。物詣でに行く前夜であるらしい、親の家というものもあるらしい、今ここでこの人を得ないでまた逢いうる機会は望めない、実行はもう今夜に限られている、どうすればよいかと宮はお思いになりながら、なおじっとのぞいておいでになると、右近が、
「眠くなりましたよ。昨晩はとうとう徹夜をしてしまったのですもの、明日早く起きてもこれだけは縫えましょう。どんなに急いでお迎いが京を出て来ましても、八、九時にはなることでしょうから」
 と言い、皆も縫いさした物をまとめて几帳の上に懸けたりなどして、そのままそこへうたた寝のふうに横たわってしまった。姫君も少し奥のほうへはいって寝た。右近は北側の室へはいって行ったがしばらくして出て来た。そして姫君の閨の裾のほうで寝た。眠がっていた人たちであったから、皆すぐに寝入った様子を見てお置きになった宮は、そのほかに手段はないことであったから、そっと今まで立っておいでになった前の格子をおたたきになった。右近は聞きつけて、
「だれですか」
 と言った。咳払いをあそばしただけで貴人らしい気配を知り、薫の来たと思った右近が起きて来た。
「ともかくもこの戸を早く」
 とお言いになると、
「思いがけません時間においでになったものでございますね。もうよほど夜がふけておりましょうのに」
 右近はこう言った。
「どこかへ行かれるのだと仲信が言ったので、驚いてすぐに出て来たのだが、よくないことに出あったよ。ともかくも早く」
 声を薫によく似せてお使いになり、低く言っておいでになるのであったから、違った人であることなどは思いも寄らずに格子をあけ放した。
「道でひどい災難にあってね、恥ずかしい姿になっている。灯を暗くするように」
 とお言いになったので、右近はあわてて灯を遠くへやってしまった。
「私を人に見せぬようにしてくれ。私が来たと言って、寝ている人を起こさないように」
 賢い方はもとから少し似たお声をすっかり薫と聞こえるようにしてものをお言いになり、寝室へおはいりになった。ひどい災難とお言いになったのはどんな姿にされておしまいになったのであろうと右近は同情して、自身も隠れるようにしながらのぞいて見た。繊細ななよなよとした姿は持っておいでになったし、かんばしいにおいも劣っておいでにならなかった。嘘の大将は姫君に近く寄って上着を脱ぎ捨て、良人らしく横へ寝たのを見て、
「そこではあまりに端近でございます。いつものお床へ」
 などと右近は言ったのであるが、何とも答えはなかった。上へ夜着を掛けて、仮寝をしていた人たちを起こし、皆少し遠くへさがって寝た。
 薫の従者たちはいつでもすぐに荘園のほうへ行ってしまったので、女房などはあまり顔を知らなんだから、宮のお言葉をそのままに信じて、
「深いお志からの御微行でしたわね。ひどい目におあいになったりあそばしてお気の毒なんですのに、お姫様は事情をご存じないようですね」
 などと賢がっている女もあった。
「静かになさいよ。夜は小声の話ほどよけいに目に立つものですよ」
 こんなふうに仲間に注意もされてそのまま寝てしまった。
 姫君は夜の男が薫でないことを知った。あさましさに驚いたが、相手は声も立てさせない。あの二条の院の秋の夕べに人が集まって来た時でさえ、この人と恋を成り立たせねばならぬと狂おしいほどに思召した方であるから、はげしい愛撫の力でこの人を意のままにあそばしたことは言うまでもない。初めからこれは闖入者であると知っていたならば今少し抵抗のしかたもあったのであろうが、こうなれば夢であるような気がするばかりの姫君であった。女のやや落ち着いたのを御覧になって、あの秋の夕べの恨めしかったこと、それ以来今日まで狂おしくあこがれていたことなどをお告げになることによって、兵部卿の宮でおありになることを姫君は知った。いよいよ羞恥を覚えて、姉の女王がどうお思いになるであろうと思うともうどうしようもなくなった人はひどく泣いた。宮も今後会見することは不可能であろうと思召されるためにお泣きになるのであった。
 夜はずんずんと明けていく。お供の人たちが注意を申し上げるように咳払いなどをする。右近がそれを聞いて用をするためにおいでになる所の近くへ来た。宮は別れて出てお行きになるお気持ちにはなれず、どこまでもお心の惹かれるのをお覚えになったが、そうかといってこのままでおいでになることもおできにならないことであった。京で捜されまわるようなことはあっても、今日だけはここに隠れていよう、世間をはばかるということもよく生きようがためである、自分は今別れて行けば死ぬことになるとお心をおきめになった宮は、右近を近くへお呼びになって、
「思いやりのないことと思うだろうが、今日は帰りたくない。従者らはここに近いどこかでよく人目を避けて時間を送るように。それから時方は京へ行って山寺へ忍んで参籠していると上手にとりなしをしておけと言ってくれるがいい」
 と仰せられた。右近はあさましさにあきれて、何の気なしに大将であると思い、戸をあけてお入れした昨夜の過失を思うと、気も失うばかりになったが、しいて冷静になろうとした。もう今になってはどんなに騒ぎ立てても効のないことであって、しかも御身分に対して失礼である。あの二条の院の短い時間にさえ深い御執心をあそばすふうの見えたのも、こんなにならねばならぬ二人の宿縁というものであろう、人間のした過失とは言えないことであるとみずから慰めて、
「今日は御自宅のほうからお迎いの車がまいることになっておりますのに、姫君はどうあそばすおつもりでいらっしゃるのでございましょう。こういたしました運命の現われにつきましては、私らが何を申すことができましょう。ただこの場合がよろしくございません。今日はお帰りあそばしまして、お志がございましたなら、また別なよい日をお待ちくださいまし」
 と申し上げた。世なれたふうに言うものであると思召して、
「自分は長い物思いに頭がぼけているから、人がどんな非難をしてもかまわぬ気になっている。どうしても別れて帰れないのだ。少しでも自重心が残っていれば自分のような身分の者が、これはできることと思うか。どこかへ行く迎えの車が来た時には急に謹慎日になったとでも言えばいいではないか。秘密はだれのためにも護らなければならないと考えてくれ。それよりほかのことは皆自分にできないことなのだよ」
 こうお言いになり。この相手から覚えさせられる愛着の強さをみずからお悟りになる宮は、非難も正義も皆お忘れになった。
 右近がお帰りを促している人らのほうへ出て行き、宮はこうこうお言いになると言い、
「そんなことはおよろしくないことですということをあなたがたからまた申し上げてみてください。こうした無理なことを最初仰せになりました時に、あなたがたがそれをお諫めにならなかったとはどうしたことでしょう。愚かしくどうしてお言葉どおりに御案内しておいでになったのでしょう。途中でもここでも失礼なことを申し上げる人間が出て来ましたらどんなことになったでしょう」
 とたしなめた。内記は予想したとおりに事態がめんどうになったと思いながら立っていた。
「時方とおっしゃるのはどなたですか」
「私です」
 大内記時方は笑いながら、
「ひどいお叱りですから恐ろしくて、私でないと言って逃げ出そうかと思いました。それは冗談ですが、まじめに申し上げれば、あまりにも恋いこがれておいでになりますお気の毒な宮様をお見上げしては、だれだって自身のことなどはどうなってもいいという気になりますよ。宮様のお言いつけはよくわかりました。宿直の人も皆起きましたから」
 と言い、すぐに去って行った。右近は宮がとどまっておいでになるのをどう取り繕えばいいだろうと苦しんだ。起き出して来た女房たちに、
「殿様は理由があって、今日は絶対にお姿をだれにもお見せになりたくない思召しなんですよ。途中で災難におあいになったらしい。お召し物などを今夜になってからそっとお届けさせるようにお供へお命じになるお取り次ぎを今私はしましたよ」
 などと言った。女房の一人が、
「まあこわいこと。木幡山という所はそんな所ですってね。いつものように先払いもさせずにお忍びでお出かけになったからですよ。たいへんなことだったのですね。お気の毒な」
 と言うのを、
「まあ静かにお言いなさいよ。ここの下の侍衆が聞けば、それからまたどんなことを起こすかしれませんから」
 こうまた言う右近の心の中では嘘を語るのが恐ろしかった。あやにくにこんな時に大将からの使いが来たなら、家の中の人へどうまた自分は言うべきであろうと右近は思い、初瀬の観音様、今日一日が無事で過ぎますようにと大願を立てた。石山寺へ参詣させようとして母の夫人から迎えがよこされることになっている日なのである。右近をはじめ供をして行く者は前日から精進潔斎をしていたので、
「では今日はおいでになれなくなったのですわね。残念なことですね」
 とも言っていた。
 八時ごろになって格子などを上げ、右近が姫君の居間の用を一人で勤めた。その室の御簾を皆下げて、物忌と書いた紙をつけたりした。母夫人自身も迎えに出て来るかと思い、姫君が悪夢を見て、そのために謹慎をしているとその時には言わせるつもりであった。
 寝室へ二人分の洗面盥の運ばれたというのは普通のことであるが、宮はそんな物にも嫉妬をお覚えになった。薫が来て、こうした朝の寝起きにこの手盥で顔を洗うのであろうとお思いになるとにわかに不快におなりになり、
「あなたがお洗いになったあとの水で私は洗おう。こちらのは使いたくない」
 とお言いになった。今まで感情をおさえて冷静なふうを作る薫に馴れていた姫君は、しばらくでもいっしょにいることができねば死ぬであろうと激情をおおわずお見せになる宮を、熱愛するというのはこんなことを言うのであろうと思うのであったが、奇怪な運命を負った自分である、このあやまちが外へ知れた時、どんなふうに思われる自分であろうとまず第一に宮の夫人が不快に思うであろうことを悲しんでいる時、恋人が何人の娘であるのかおわかりにならぬ宮が、
「あなたがだれの子であるかを私の知らないことは返す返すも遺憾だ。ねえ、ありのままに言っておしまいなさいよ。悪い家であってもそんなことで私の愛が動揺するものでも何でもない。いよいよ愛するようになるでしょう」
 とお言いになり、しいて訊こうとあそばすのに対しては絶対に口をつぐんでいる姫君が、そのほかのことでは美しい口ぶりで愛嬌のある返辞などもして、愛を受け入れたふうの見えるのを宮は限りなく可憐にお思いになった。
 九時ごろに石山行きの迎えの人たちが山荘へ着いた。車を二台持って来たのであって、例の東国の荒武者が、七、八人、多くの僕を従えていた。下品な様子でがやがやと話しながら門をはいって来たのを、女房らは片腹痛がり、見えぬ所へはいっているように言ってやりなどしていた。右近はどうすればいいことであろう、殿様が来ておいでになると言っても、あれほどの大官が京から離れていることはだれの耳にもはいっていることであろうからと思い、他の女房と相談することもせず手紙を常陸夫人へ書くのであった。
昨夜からお穢れのことが起こりまして、お詣りがおできになれなくなりましたことで残念に思召すのでございましたが、その上昨晩は悪いお夢を御覧になりましたそうですから、せめて今日一日を謹慎日になさいませと申しあげましたのでお引きこもりになっておられます。返す返すお詣りのやまりましたことを私どもも残り惜しく思っております。何かの暗示でこれはあるいは実行あそばさないほうがよいのかとも存ぜられます。
 これが済んでから右近は常陸家の人々に食事をさせたりした。弁の尼のほうにもにわかに物忌になって出かけぬということを言ってやった。
 平生はつれづれで退屈で、かすんだ山ぎわの空ばかりをながめて時のたつのをもどかしがる姫君であるが、時のたち日の暮れていくのを真底からわびしがっておいでになる方のお気持ちが反映して、はかなく日の暮れてしまった気もした。ただ二人きりでおいでになって、春の一日の間見ても飽かぬ恋人を宮はながめてお暮らしになったのである。欠点と思われるところはどこにもない愛嬌の多い美貌で女はあった。そうは言っても二条の院の女王には劣っているのである。まして派手な盛りの花のような六条の夫人に比べてよいほどの容貌ではないが、たぐいもない熱情で愛しておいでになるお心から、まだ過去にも現在にも見たことのないような美人であると宮は思召した。姫君はまた清楚な風采の大将を良人にして、これ以上の美男はこの世にないであろうと信じていたのが、どこもどこもきれいでおありになる宮は、その人にまさった美貌の方であると思うようになった。
 硯を引き寄せて宮は紙へ無駄書きをいろいろとあそばし、上手な絵などを描いてお見せになったりするため、若い心はそのほうへ多く傾いていきそうであった。
「逢いに来たくても私の来られない間はこれを見ていらっしゃいよ」
 とお言いになり、美しい男と女のいっしょにいる絵をお描きになって、
「いつもこうしていたい」
 とお言いになると同時に涙をおこぼしになった。

「長き世をたのめてもなほ悲しきはただ明日知らぬ命なりけり
(末長い仲を約束しても、やはり悲しいのは、ただ明日もわからぬ命であるよ)

 こんなにまであなたが恋しいことから前途が不安に思われてなりませんよ。意志のとおりの行動ができないで、どうして来ようかと苦心を重ねる間に死んでしまいそうな気がします。あの冷淡だったあなたをそのままにしておかずに、どうして捜し出して再会を遂げたのだろう、かえって苦しくなるばかりだったのに」
 女は宮が墨をつけてお渡しになった筆で、
心をば歎かざらまし命のみ定めなき世と思はましかば
(心変わりを嘆いたりしないでしょう。命だけが定めないこの世と思うのならば)

 と書いた。自分の恋の変わることを恐れる心があるらしいと、宮はこれを御覧になっていよいよ可憐にお思われになった。
「どんな人の変わりやすかったのに懲りたのですか」
 などとほほえんでお言いになり、薫がいつからここへ伴って来たのかと、その時を聞き出そうとあそばすのを女は苦しがって、
「私の申せませんことをなぜそんなにしつこくお訊きになりますの」
 と恨みを言うのも若々しく見えた。そのうちわかることであろうと思召しながら、直接今この人に言わせて見たいお気持ちになっておいでになるのであった。
 夜になってから京へいったんお帰しになった時方が来て右近に面会した。
「中宮様からもお使いがまいっておりました。左大臣も機嫌を悪くなさいまして、だれにもお行き先をお言いにならぬような微行をなさるのは軽率で、無礼者にどこでお逢いになるかもしれぬことになって、お上の耳にはいれば自分の落ち度になるからとやかましくおっしゃいました。東山にえらい上人があるという話をお聞きになって逢いにおいでになったのですと、私は披露しておきました」
 こう宮へ取り次がせることを述べたあとで、
「女の方は罪の深いものですね。私のようなきまじめな者さえその圏内へお引き入れになって作り事までお言わせになりますからね」
 と時方は右近へ言った。
「上人にしてお置きになったのはよろしゅうございましたわね、あなたの嘘の罪もそれで消滅することになるでしょう。ほんとうに意外なことを意外な時に宮様はお思いつきになったものでございますわね。前からおいでになりたいという思召しを洩らしてお置きくださいましたら、もったいない方でいらっしゃるのですもの、どうにかいい取り計らいようもありましたのに、御思案の足らない御行動でございましたわね」
 右近は礼儀としての好意を表して言った。そして居間のほうへ行き、聞いたとおりを宮へ申し上げた。中宮の御心配あそばされること、左大臣の言葉も道理にお思われになり、姫君へ、
「私は窮屈そのもののような身の上がわびしくてならない。軽い殿上役人級の地位にしばらく置いてほしい。これからどうすればいいのでしょう。このうるさいことをはばかって出て来ないでおられる私とは思われない。大将も聞けばどんなに感情を害することだろう。濃い親戚関係とはいうものの不思議なくらい少年時代から仲よくつきあってきた人に、こうした秘密が知れれば恥ずかしいことだろうと思う。それからまた男は身勝手で自己の不誠意は棚へ上げて女の変心したのを責めるものだというから、自身の愛の足りなかったことは反省せずに、あなたが恨まれることになりはしないかということまで心配されますよ。夢にも人に知られないようにして、ここでない所へあなたをつれて行ってしまおうと私は考えていますよ」
 とお言いになった。
 次の日もとどまっておいでになることはできなかったから、帰ろうとあそばすのであったが、魂は恋人の袖の中にとどめてお置きになるように見えた。せめて明るくならぬうちにとお供の人たちは咳払いをしてお促しするのであった。
 妻戸の所へ女をいっしょにつれておいでになって、さてそこから別れてお行きになることがおできにならない。

世に知らず惑ふべきかな先に立つ涙も道をかきくらしつつ
(いったいどうしたらいいか分からない。先に立つ涙が道を見えなくするので)

 女も限りなく別れを悲しんだ。

涙をもほどなき袖にせきかねていかに別れをとどむべき身ぞ
(涙も狭い袖では抑えかね、どのように別れを止められましょう)

 風の音も荒くなっていた霜の深い暁に、衣服さえも冷やかな触感を与えるとお覚えになり、宮は馬へお乗りになったものの、何度となく引き返したくおなりになったのを、お供の人がしいて冷酷に心を持ちお馬を急がせてまた歩ませたために、お心でもなく山荘を後ろにあそばすことになった。時方ともう一人の五位が馬の口を取っていたのである。けわしい所を越えてから自身らも馬に乗った。宇治川の汀の氷を踏み鳴らす馬の足音すらも宮のお心を悲しませた。昔もこの道だけで山踏みをした自分である、不思議な因縁の続く宇治の道ではないかと思召した。

第3章 宇治橋

 二条の院へお帰りになった兵部卿の宮は、恋人のありかについて夫人があくまでも沈黙を守り続けたのは同情のないことであったとお恨めしくお思われになる心から、御自身の居間のほうへおはいりになりお寝みになったが、お寝つきになれなかったし、お寂しくはあったし、お物思いがつのるばかりであるため、結局夫人の所へおいでになることになった。
 何も知らぬふうで中の君はきれいな顔をしていた。まれな美女であると御覧になった人よりもこれはまた一段まさった容姿であるとお認めになりながら、夫人の顔からよく似ていた恋人がお思い出されになった刹那に胸のふさがれた気があそばすのであったから、深く物思いのある御様子で帳台へはいってお寝みになろうとした。
 伴ってお行きになった中の君に、
「私は身体のぐあいが非常に悪い。これでだめになってしまうのではないかと心細いのですよ。私は非常にあなたを愛して死んで行っても、死んだあとであなたの心はすぐに変わってしまい、他の人を愛するようになるのでしょう。人間の一念というものはいつか成就するものだから、あの人だってそうだ。願いのかなう日があるに違いない」
 とお言いになった。こんな奇怪なことを至極まじめにお言いになるではないかと中の君は思い、
「こうした醜い疑いを持っておいでになることを大将がお聞きになれば、何か中傷をしたかと私の思われますのがあさましゅうございます。薄幸な私はただいじめるために言っていらっしゃることでも重大なことのように苦しみます」
 と言って、夫人はあちらへ顔を向けた。宮も真剣なふうにおなりになって、
「いじめるためなどでなく、真底からあなたを恨んでいることが私にあったらどうしますか。私はあなたのために決して薄情な良人でなかったはずだ。珍しいとまで世間で言われているくらいですよ。それだのに、あなたはあの人ほどに私を愛していてくれない。それも宿縁によることだろうとは思うけれど、私に正直なことを言ってくれない点が恨めしくてならない」
 と言っておいでになりながら、その宿縁が並み並みでなかったから思う人に再会することができたとお思われになることで涙ぐまれたもう宮であった。いつものように冗談混じりのことでなく、どこまでもまじめでおありになるのが気の毒で、どんな噂をお聞きになったのであろうと驚かれる夫人は、返辞もできなくなってしまった。初めがあんなことであった自分は良人の尊敬に値せぬように思われているのであろう、姉の女王への恋のために常識も失うばかりであった人が、導いて結ばせた縁であって、自分はまた姉の死後にまで持たれる誠意に好感を持つようになったことが原因で、愛を失った妻になったのであろうと過去のことも思われて、いろいろなことが皆悲しくて心をめいらせている中の君はいよいよ可憐な人に見えた。
 あの恋人を発見したとはなおしばらくの間知らせずにおこうとお思いになるために、ほかのことに思わせて宮は怨言を洩らしておいでになるのを、中の君はただ薫のことでまじめに恨みを告げておいでになるものと思い込み、だれが嘘をほんとうらしく言ったのであろうなどと思っていて、無根のことは無根のことであると宮のお認めにならぬ間は、妻としていっしょにいることも恥ずかしいと考えられた。
 御所から中宮のお手紙の使いがまいったと申し上げられた時に、驚いてお起きになった宮は、まだ解けないお気持ちのままで御自身の室のほうへ行っておしまいになった。
 お手紙の内容は昨日お逢いになれなかったことで御心配をあそばしたことが言われてあるのであった。
気分がよろしければおいでなさい。久しくお逢いしないでいるのですから。
 などと言うものであったから、御心配をおさせ申すのは苦しいと思召しながら、実際病気らしい御気分であったためその日は参内されなかった。高官たちが幾人も伺候したが皆御簾の外へまでお来させになっただけであった。
 夕方に源大将が出て来た。こちらへとお言いになって、御自身のそばへこの時はお迎えになった。
「御病気でいらせられますそうで、中宮様もお逢いあそばせないのを寂しく思召すふうでございました。どんな御症状ですか」
 と薫はお尋ねした。顔を御覧になった時から胸騒ぎのひどくなったため、言葉少なに宮は相手をしておいでになった。僧がかった人とはいいながらも、人間的な感情を人の学びがたいまでにも殺している男ではないか。あれほど可憐な人に寂しい山荘住まいをさせ、日々待ち暮らさせているようなこともこの人にはできるのであるなどと宮はお思いになり、平生はそんな話でない時にさえ、まじめ男であることを薫は標榜しているが、こんなことがあるではないかなどと微細なことまでもあげてお責めになる宮でおありになったから、宇治の人を発見された以上は、どんなにそれでおからかいになるかもしれないのに、今日は冗談も口へお出しになることはなくて、苦しい御様子が見えるため、
「困ったことでございますね。たいしてお悪いのではなくて、しかも同じような容体の続きますのは悪い兆候でございます。風邪をまずお癒しになる必要がございますよ」
 などとまじめに見舞いを言いおいて薫は帰った。上品な男である、あの人と自分をどんなふうにあの恋人は比較して見ることだろうなどと、何事も宇治の人を離れては思うことのおできにならない心に宮はなっておいでになった。
 宇治の山荘の人たちは石山詣りも中止になってつれづれを覚えていた。宮からのお手紙はあらんかぎりの熱情を盛って長くお書きになったのが行った。それを送ることにすら苦心はいったのである。時方と呼ばれていたあの五位の家来で、何も知らぬ侍を選んでその使いはさせた。右近を以前知っていた人が大将の供をして行って、話などをした時から、またしきりに好意を運んでくるのであると右近は他の朋輩に言っていた。際限なく嘘を言わねばならぬ右近になっているのである。
 二月になった。逢いたいとこがれ続けておいでになる宮でおありになるが宇治へお出かけになることは困難であった。こう煩悶ばかりをしていては若死にするほかはあるまいと命の心細さまでもそれに添えてお歎かれになった。
 薫は公務の少しひまになったころ例のように微行で宇治へ出かけた。寺へ行き仏に謁し、誦経をさせ、僧へ物を与えなどして夕方から山荘へはいった。微行とはいっても、これはしいて人目を避ける必要もないわけで、相当に従者は率いて狩衣姿ではなく、烏帽子直衣姿ではいって来た時から、洗練された気品はあたりを圧した。姫君は罪を犯した身で薫を迎えることが苦しく天地に恥じられて恐ろしいにもかかわらず、不条理な恋を持って接近しておいでになった人のことが忘れられない心もあって、またこの人に貞操な女らしくして逢うことが非常に情けなかった。自分は今まで愛していた人への情けも皆捨てるほかはない気がすると宮はお語りになったのであったが、そのお言葉どおりに御病気に託してどちらの夫人の所へもおいでになることはなくて、おそばで始終修法ばかりを行なわせておいでになるというそうであるのに、自分が大将と夫婦らしくしていたということをお聞きになればどんなふうにお憎みになるであろうと思われるのも苦しかった。薫はまた別箇の存在と見えて優美なふうで、ながく来られなかった言いわけなどをするにも多くの言葉は用いない。恋しい悲しいとひたひたと迫って言うことはないが、常に逢いがたい人に持つ恋の苦しさを品よく言う効果は、誇張された多くの言葉がもたらすそれにまさって、心を惹く力は強く、女の愛は自然に得られる風格が備わっていた、恋の相手に艶な趣を覚えしめることよりも、行く末長く信頼のできる人柄である点で、今一人よりはるかにまさっていた。自分が意外な恋をしていることをこの人が知れば、真心からどんなに歎くことであろう、狂おしいようにも自分を熱愛する人に自分も愛は覚えるが、それはまじめな人間の心とは言えない、軽佻至極なことである、この人にうとまれ、捨てられてしまった時は、どんなに深い傷手を心に受けることであろうなどと煩悶をしている様子も、薫の目にはしばらくのうちにめざましく心の成長した跡と見える。つれづれな山荘の生活をしていれば、ありとあらゆる物思いは皆覚えるはずであるからとかわいそうであるため、平生よりも熱心に語り慰めるのであった。
「新築させている家がどうやら形にはなりましたよ。この間見に行ったのですが、ここよりは水のある場所に近くて、桜なども相当にあります。三条の宮とも距離は遠くないのです。そこへ来れば毎日でも逢えないことはないのですから、この春のうちに都合さえよければあなたを移そうと思う」
 と薫の言うのを聞いていて、隠れてのどかに住む家の用意をさせているとは昨日の宮のお手紙に書かれてあったことである、大将がこうもきめているのをお知りにならずに今もそんなことを考えておいでになるのかと哀れに思われない姫君ではないが、たとえそうであってもこの人からのがれて宮のほうへ行くようなことはなすべきでないと思うとまた面影に宮のお顔が見える。自分ながらも悪い心である、こんな心を持たせるようにされたのは恨めしい宮様であるとそれからそれへと思い続けて姫君は泣き出した。
「あなたがこんなふうでなくおおようだったら、私も心配がなくておられたのですよ。だれか中傷をした者でもあったのですか、少しでもあなたをおろそかに思っていれば、こんなにして逢いに来られる私の身分でも道程でもないのに」
 などと薫は言い、月初めの夕月夜に少し縁へ近い所へ出て横になりながら二人は外を見ていた。薫は昔の人を思い、女は新しい物思いになった恋に苦しみ、双方とも離れ離れのことを考えていた。山のほうは霞がぼんやりと隠していて、寒い洲崎のほうに鷺の立っている姿があたりの景によき調和を見せてい、はるばると長い宇治橋が向こうにはかかり、柴船が川の上の所々を行きちがって通るのも他と違った感傷的な風景であったから、見るたびに昔のことが今のような気がして、この姫君ほどの人でない女にもせよ、いっしょにおれば憐みはわいてくるであろうと思われるのに、まして恋しい人に似たところが多く、かわりとして見てもそう格段な価値の相違もない人が、ようやく思想も成熟してき、都なれていく様子の美しさも時とともに加わる人であるからと薫は満足感に似たものを覚えて相手を見ていたが、女はいろいろな煩悶のために、ともすれば涙のこぼれる様子であるのを大将はなだめかねていた。

「宇治橋の長き契りは朽ちせじをあやぶむ方に心騒ぐな
(宇治橋のような長い約束は朽ちないものを、不安に思って心配なさるな)

 そのうち私の愛を理解できますよ」
 と言った。

絶え間のみ世には危ふき宇治橋を朽ちせぬものとなほたのめとや
(絶え間ばかりが気がかりな宇治橋なのに、朽ちないものと依然頼れと言うのですか)

 と女は言う。
 今まで来て逢っていた時よりも別れて行くのがつらく、少しの時間でも多くそばにいたい気のする薫であったが、世間はいろいろな批評をしたがるものであるから、今まで事もなく隠すことのできた愛人との間のことが、今になって暴露することになってはまずい、よい時節に公表もできるのを待とうと思い夜明けに帰った。
 感情の豊かに備わった女になったと薫は宇治の人のことを思い、哀れに思い出されることは以前に倍した。

第4章 雪の山道

 二月の十日に宮中で詩会があって、兵部卿の宮もお出になり、右大将もまいった。この季節によくかなった音楽の感じは皆よくて、兵部卿の宮の御美声は人に深い感銘をお与えになるものであって、曲は梅が枝を歌われたのである。何事にも天才を持っておいでになる方であったが、よこしまな恋に心を打ち込んでおいでになるだけは罪の深いことである。
 にわかに雪が大降りになって、風もはげしく出てきたので、音楽遊びは予定より早く終わりを告げた。兵部卿の宮の宿直所に今日の参会者たちは集まって行き夜の食事をいただいたりしていた。右大将は部下の者か何かに命じることがあって少し縁側に近い所へ出ていたが、やや深く積もった雪が星の光にほのめいている夜であって「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」薫の身からこんな気が放たれるような時「衣かたしきこよひもや」(われを待つらん宇治の橋姫)と口ずさんでいるのがしめやかな世界へ人を誘う力があった。宇治の橋姫を言っているではないかと、さっきから転寝をしておいでになった宮のお心は騒いだ。深く愛していないことはないらしい、橋姫の一人臥の袖を自分だけの思いやるものとしていたが、同じ思いを運ぶ人もあるのかと身に沁んでお思いになった。わびしいことである、これほどりっぱな男を持っている女が、自分のほうへ多く好意をもってくれようとは信じられないと、ねたましくもまた思召された。
 雪が高く積もったこの翌朝、御前へ創作の詩を御持参になる宮のお姿は、今が美しい真盛りの方と見えた。右大将も同じ年ごろであった。二つ三つ上ではないかと思われるところにまた完いような美があって、わざと作り出した若い貴人の手本かとも思われる。帝の御婿としてこれほどふさわしい人はないと世人も大将のことを言っていた。学才も高く、政治家としての素養に欠けたところもない人であった。
 各人の詩がどれも講じられ参会者は皆退散した。兵部卿の宮の詩が、ことに傑作であったと人々の賞讃するのも宮にはうれしいことともお思われにならない。詩作などがどんな気でできたのであろうとぼんやりしておいでになるのである。薫に宇治の人を思うふうの見えたことで驚かされたようにも思っておいでになるのであったから、無理な策をあそばして宇治へお出かけになることになった。
 京の中ではあとから来る仲間を待っているほどに消え残った雪も、山路に深くおはいりになるにしたがって厚く積もっているのに気がおつきになった。平生以上に見わけがたい細路をおいでになるのであったから、供の人たちも泣き出さんばかりに恐ろしがっていて、山賊の出ることなどをあやぶんでいた。案内役の内記は式部少輔を兼任する官吏であった。二つとも隆とした文事の役であるのが、しなれたように袴を高くくくり上げたりしてお付きして行くのもおかしかった。
 山荘では宮のほうから出向くからというおしらせを受けていたが、こうした深い雪にそれは御実行あそばせないことと思って気を許していると、夜がふけてから、右近を呼び出して従者が宮のおいでになったことを伝えた。うれしいお志であると姫君は感激を覚えていた。右近はこんなことが続出して、行く末はどうおなりになるかと姫君のために苦しくも思うのであるが、こうした夜によくもと思う心はこの人にもあった。お断わりのしようもないとして、自身と同じように姫君から睦まじく思われている若い女房で、少し頭のよい人を一人相談相手にしようとした。
「少しめんどうな問題なのですが、その秘密を私といっしょに姫君のために隠すことに骨を折ってくださいな」
 と言ったのであった。そして二人で宮を姫君の所へ御案内した。途中で濡れておいでになった宮のお衣服から立つ高いにおいに困るわけであったが、大将のにおいのように紛らわせた。
 夜のうちにお帰りになることは、逢いえぬ悲しさに別れの苦しさを加えるだけのものになるであろうからと思召した宮は、この家にとどまっておいでになる窮屈さもまたおつらくて、時方に計らわせて、川向いのある家へ恋人を伴って行く用意をさせるために先へそのほうへおやりになった内記が夜ふけになってから山荘へ来た。
「すべて整いましてございます」
 と時方は取り次がせた。にわかに何事を起こそうとあそばすのであろうと右近の心は騒いで、不意に眠りからさまされたのでもあったから身体がふるえてならなかった。子供が雪遊びをしているようにわなわなとふるえていた。どうしてそんなことをと異議をお言わせになるひまもお与えにならず宮は姫君を抱いて外へお出になった。右近はあとを繕うために残り、侍従に供をさせて出した。はかないあぶなっかしいものであると山荘の人が毎日ながめていた小舟へ宮は姫君をお乗せになり、船が岸を離れた時にははるかにも知らぬ世界へ伴って行かれる気のした姫君は、心細さに堅くお胸へすがっているのも可憐に宮は思召された。有明の月が澄んだ空にかかり、水面も曇りなく明るかった。
「これが橘の小嶋でございます」
 と言い、船のしばらくとどめられた所を御覧になると、大きい岩のような形に見えて常磐木のおもしろい姿に繁茂した嶋が倒影もつくっていた。
「あれを御覧なさい。川の中にあってはかなくは見えますが千年の命のある緑が深いではありませんか」
 とお言いになり、

年経とも変はらんものか橘の小嶋の崎に契るこころは
(何年経っても変わらないものか、橘の小島の崎で約束する気持ちは)
 とお告げになった。女も珍しい楽しい路のような気がして、

橘の小嶋は色も変はらじをこの浮舟ぞ行くへ知られぬ
(橘の小島の色は変わらなくても、この浮舟のような身はどこへ行くやら)

 こんなお返辞をした。月夜の美と恋人の艶な容姿が添って、宇治川にこんな趣があったかと宮は恍惚としておいでになった。
 対岸に着いた時、船からお上がりになるのに、浮舟の姫君を人に抱かせることは心苦しくて、宮が御自身でおかかえになり、そしてまた人が横から宮のお身体をささえて行くのであった。見苦しいことをあそばすものである、何人をこれほどにも大騒ぎあそばすのであろうと従者たちはながめた。
 時方の叔父の因幡守をしている人の荘園の中に小さい別荘ができていて、それを宮はお用いになるのである。まだよく家の中の装飾などもととのっていず、網代屏風などという宮はお目にもあそばしたことのないような荒々しい物が立ててある。風を特に防ぐ用をするとも思われない。垣のあたりにはむら消えの雪がたまり、今もまた空が曇ってきて小降りに降る雪もある。そのうち日が雲から出て軒の垂氷の受ける朝の光とともに人の容貌も皆ひときわ美しくなったように見えた。宮は人目をお避けになるために軽装のお狩衣姿であった。浮舟の姫君の着ていた上着は抱いておいでになる時お脱がせになったので、繊細な身体つきが見えて美しかった。自分は繕いようもないこんな姿で、高雅なまぶしいほどの人と向かい合っているのではないかと浮舟は思うのであるが、隠れようもなかった。少し着馴らした白い衣服を五枚ばかり重ねているだけであるが、袖口から裾のあたりまで全体が優美に見えた。いろいろな服を多く重ねた人よりも上手に着こなしていた。宮は御妻妾でもこれほど略装になっているのはお見馴れにならないことであったから、こんなことさえも感じよく美しいとばかりお思われになった。侍従もきれいな若女房であった。右近だけでなくこの人にまで自分の秘密を残りなく見られることになったのを浮舟は苦しく思った。宮も右近のほかのこの女房のことを、
「何という名かね。自分のことを言うなよ」
 と仰せられた。侍従はこれを身に余る喜びとした。別荘守の男から主人と思って大事がられるために、時方は宮のお座敷には遣戸一重隔てた室で得意にふるまっていた。声を縮めるようにしてかしこまって話す男に、時方は宮への御遠慮で返辞もよくすることができず心で滑稽のことだと思っていた。
「恐ろしいような占いを出されたので、京を出て来てここで謹慎をしているのだから、だれも来させてはならないよ」
 と内記は命じていた。
 だれも来ぬ所で宮はお気楽に浮舟と時をお過ごしになった。この間大将が来た時にもこうしたふうにして逢ったのであろうとお思いになり、宮は恨みごとをいろいろと仰せられた。夫人の女二の宮を大将がどんなに尊重して暮らしているかというようなこともお聞かせになった。宇治の橋姫を思いやった口ずさみはお伝えにならぬのも利己的だと申さねばならない。時方がお手水や菓子などを取り次いで持って来るのを御覧になり、
「大事にされているお客の旦那。ここへ来るのを見られるな」
 と宮はお言いになった。侍従は若い色めかしい心から、こうした日をおもしろく思い、内記と話をばかりしていた。浮舟の姫君は雪の深く積もった中から自身の住居のほうを望むと、霧の絶え間絶え間から木立ちのほうばかりが見えた。鏡をかけたようにきらきらと夕日に輝いている山をさして、昨夜の苦しい路のことを誇張も加えて宮が語っておいでになった。

峰の雪汀の氷踏み分けて君にぞ惑ふ道にまどはず
(峰の雪やみぎわの氷を踏み分けて、あなたに心惑いましたが、道には迷いません)

「木幡の里に馬はあれど」(かちよりぞ来る君を思ひかね)などと、別荘に備えられてあるそまつな硯などをお出させになり、無駄書きを宮はしておいでになった。

降り乱れ汀に凍る雪よりも中空にてぞわれは消ぬべき
(降り乱れてみぎわで凍る雪よりも、途中でわたしは消えてしまいそうです)

 とその上へ浮舟は書いた。中空という言葉は一方にも牽引力のあることを言うのであろうと宮のお恨みになるのを聞いていて、誤解されやすいことを書いたと思い、女は恥ずかしくて破ってしまった。
 そうでなくてさえ美しい魅力のある方が、より多く女の心を得ようとしていろいろとお言いになる言葉も御様子も若い姫君を動かすに十分である。
 謹慎日を二日間ということにしておありになったので、あわただしいこともなくゆっくりと暮らしておいでになるうちに相思の情は深くなるばかりであった。右近は例のように姫君のためにその場その場を取り繕い、言い紛らして衣服などを持たせてよこした。次の日は乱れた髪を少し解かさせて、深い紅の上に紅梅色の厚織物などの取り合わせのよい服装を浮舟はしていた。侍従も平常用の裳を締めたまま来ていたのが、あとから送ってこられたきれいなものにすべて脱ぎ変えたので、脱いだほうの裳を宮は浮舟にお掛けさせになり手水を使わせておいでになった。女一の宮の女房にこの人を上げたらどんなにお喜びになって大事にされることであろう、大貴族の娘も多く侍しているのであるが、これほどの容貌の人はほかにないであろうと、裳を着けた姿からふとこんなことも宮はお思いになった。見苦しいまでに戯れ暮らしておいでになり、忍んでほかへ隠してしまう計画について繰り返し繰り返し宮はお話しになるのである。それまでに大将が来ても兄弟以上の親しみを持たぬというようなことを誓えとお言いになるのを、女は無理なことであると思い、返辞をすることができず、涙までもこぼれてくる様子を御覧になり、自分の目前ですらその人に引かれる心を隠すことができぬかと胸の痛くなるようなねたましさも宮はお覚えになった。恨み言も言い、御自身のお心もちを泣いてお告げになりもしたあとで、第三日めの未明に北岸の山荘へおもどりになろうとして、例のように抱いて船から姫君をお伴いになるのであったが、
「あなたが深く愛している人も、こんなにまで奉仕はしないでしょう。わかりましたか」
 とお言いになると、そうであったというように思って、浮舟がうなずいているのが可憐であった。右近は妻戸を開いて姫君を中へ迎えた。そのまま別れてお帰りにならねばならぬのも、飽き足らぬ悲しいことに宮は思召した。
 こんなお帰りの場合などはやはり二条の院へおはいりになるのが例であった。宮はそれ以来健康をおそこねになり、召し上がり物などは少しもおとりにならなかった。日がたつにしたがいお顔色が青んでゆき、お痩せになるのを、御所でもその他の所々でも非常に気づかわれ、お見舞いの人が多くまいるために人目の隙に宇治へおやりになるお手紙もこまごまとはお書きになれなかった。
 山荘のほうでもあのやかましやの乳母のままが娘の産でしばらくほかへ行っていたのがこのごろは帰っているために、宮のお文を心おきなく読むことはできなくなった。姫君の寂しい生活も、今後どんなふうに大将がよき待遇をしようとするかという夢を持つことで母の常陸夫人も心を慰めていたのであったが、公然ではないようであるが、近いうちに京へ迎えることに薫のきめたことで、世間への体裁もよくなるとうれしく思い、新しい女房を捜し始め、童女の見よいのがあると宇治へ送るようにしていた。浮舟自身もようやく開かれていく光明の運命の見えだしたことで、初めから望んだのはこのほかのことではなかった、この日を待ち続けていたのであると思いながらも、一方で熱情をお寄せになる宮のことを思い出し、愛が足らぬとお恨みになったこと、その時あの時のお言葉と面影が始終つきまとって離れず、少し眠るともう夢に見る、困ったことであると思った。

第5章 板ばさみ

 雨が幾日も降り続いたころ、いっそう宇治は通って行くべくもない世界になったように宮は思召され、恋しさに堪えられなくおなりになり「たらちねの親のかふこの繭ごもりいぶせくもあるか妹に逢はずて」親の愛護の深いのは苦しいものであると、もったいないことすらお思われになった。恋の思いを多くの言葉でお書き続けになり、

ながめやるそなたの雲も見えぬまで空さへくるる頃のわびしさ
(眺めやるそちらの雲も見えないくらいに、空まで真っ暗になる今日この頃の侘しさ)

 こんな歌もお添えになった筆まかせの書体もみごとであった。高い見識があるのでもない若い浮舟はこれにさえ多く動かされ、その人と同じ恋しさも覚えたのであるが、初めに永久の愛の告げられた大将の言葉にはさすがに奥深いものがあり、他に優越した人格の備わっていることなども思われ、異性として親しんだ最初の人であるためか、今も一方へ没頭しきれぬ感情はあった。自分の醜聞が耳にはいって、あの人にうとまれては生きておられぬ気がする、自分が幸福な女性になることを待ち続ける母も、不行跡な娘であったと幻滅を覚え、世間体を恥じることであろう、また現在は火の恋をお持ちになる方も、多情なお生まれつきを聞いているのであるから、どうお心が変わるかしれない、またそうにもならず京のどこかへ隠されて妻妾の一人として待遇されることができてくれば二条の院の女王からどんなに不快に思われることであろう。隠れていてもいつか人に知れるものであるから、あの秋の日暮れ時に一目お逢いしただけの縁でもこうして捜し出される結果を見たように、姉である方に、自分がどうしているか、どんな恋愛からどうなったかが知れていかないはずはないと、考えをたどっていけば、宮の御手へ将来をゆだねてしまうのは善事を行なうことでない、大将に愛されなくなるほうがどんなに苦痛であるかしれぬと煩悶している時に薫からの使いが山荘へ来た。かわるがわるに二人の男の消息を読むことは気恥ずかしくて、浮舟はまださっきの宮のほうの長い手紙ばかりを寝ながら見ていると、それと知って侍従と右近は顔を見合わせて、姫君の心はのちの情人に移ったと言わないようで言っていた。
「ごもっともですわ。殿様は二人とない美男でいらっしゃると思っていましたのは前のことで、宮様はなんと申してもすぐれていらっしゃいますもの、お部屋着になっておいでになった時の愛嬌などはどうだったでしょう。私ならその方があれまではげしく思っておいでになるのを見れば黙視していられないでしょう。中宮様の女房を志願して、そして始終お逢いのできるようにしますわ」
 こう言っているのは侍従である。

「危険な人ね、あなたは。殿様よりすぐれた風采の方がどこにあるものですか。お顔はまあともかくも、お気質なり、御様子なりすばらしいのは殿様ですよ。何にしてもお姫様はどうおなりあそばすかしら」
 右近はこう言っていた。今まで一人で苦心をしていた時よりも侍従という仲間が一人できて、嘘ごとが作りやすくなっていた。あとから来たほうの手紙には、
思いながら行きえないで日を送っています。ときどきはあなたのほうから手紙で私を責めてくださるほうがうれしい。私の愛は決して浅いものではないのですよ。
 などと書かれ、端のほうに、

ながめやる遠の里人いかならんはれぬながめにかきくらすころ
(遠い里の人はどのように過ごしていますか。晴れ間のない長雨に、物思いに耽る今日この頃)

平生以上にあなたの恋しく思われるころです。
 とも書かれてあった。白い色紙を立文にしてあった。文字も繊細な美しさはないが貴人の書らしかった。宮のお手紙は内容の多いものであったが、小さく結び文にしてあって、どちらにもとりどりの趣があるのである。
「さきのほうのお返事を、だれも見ませんうちにお書きなさいまし」
 と右近は言ったが、
「宮様へ今日は何も申し上げる気はしない」
 と恥じたふうで浮舟は言い、無駄書きに、

里の名をわが身に知れば山城の宇治のわたりぞいとど住みうき
(里の名をわが身と知ると山城の宇治の辺りはますます住みにくいことです)

 と書いていた。浮舟は宮の描いてお置きになった絵をときどき出して見ては泣かれるのであった。こうした関係を長く続けていってはならないと反省はするが、薫のほうへ引き取られて宮との御縁の絶たれることは悲しく思われてならぬらしい。

かきくらし晴れせぬ峰のあま雲に浮きて世をふる身ともなさばや
(真っ暗で晴れない峰の雨雲のように、空にただよう煙となってしまいたい)

 こう浮舟が書いてきたのを御覧になり、兵部卿の宮は声をたててお泣きになった。自分ばかりが熱愛しているのでなく、彼女も自分を恋しく思うことがあるのであろうと想像をあそばすと、浮舟の姫君が物思わしそうにしていた面影がお目の前に立って悲しかった。
 薫は余裕のある気持ちで浮舟から来た返事を読み、かわいそうにどんなに物思いをしているであろうと恋しく思った。

つれづれと身を知る雨のをやまねば袖さへいとど水かさまさりて
(寂しくわが身を思い知らされる雨が降り続くので、袖までが涙でますます濡れています)

 という歌を長く手から放たずながめ入っていたのであった。
 薫は夫人の宮とお話をしていたついでに、
「無礼だとあなたがお思いにならぬかと不安に思いながら、ずっと以前から愛していました女が一人あるのです。京の街の中でもない遠い所に置き放しにしてありますために、物思いばかりいたしているふうなのがかわいそうで、町の中へ呼び寄せてやろうと思います。少年時代から私は人に違った心を持っていまして、宗教のほうへはいって一生を送ろうと覚悟していたのですが、あなたと結婚をして今では出家も実行できませんから、そうなってみますとだれにも隠してあった人のことも気の毒になりまして罪を作っているように思われるものですから」
 と浮舟のことを言い、また、
「あなたのどんなことが私の苦痛になるものかまだ私は知らないのですもの」
 宮はこうお言いになった。
「お上へそんなことで私を中傷する人ができないかと心配するのですよ。世間の人はいろいろなことを言いたがるものですからね、けれど今の関係は世間が問題にするにも足りないものなのですが」
 などと薫は言っていた。
 新築させた邸へ浮舟を入れようと思っていたが、そのために家までも作ったと派手な取り沙汰などをされるのは苦しいことであると薫は思い、ひそかに襖子を張らせなどすることを、人もあろうに内記の妻の親である大蔵の五位へ心安いままに命じたのであったから、時方から話は皆兵部卿の宮のほうへ聞こえてしまった。
「絵師も大将の御随身の中にいますものとか、御従属しております人の中とかからお選びになりまして、さすがに歴としたお邸の準備を宇治の方のためにさせておいでになります」
 と申すのをお聞きになって、いっそう宮はおあせりになり、御自身の乳母が遠国の長官の妻になって良人の任地へ行ってしまうその家が下京のほうにあるのをお知りになり、
「自分が世間へ知らせずに隠して置きたい女のためにしばらくその家を借りたい」
 と御相談になると、女とはどんな人なのであろうと乳母は思ったが、熱心に仰せられることであったから、お否み申し上げるのはもったいないように思われて承諾した。この家がお見つかりになったために宮は少し御安心をあそばされた。三月の末日に乳母は家を出るはずであったから、その日に宇治から恋人を移そうと計画をしておいでになるのであった。こう思っている、秘密に秘密にしてお置きなさいと書いておやりになったのであるが、御自身で宇治へおいでになることは至難のことになっていた。
 山荘のほうからも乳母は気のはしこくつく女であるからお迎えすることは不可能であると右近が書いてきた。
 薫からは四月十日と移転の日をきめて来た。「誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ」とは思われないで、女はいかに進退すべきかに迷い、不安さに母の所へしばらく行ってよく考えを定めればいいであろうと思われたが、少将の妻になっている常陸守の娘の産期が近づいたため、祈祷とか読経とかをさせるために家のほうは騒いでいて、懸案だった石山詣でもできなくなり、母のほうから宇治の山荘へ出て来た。乳母がさっそく出て来て、
「殿様のほうから、女房たちの衣装をこまごまと気をおつけになりましてたくさんな材料をくださいましたから、どうかしてきれいな体裁をととのえたいと思っておりますけれど、私の頭で考えますことではろくなことはできそうにございません」
 などと得意そうに語る。母もうれしそうであった。浮舟の姫君は逃亡というような意外なことを自分が起こして問題になれば、この人たちはどんなにかなしむことであろう。一方の宮はまたどんな深い山へはいろうとも必ずお捜し出しになり、しまいには自分もあの方も社会的に葬られる結果になるであろう、自分の手へ来て隠れるようにとは今朝も手紙に書いておよこしになったのであるが、どうすればよいのであろうと思い、気分までも悪くなり横になっていた。
「どうしてそんなに平生と違って顔色が悪く、痩せておしまいになったのだろう」
 と母は浮舟を見て驚いていた。
「このごろずっとそんなふうでいらっしゃいまして、物は召し上がりませんし、お苦しそうにばかりしていらっしゃるのでございます」
 乳母はこう告げた。
「怪しいことね。物怪か何かが憑いたのだろうか。あるいはと思うこともあるけれど、石山詣りの時は穢れで延びたのだし」
 と言われている時片腹痛さで伏し目になっている姫君だった。
 夜になって月が明るく出た。川の上の有明月夜のことがまた思い出されて、とめどなく涙の流れるのもけしからぬ自分の心であると浮舟は思った。
 母は昔の話などをしていて弁の尼も呼びにやった。尼は総角の姫君のことを話し出し、
「考え深い方でいらっしゃいまして、御兄弟のことをあまりに御心配なさいまして、みすみす病気を重くしておしまいになりお亡れになったんですよ」
 と歎いていた。
「生きておいでになりましたら、宮の奥様の所と同じにおつきあいをあそばすことができまして、ただ今まで御苦労の多うございましたのを、お取り返しになれますほどおしあわせにおなりあそばされたのでしょうに」
 尼のこの言葉を常陸夫人は喜ばなかった。自分の娘も八の宮の王女である、これから願っていたような幸福の道を進んで行ったならば二人の女王に劣る人とは見えぬはずであるなどという空想をして、
「ずっとこの方では苦労をし続けてきたのですが、少しそれがゆるんで大将さんのところへ迎えられて行くことになりましたら、ここへ私の出てまいるようなこともあまりできますまい。まあ今のうちに昔のお話をゆるりとしておくことだと思うのですがね」
 などと言っていた。
「私などは縁起でもない恰好をしてと思いまして、こちらへ出てまいってこまごまとしたお話を申し上げますのも御遠慮がされて引っ込んでいましたものの、京へ行っておしまいになれば、心細くなることでございましょう。でもね、こうしたお住まいをしていらっしゃるのは何だかたよりない気のしたものですが、私もうれしいことに違いございません。重々しいお身の上のある方がこんなにも御丁寧にしてお迎えになるのは、奥様のお一人と思召すお心がおありになるからだと私へお話のあったことがございます。将来御不安なことなどは決してございませんよ」
「まああとのことはわかりませんが、現在はまあこうした御親切をお見せくださるものですから、最初いろいろとお骨を折ってくださいましたあなたの御恩が思われます。宮の奥様はもったいないほどこの方を愛してあげてくださいましたのですが、あちらではめんどうが少し起こりかけましてね、ごやっかいにならせてお置きすることもできませんで、行きどころのないような孤独の方になっておいでになったので私は心配しておりましたがねえ」
 尼は笑って、
「あの宮様は騒がしいくらい御多情な方でね、利巧な若い女房は御奉仕がいたしにくいそうですよ。ほかのことはごりっぱな方なのですがね、そんなことで奥様が無礼だとお思いになることがないかと御心配が絶えないなどと大輔の娘が話していましたよ」
 こう言うのを、女房ですらその遠慮はするのである、まして自分は夫人の妹でないかと思いながら、横たわった浮舟は聞いていた。
「まあこわい話ですね。大将さんは内親王様を奥様に持っておいでになりましても、この方とは縁の遠い奥様ですもの、悪くお思われになっても、よくても、それはどちらでもともったいないことですが思っています。二条の院の奥様に苦労をおかけ申すようなことをこの方がなさいましたら、私はどんなにこの方がかわいそうでも二度と逢うことはいたしますまい、他人になりますよ」
 母が尼に話すこの言葉で肝も砕かれたように浮舟の姫君は思った。やはり自殺をすることにしよう。このままでは自分の醜聞が広がってしまうに違いない、どんなことが自分のために起こるかもしれぬなどと、姫君が胸をおさえて思っている山荘の外には宇治川が恐ろしい水音を響かせて流れて行くのを、常陸夫人は聞いて、
「川といってもこんなこわい気のするものばかりでもありませんのにね、ひどくすごい所に長く置いておおきになったのですもの、大将さんが同情して京へ迎えてくださるのがもっともですよ」
 そう言う常陸夫人は得意そうであった。女房たちも川の水勢の荒いことなどを言い合い、
「先日も渡守の孫の子供が舟の棹を差しそこねて落ちてしまったそうです。人がよく死ぬ水だそうでございます」
 などと言っていた。
 浮舟の姫君は今思っているように自分が行くえを不明にして死んでしまえば、親もだれも当分は力を落として悲しがるであろうが、生きていて世間の物笑いに自分がされるようであればその時の悲しみは短時日で済まず永久に続くことであろう、死ぬほうがよいと考えてみると、そのほうには故障があるとは思えず快く決行のできる気になるもののまた悲しくはあった。母の愛情から出る言葉を寝たようにして聞きながら浮舟は思い乱れていた。いたましいふうに痩せてしまったことを乳母にも言い、適当な祈祷をさせてほしいと言い、祭や祓などのことについても命じるところがあった。「恋せじと御手洗川にせし禊神は受けずもなりにけらしな」そんな禊もさせたい人であるのを知らない人たちがいろいろに言って騒いでいるのである。
「女房の数が少ないようですね。確かに信用のできる人を捜しておくことですね。見ず知らずの女は当分雇わないことにしなさいよ。りっぱな方の奥様どうしというものは、御本人たちは寛大な態度をとっていらっしゃっても、嫉妬はどこにもあるわけでね、お付きの者のことなどからよくないことも起こりますからね、悪いきっかけというようなものを作らないように女たちには気をおつけなさいよ」
 などと、注意のし残しもないように言い置いてから、
「家で寝ている人も気がかりだから」
 と言い、母の帰ろうとするのを、物思いの多い心細い浮舟は、もうこれかぎり逢うこともできないで死ぬのかと悲しんだ。
「身体の悪い間はお目にかからないでいるのが心細いのですから、私はしばらくでも家のほうへ行きとうございます」
 別れにくそうに言うのであった。
「私もそうさせたいのだけれど、家のほうも今は混雑しているのですよ。あなたに付いている人たちもあちらへ移る用意の縫い物などを家ではできませんよ、狭くなっていてね。『武生の国府に』(われはありと親には申したれ)においでになっても、私はそっと行きますよ。つまらぬ身の上ですから、それだけはあなたのために遠慮されますがね」
 と母は泣きながら言っていた。

第6章 随身

 薫からまたも手紙の使いが来た。病気と聞いて今日はどうかと尋ねて来たのである。
自身で行きたいのですが、いろいろな用が多くて実行もできません。近いうちにあなたを迎えうることになって、かえって時間のたつことのもどかしさに気のあせるのを覚えます。
 こんなことも書かれてあった。
 兵部卿の宮は昨日の手紙に返事のなかったことで、
まだ迷っているのですか、「風の靡き」(にけりな里の海人の焚く藻の煙心弱さに)のたよりなさに以前よりもいっそうぼんやりと物思いを続けています。
 などとこのほうは長かった。この前の前、雨の降った日に山荘で落ち合った使いがまたこの日出逢うことになって、大将の随身は式部少輔の所でときどき見かける男が来ているのに不審を覚えて、
「あんたは何の用でたびたびここへ来るのかね」
 と訊いた。
「自分の知った人に用があるもんだから」
「自分の知った人に艶な恰好の手紙などを渡すのかね。理由がありそうだね、隠しているのはどんなことだ」
「真実は守(時方は出雲権守でもあった)さんの手紙を女房へ渡しに来るのさ」
 随身は想像と違ったこの答えをいぶかしく思ったがどちらも山荘を辞して来た。随身は利巧者であったから、つれて来ている小侍に、
「あの男のあとを知らぬ顔でつけて行け、どの邸へはいるかよく見て来い」
 と命じてやった。さきの使いは兵部卿の宮のお邸へ行き、式部少輔に返事の手紙を渡していたと小侍は帰って来て報告した。それほどにしてうかがわれているとも宮のほうの侍は気がつかず、またどんな秘密があることとも知らなかったので近衛の随身に見あらわされることになったのである。
 随身は大将の邸へ行き、ちょうど出かけようとしている薫に、返事を人から渡させようとした。今日は直衣姿で、六条院へ中宮が帰っておいでになるころであったから伺候しようと薫はしていたのである。前駆を勤めさせる者も多く呼んでなかった。随身が取り次ぎを頼む人に、
「妙なことがあったものですから、よく調べてと思いましてただ今までかかりました」
 と言っているのを片耳にはさみながら、乗車するために出て来た薫が、
「何かあったか」
 と聞いた。取り次いだ人もいることであったから随身は黙ってかしこまってだけいた。様子のありそうなことであると見たが薫はこのまま出かけてしまった。
 中宮がまた少し御病気でおありになるということで宮達も皆集まって来ておいでになった。高官たちもたくさんまいっていて騒いでいたがたいしたことはおありにならなかった。内記は太政官の吏員であったから、役向きのことが忙しかったのかおそくなって出て来た。そして宇治の返事の来たのを宮に、台盤所へ来ておいでになって戸口へお呼びになった宮へ差し上げていたのをちょうどその時中宮の御前から出て来た大将が何心なく横目に見て、大事な恋人からよこしたものらしい文であるとおかしく思い、ちょっと立ちどまっていた。宮は引きあけて読んでおいでになる、紅の薄様に細かく書かれた手紙のようである。文に夢中になっておいでになる時に、左大臣も御前を立って外のほうへ歩いて来るのを見て、薫は自身の休息室から今出るふうにして大臣の来たことを宮へ御注意するための咳払いをした。これで宮がお隠しになったあとへ都合よく大臣は来ることになった。宮は驚いたふうに直衣の紐を掛けておいでになった。薫も兄の大臣の前に膝を折り、
「私はもう下がってまいろうと思います。いつもの物怪は久しく禍をいたしませんでしたのに恐ろしいことでございます。叡山の座主をすぐ呼びにやりましょう」
 とだけ言い、忙しそうに立って行った。
 夜のふけたころだれも皆六条院から退出した。左大臣は宮をお先立てして幾人もの子息の高官、殿上人を率いていて東の御殿へ行った。右大将はそれに少し遅れて自邸へ帰るのであった。随身が告げることのありそうなふうであったのを怪しく思っていたから、前駆の人たちなどが馬からおりて炬火に火をつけさせたりしている時に、薫は随身を近くへ呼んだ。
「さっきの話はどんなことか」
「今朝宇治に出雲権守時方朝臣の所におります侍が来ておりまして、紫の薄様に書いて桜の枝につけられました手紙を西の妻戸から女房に渡しているのを見ましてございます。見つけまして何かと聞きただしますと、申すことが作りごとらしいものでございますから、信用はできないと存じまして、小侍をそっとつけてやりますと、兵部卿の宮のお邸へまいり、式部少輔にその返事を渡したそうでございます」
 と言う。薫は不思議なことであると思い、
「その返事をあちらではどんなふうにして出したか」
「それは見なかったのでございます。別の戸口から出して渡したらしいのでございます。下人から聞きますと赤い色紙のきれいなものだったと申すことです」
 この言葉から思い合わせると、宮の見ておいでになった文がそれに相違ないと薫は思った。そんなにまで苦心をして調べ出して来たのは気のきいた男であると思ったが、人がすでに集まって来ていたからそれ以上の細かいことは言わせずに済ませた。
 薫は車で来る途々の話を思い、恐ろしいほど異性に対しては神経の過敏に働く宮である、どんな機会にあの人のことをお知りになったのであろう、そしてどうして誘惑をお始めになったのであろう、あの田舎の宇治に住ませてあれば、そうした危険には隔離されているもののように思い、安心していたのはなんたる自分の幼稚な考え方であったろう、それにしても互いに知らぬ人の愛人と恋愛の遊戯をすることも世間にはあるであろうが、自分と宮とは親友の間柄で、人が怪しむほどにも助けられ、お助けして恋の媒介をすら勤めた自分の愛人を誘惑などあそばされてよいわけはないと思うと不快でならなかった。西の対の夫人を非常に恋しく思いながら、ある線を越えて行かない自分はりっぱでないか、しかも親密にするのは宮家へはいってからの夫人としてではない、宮に対してやましい思いをお持ちするのがいやで、恋しい心を抑制しているのは愚かなことであったかも知れぬ、ずっとこのごろ宮は御病気のようで始終お見舞いの人々に取り巻かれておいでになりながら、どうして宇治へのお手紙は書かれたのであろう、またどうしてお通いになることができたのであろう、遠くはるかな恋の道ではないか、だれにも想像のつかぬ所へ行ってお泊まりになることがあり、所在を捜されておいでになる時があるという御評判も聞いた、罪な恋におぼれて御煩悶から名のない病気におかかりになっているのであろう、昔のことを思い出しても、あの山荘へお通いになることの可能でない間は見てもいられぬほどお気の毒に思いやつれておいでになったものであると薫は思い、またいろいろと思い合わせてみると、女が非常に物思いをしていたこともこの理由があってのことであったと、一つが明らかになると次々にうなずかれていくことも多くて女がうとましく思われた。完全な人というものは少ないものである、可憐でおおように見えながら媚態の備わったのが彼女である、宮のお相手には全く似合わしいものであるから、すべて今からお譲りしてしまいたい気も薫はしたが、正妻として結婚した女にそうした過失をされたというのでなく、今後も愛人としての彼女を失ってしまっては恋しくなるであろうと、未練らしく思われないこともなかった。自分が捨ててしまえば必ず宮はどこかへ呼び寄せてお置きになるであろう、女がどんな不名誉なことになろうとも思いやりはおできになるまい、今までからそんな人を二、三人も女一の宮の女房に推挙されたことがある、そうした境遇になった時、自分は見るに忍びないつらさを味わうであろうと思い、捨てる気は起こらないで、どうするつもりかも見たく思い、家へ帰った。薫は手紙を宇治へ書いた。
 大将は例の随身を使いに選び、自身で人のない時にそば近くへ呼んだ。
「時方朝臣は今でも仲信の家に通っているか」
「そうでございます」
「宇治へいつもその使いをやるのだね。零落をしていた女だから時方も恋をしていたことがあるかもしれないね」
 と歎息をして見せ、
「人に見られないようにして行け、見られれば恥ずかしいよ」
 と言った。時方が始終大将のことをいろいろと訊きたがり、山荘の中のことを聞いていたのは、自身のためでなく他の方のためにしていたことであったに違いないし、大将もまたそれを隠そうとしているのであると、物なれた思いやりをして何とも問わず、薫も低い人間にくわしいことは知らせたくないと思っているのであった。
 山荘では大将家からの使いが平生よりもたびたび来ることでも不安が覚えられる浮舟の君であった。手紙はただ、

浪こゆる頃とも知らず末の松まつらんとのみ思ひけるかな
(心変わりのころとも知らずに、いつまでも待ち続けていると思っていました)

人にこの歌をお話しになって笑ってはいけませんよ。
 と書かれてあるだけであったが、いぶかしいと思った瞬間から姫君の胸はふさがってしまった。相手の言おうとしていることを知っているような返事を書くことも恥ずかしく、誤聞であろうと言いわけをするのもやましく思われて、手紙をもとのように巻き、
どこかほかへのお手紙かと存じます、身体を悪くしていまして、今日は何も申し上げられません。
と書き添えて返した。
 薫はそれを見て、さすがに才気の見えることをする、あの人にこんなことができるとは思わなかったと思い、微笑をしているのは、どこまでも憎いというような気にはなっていないからであろう。
 正面からではないが薫がほのめかして来たことで浮舟の煩悶はまたふえた。とうとう自分は恥さらしな女になってしまうのであろうといっそう悲しがっているところへ右近が来て、
「殿様のお手紙をなぜお返しになったのでございますか。縁起の悪いことでございますのに」
 と言った。
「私に理由のわからないことが書かれていたから、持って行く先をまちがえたのでしょうって書いて」
 浮舟から聞くまでもなく、不思議に思ってすでに手紙は使いへ渡す前に右近が読んであったのである。意地悪な右近ではないか。見たとは姫君へ言わずに、
「あなた様はほんとうにお気の毒でございます。お苦しいのはお三人ともですけれどね。殿様は秘密をお悟りになったらしゅうございますね」
 と言われて、浮舟の顔はさっと赤くなり、ものを言うこともしなかった。手紙を見たとは思わずに、来た使いなどから薫の様子が伝えられたのであろうと思っても、だれがそう言っているかとも問えなかった。右近と侍従がどう想像しているであろう、恥ずかしいことである、自発的に惹き起こした恋愛問題ではないが、情けない運命であると、横たわったまま思い沈んでいると、侍従と二人で右近は忠告を試みようとした。
「私の姉は常陸で二人の情人を持ったのでございます。どの階級にもそうした関係はあるものでございましてね、どちらからも深く思われていたのでございますから、どうすればよいかと迷っていながらも、姉はあとのほうの男を少しよけいに愛していたのですね、それを嫉妬しまして、前の男があとの男を殺してしまったのでございます。そして自身も姉を捨ててしまいました。お館でもよい侍を一人なくしておしまいになったのでございます。殺したほうもよい郎党だったのですがそんな過失をしてしまった男は使わないとお国から逐われてしまいました。皆女がよろしくない二心を持ったから起こったことだとお言いになりましてお館の中にも置いていただけなくなりましたので、東国人になってしまいまして、ままは今でも恋しがって泣いております。罪の深いことだとこんなことも思われるのでございますよ。悪い話のついでに申すようでございますが、貴族の方でも低い身分の者でも二つに愛を分けて煩悶をするということは悪いことでございますよ。貴族は命のやり取りなどはなさいませんでも、死ぬにもまさった名誉の損というものがあるのですからね。かえって辛うございます。ともかくもどちらかお一人にきめておしまいなさいましよ、宮様も殿様以上に誠意を持っておいでになるのでしたら、それでもよろしいではありませんか。さっぱりとお気持ちを清算しておしまいになりまして、あまり煩悶はせぬようになさいませ。痩せて病気にまでなっておいでになってはつまらないではございませんか。奥様があれほどにもあなた様のことを御心配していらっしゃるではありませんか。私の母のままが殿様のほうへおいでになることと思い込みまして夢中になって御用意を申しておりますのを見ますと、それはやめて別の所へ行くとお言いになりますのもつらいことだろうと思います。またままがかわいそうにも思われます」
 と右近が言う横から、侍従が、
「まあそんなこわい気もするほどのことを申し上げないでお置きなさいよ。こうなりましたのも皆宿命というものですよ。ただお心の中で少しでも多く愛のお感じられになる方の所へお行きになることになさいませ。ほんとうにあの御身分の方があんなにまで思い込んだふうでいらっしゃったのですもの、お引っ越しの御用意だと言って皆が騒いでいます仕事を私はいっしょにする気もしないのですよ。しばらくは隠れたままのことにしてお置きになりましても、お心のお惹かれになる方に一生をお託しあそばすのがいいと私は思います」
 と宮の御美貌を愛する心から片寄った進言をする。
「なにも私はぜひ大将様のほうにと言うのではありません、どちらでもよろしゅうございますから、事が起こらずにこの問題が解決されますようにと、初瀬、石山の観音様にも願を立てているのです。大将様の御荘園の御用をしていますのは皆武力を持った荒い人たちで、仲間が無数に宇治にいるのですからね、この山城、大和の殿様の領地というものは皆ここの内舎人といわれている人に縁故を持った人が支配しています。内舎人の婿の右近の大夫というのが党主のようになっていろいろのことをきめるようですよ。貴族どうしは同情のないことを相手にさせようとは思っていらっしゃらないでしょうが、思いやりのないこの辺の田舎侍がかわるがわる宿直に来ていますから、自身の当番の時におちどのないようにと思いまして、どんな失礼なしぐさを宮様の御微行にしかけるかわかりません。せんだっての時のことなどほんとうに今思ってもこわいようでございます。宮様のほうでは人目を思召してお付きもたくさんおつれにならないで、だれかわからぬようにしていらっしゃいますから、あの荒男どもがお見つけしましたらどんなことが起こりますかと心配ばかりいたしました」
 浮舟の姫君は、自分が宮に多く心を惹かれているときめてこの人たちのいっているのを聞くのも恥ずかしい、自分はどちらをどうとも判断もできないのに苦しんでいるのである、夢の中のようになす術を知らないのである、はげしく自分をお思いになる方に対しては、なぜこうまでもと感激はしているが、良人と思い、月日の長く積もった人から離れてしまおうとは思えないためにこんな煩悶がされるのである、右近が言ったように、これから表面に出て悪いことが起こってくればどうしようとつくづくと思い沈んでいた。
「私はどうしてでも死にたい、人並みでない情けない私になったのだもの、こんな情けないことは低い身分の人たちにだってたくさんないはずね」
 こう言って姫君はうつ伏しになって泣く。
「そんなに御心配をなさるものではありません。お心を少しでも楽にお持ちあそばすようにと思って申し上げたことでございますよ。お心に苦しいことがありましてもお気にとめておいであそばさないようにおおようにしておいでになりましたあなた様が、この問題が起こりました時からいらいらとなさいますふうの見えますのはどうしたことでしょう」
 とも右近はなだめていた。この人たちも思い乱れているのである。乳母は得意になって染めたり裁ったりしていた。新しく来た童女のかわいい顔をしたのを姫君のそばへ呼んで、
「まあこんな人でもお慰めに御覧なさいましよ。いつもお気分がすぐれないようにお寝みになっていらっしゃるのは物怪などがおしあわせの道を妨げようとするのかもしれませんね」
 と言いながらも歎いていた。

第7章 告別の歌

 大将からはあの返した手紙に対して言ってくることもなくそのまま幾日かたった。右近が姫君をおどすために話した内舎人という者が山荘へ現われて来た。噂どおりに荒々しい武骨なふうの老人が、声まで宇治の内舎人らしいこわい声で、
「もののわかる女房衆にお話がしたい」
 と取り次がせたために、右近が出て行った。
「殿様からお召しがありましたので、今朝から京へまいって今が帰りです。いろいろと御用を仰せつけられましたついでに、こうしてここに奥様をお置きになっていらっしゃって、夜中でも夜明けでも御用には私らが宇治にいるのであるからと思召して、京のお邸から宿直の侍などはおよこしにならなかったところが、このごろになって、こちらの女房衆の所へよその人が通って来る話を聞いた、不届きだ、宿直に行っている者は出入りの人の名を聞いたはずだ、知らないで門を通すはずはないではないか、何という人が来たのかとこうお尋ねになったのですが、私は何も承知しないことですから、私は重い病気をしておりまして、そんなことのありましたのも、来た人はだれかということも存じません。ただしお役にたつような男はかわるがわる差し上げてあるのですから、ただ今お話のようなとんでもない事件がありますれば私の耳にはいっていぬはずはございませんとお取り次ぎをもって申していただいて来ました。気をつけて別荘を守れ、悪いことが起これば重い罰を加えるからという仰せがあったので、どんな罰にあうのかと恐れていますよ」
 これを聞いていて右近は、梟の啼き声を聞くより恐ろしく感じた。答えもできず内舎人を帰したあとで、
「とうとうこんなことになりました。私が申していたとおりのことをお聞きになることになりました。大将様はあの秘密を皆お知りになったのですよ。お手紙もあれからまいりませんね」
 などと姫君に言って歎息をした。乳母は内舎人の話を少し聞いていて、
「よく御注意をしてくださいましたわね。盗人などの多い土地だのに宿直の人だって初めほど頼もしい人は来ていなかったのですからね、代役だと言って下っぱの者をよこすようになって、その人たちというものは夜まわりをすらしないのですから」
 と喜んでいた。浮舟はこうして寂しい運命のきわまっていくことを感じている時、宮から決心ができたはずであるとお言いになり、「君に逢はんその日はいつぞ松の木の苔の乱れてものをこそ思へ」というようなことばかり書いておいでになった。どちらへ行っても残る一人に障りのないことは望めない、自分の命だけを捨てるのが穏やかな解決法であろう、昔は恋を寄せてくる二人の男の優劣のなさに思い迷っただけでも身を投げた人もあったのである、生きておれば必ず情けないことにあわねばならぬ自分の命などは惜しくもない、母もしばらくは歎くであろうが、おおぜいの子の世話をすることで自然に自分の死のことは忘れてしまうであろう、生きていて身をあやまり、嘲笑を浴びる人になってしまうのは、母のためには自分の死んだよりも苦しいことに違いないと浮舟は死のほうへ心をきめていった。子供らしくおおようで、なよなよと柔らかな姫君と見えるが、人生の意義というものを悟るだけの学識も与えられずに成長した人であるから自殺というような思いきったこともする気になったらしい。あとで人の迷惑になりそうな反古類を破って、一度には処分せずある物は焼き、また水へ投げ入れさせなどしておいおいに皆なくしていった。秘密の片端も知らぬ女房などは、ほかへ移転をされるのであるから、つれづれな日送りをしておいでになる間にたまった手習いの紙などを破ってしまうのであろうと思っていた。侍従などの見つける時には、
「なぜそんなことをなさいますか。思い合った中でお取りかわしになったお手紙は、人にはお見せになるものではありませんでも、箱の底へでもしまってお置きになりまして、時々出して御覧になりますのが、どの女性にも共通した楽しいことになっておりますよ。この上もないお紙をお使いになりまして、美しい御文章でおしたためになったものを、そんなに皆お破りになりますのは情けないことではございませんか」
 こんなふうに言ってとめる。
「いいのよ。私にはもう長い命はないようだからね。あとへ残ってはお書きになった方の迷惑にもなって気の毒よ。悪い趣味だ、愛人の手紙などをしまっておくなどとまたお思いになる方があっても恥ずかしいしね」
 などと浮舟は言うのであった。死というものの心細い本質を思ってはまだ自殺の決行はできないらしいのももっともである。親よりも先に死んで行く人は罪が深くなるそうであるがなどとさすがに仏教の教理も聞いていて思いもするのである。
 二十日過ぎにもなった。宮が交渉しておありになった家の住み主が二十八日に家をあけて立つことになっていて、
その二十八日の夜に必ず迎えに行きます。下人などに出かけるのを悟らせぬように気をおつけなさい。自分のほうから秘密のもれるようなことは絶対にありません。疑いを持たずにいてください。
 というようなお手紙が来た。そうした無理な工作をしておいでになっても、もう一度お話をすることすら不可能でそのままお帰しすることになるのは悲しい。またどんな短時間でもこの家へお入れすることはできるものでないと思う浮舟が失望して自身を恨みながらお帰りになる様子を想像すると、常に去らない幻がまたありありと見えて、悲しかった。宮のお手紙を顔に押しあててしばらくは忍んで泣いていたが、そのうち声にも出してひどく泣いた。右近が、
「お姫様はこんなふうにしていらっしゃいますと人が皆悟ってしまいます。近ごろは不審を起こしかけた人たちもあるようでございます。こんなに一つのことを断ち切れない御心配になさいませんで、宮様へは御同意なさいましたことを書いておあげなさいましよ。私がおります以上、どんな大それたことでございましても取り繕いまして、こんなお小さいお身体一つは空からでもおつれ出しいたします」
 と言うのを聞いて、
「そんなふうに私の心を解釈されるのが苦しい。そうしたいと私が望んでいるのならそれでいいけれど、してはならないことだと、どんなことも皆私は否定しているのに、このお手紙のように信じていらっしゃるのかと思うと、あの方はこれからのちにまたどんなことをあそばすだろうと不安でならなくて、私は今運命を悲しんでいるのよ」
 と浮舟は言い、お返事は書かなかった。
 兵部卿の宮は出奔してくることを浮舟が受諾して来ないし、返事さえ一つ一つは書いてよこさなくなったのは、大将が上手に、その人をなだめてしまい、自分へ来るより安定のありそうな境遇を選ばせることにしたのであろう、それは道理でもあると思召すのであったが、御自身としては残念でねたましく、今の態度はこうであっても、確かに自分をあの人は愛していたのだ、逢わないうちに周囲の者からよけいな忠告をされて、そのほうへ心が傾いたのであろうと物思いをしておいでになると、「わが恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれども行き方のなき」というふうにもなっていくため、例の無理をあそばして宇治へおいでになった。
 蘆垣のところへ近づいておいでになると、これまでとは変わり、
「そこへ来るのはだれだ」
 と緊張した声でとがめる者が幾人もあった。そこからやや遠ざかっておいでになり、行きなれた侍だけをおやりになったが、それをさえ誰何した。以前の様子と変わったことをめんどうに思い、
「京から急用のお手紙を持って来たのです」
 と侍は言った。右近の使っている侍の名を言って呼んでもらった。右近はこの上にもまた難儀なことが起こってくると思った。
「どうしても今夜はだめでございます。非常に恐縮しておりますが」
 と宮へ申し上げさせた。宮はどうしてこんな冷淡な取り扱いをするのであろうと、途方にくれたように思召して、
「ともかくも時方が行って、侍従を呼び出して都合をつけさせてくれ」
 とお言いになり、内記をまたおやりになった。時方は才子であったから上手に宇治侍を欺いて、侍従を呼び、話すことができた。
「どうしたのでしょうか、大将様から仰せがあったのだと言いまして、宿直する人が出過ぎたことばかりを言うようになりまして困ります。お姫様がめいってばかりいらっしゃいますのは、宮様の思召しにお報いになることがおできになりませんからかとお気の毒に拝見いたしております。ことに今夜はあの人らが厳重に見張っておりますから、お逢いにいらっしゃいましてはかえって悪いことになりそうでございます。またおよろしい日においでくださいますことを、前に知らせてお置きくださいましたら私ども秘密になんとかいたして都合をつけます」
 と侍従は言い、乳母が寝敏いことも語った。時方は、
「並みたいていの道をおいでになったのではありませんからね、よくよくお逢いになりたい御様子なんですから、失望をおさせいたすようなお返辞はもったいなくて私からできません。それではあなたがそこまで来てくだすって、私も言葉を添えますが、あなたからお断わりを申し上げるようにしてください」
 と言って、誘い出そうとした。それは無理である、ぜひそうしてと言い合っているうちにも夜もずっとふけてきた。
 馬上の宮は少し遠くへ立っておいでになるのであったが、田舎風な犬が集まって来て吠え散らす。恐ろしい気がしてお供の少ない軽いお出歩きであったから、無法者が走って出て来たならどう防いでよいかなどと、四、五人の者は心配していた。
「どうしても来てくださることですよ。早く、早く」
 とせきたてて時方は侍従をつれて来るのであった。髪を右の脇から前へ曲げて持っている侍従は美しい女房であった。馬に乗せようとするが承知しないために、衣服の裾を時方は持ってやりながら歩かせて行くのである。自身の沓を侍従にはかせて、内記は供男の草鞋ようのものを借りてつけた。
 宮のおそばへまいって山荘の事情をお話し申し上げ、侍従を伴って来たことをお知らせしたが、お話しになる場所というようなものもなくて、田舎家の垣根の雑草の中にあふりというものを敷いて、そこへ宮をおおろしした。宮もこんな所で災厄にあって終わる運命で自分はあるのかもしれぬとお思われになり非常にお泣きになった。心の弱い者はましてきわめて悲しいことであるとお見上げしていた。どんな仇敵でも、鬼であっても、そこなえまいと見える美貌をお持ちになるはずである。しばらく躊躇をあそばしてから、
「ちょっとひと言だけ話をすることもできないのだろうか。どうして今になってそんなに厳重に見張るのだろう。そばの者がどんなことを言ってあの方の自由意志を曲げさせたのか」
 と侍従へ仰せられた。山荘内のことをくわしく申し上げて、
「またおいでの思召しのございます前からおっしゃってくださいまして、私どもにできますことをさせてくださいませ。こんなもったいない御様子を拝見いたします以上、私は自分を喜んで犠牲にもいたしまして、よろしい計らいをいたします」
 と侍従は申した。御自身も人目をはばかっておいでになるのであるから、恋人をだけお恨みになることもおできにならなかった。
 夜はふけにふけてゆく。初めから吠えかかった犬はそれなりも声も休めずに騒がしく啼く。従者がそれを追いかけようとすると、山荘のほうでは弓の弦を鳴らし、荒武者の声で「火の用心」などと呼ぶ。落ち着かぬお心から帰ろうとあそばしながらも、宮のお心は非常に悲しかった。

「いづくにか身をば捨てんとしら雲のかからぬ山もなく泣くぞ行く
(どこに身を捨てようかと捨て場も知らず、雲がかからぬ山もなく泣く泣く帰って行くことよ)

 ではもう別れて行こう」
 とお言いになり、侍従をお帰しになった。宮の御様子は艶で、夜中の霧に湿ったお召し物から立つ香はたとえようもなく感じのいいものであった。
 侍従は泣く泣く帰って来た。右近が宮のおいでをお断わり申し上げたことを言ってから浮舟はいよいよ煩悶を深くして寝ていたが、侍従のはいって来て、外での様子を話すのに対して返辞はしないながら枕も浮き上がらんばかりの涙の出るのを、この人がどう思うかとまた恥じられもした。
 翌朝も泣きはらした目を思うと浮舟は起きるのがつらくていつまでも寝ていた。
 起きてからははかなそうな姿で、しかも仏へ敬意を表する型として帯の端を肩から後ろ向きに掛けなどしながら浮舟の姫君は経を読んでいた。親よりも先に死ぬ罪が許されたいためである。宮のお描きになった絵を出してながめているうちに、その時の手つき、美しかったお顔などがまだ近い所にあるように見えてくる。そんなにも心から離れない方であるから、最後にひと言のお話もできなかった昨夜のことは悲しくてならないはずである。初めから同じように永久愛して変わるまいと言っていた大将も、自分が死んだあとではどんなに歎くことであろうと思い、その人への恋を忘れて心の変わったために死んだと自殺後に言う人もあろうことの想像されるのも恥ずかしかったが、軽薄な女と思われ、宮のほうへ奔ったと大将に思われるよりはまだそのほうがいいと思い続けて、

歎きわび身をば捨つとも亡きかげに浮き名流さんことをこそ思へ
(嘆き絶えない身を捨てても、亡くなった後に流れる嫌な評判こそ気にかかる)

 と詠まれもした。母も恋しかった。平生は思い出すこともない異父の弟妹の醜い顔をした人たちも恋しかった。二条の院の女王を思い出してみても、恋しい。またそのほかにももう一度だけ逢いたいと思われるのが多い。女房たちは皆晴れと思う移転の時の用に物を染めたり、縫い物をしたり、何やかやとそうしたことについて話し合っているが浮舟は耳に聞こうともしない。夜になると人に見つけられずに家を出て行くのはどこをどうして行けばいいかという計画ばかりされて眠れぬために気分も悪く、病人のようになっている浮舟であった。朝になれば川のほうをながめながら「羊の歩み」よりも早く死期の近づいてくることが悲しまれた。
 宮からは悲しかった夜のことをお言いになり激情にあふれたお手紙を贈られた。死期に人の見るかもしれぬものであるからと思うと、このお返事にも浮舟は思うだけのことを書かなかった。

からをだにうき世の中にとどめずばいづくをはかと君も恨みん
(亡骸さえ嫌な世に残さなければ、どこを目当てとあなたを恨みましょう)

 とだけ書いて出した。
 姫君は大将へも遺書としてのものを書いておきたく思ったが、あちらへもそちらへも書いておいて、親友でおありになる人たちの話に上ることがあれば、情操のないことと思われるかもしれぬ、朧にぼかしておいて、どうなったかわからぬように自分の消えてしまうのがいいのであると思い返した。
 京の使いが母の手紙を持って来た。
昨夜の悪夢の中であなたを見たものですから、ほうぼうの寺へ誦経を頼みました。その夢のあとは眠られなかったものですから、今日また昼寝をしました夢に、人が大不吉だという夢の中でまたあなたを見たのです。驚きながらこの手紙を書きます。謹慎日はよく謹慎してお暮らしなさい。寂しいそのお家へ時々おいでになります大将の関係から、どんな呪を受けておいでになるかわからないのにあなたは病気だし、ちょうどこんな時に悪夢が続くので心配しています。私が行きたいのだけれど、少将の妻の産前の容体が不安で、物怪風に煩っていますから、しばらくでもそばを離れますことは主人がやかましいため出かけられませぬ。そこの近くの寺へも誦経を頼みなさい。
 と書いて、寺へ納めるべき物、寺への依頼状も添えて持たせて来たのであった。
 もう死ぬ覚悟をしている自分とも知らずに、こんなに心をつかっているかと浮舟は母の愛を悲しく思った。寺へその使いをやった間に、母への返事を姫君は書くのであった。言いたいことは多かったが気恥ずかしくて、ただ、

のちにまた逢ひ見んことを思はなんこのよの夢に心まどはで
(来世で再び会うことを思いましょう。この世の夢に心惑わず)

 とだけ書いた。誦経の初めの鐘の音が川風に混じって聞こえてくるのをつくづくと聞いて浮舟は寝ていた。

鐘の音の絶ゆる響きに音を添へてわが世尽きぬと君に伝へよ
(鐘の音が絶える響きに泣き声添えて、我が命が終わったと母に伝えてください)

 これは寺から使いがもらって来た経巻へ書きつけた歌であるが、使いは朝になってから帰るというために木の枝へ結びつけて渡すようにしておいた。乳母が、
「何だか胸騒ぎがしてならない。奥様も悪夢をたくさん見ると書いておよこしになったのだから、宿直の人によく気をつけるように言いなさい」
 と言っているのを、今夜脱出して川へ行こうとする浮舟は迷惑に思って聞いていた。
「お食事の進みませんのはどうしたことでしょう。お湯漬けでもちょっと召し上がってごらんになりませんか」
 などと世話をやくのを、利巧ぶっても老人ふうになってしまったこの女は、自分が死んでしまえばどこへ行くであろうと、そんなことも想像して浮舟は悲しかった。もう寿命とは別にこの世から消えて行こうと思っているとほのめかして乳母に言おうとすると、まず自分自身が驚かされて涙の流れるのを隠そうとすれば、それでものが言えなかった。右近が近くへ来て、寝仕度をしながら、
「あんまり物思いをあそばすと、物思いする魂は身体を離れてしまいますから、奥様へも悪い夢になって現われるのでございましょう。どちらか一方へお心をお集めになって、どうにでも成り行きにおまかせなさいませ」
 と歎息もしつつ告げた。
 柔らかい着物を顔に押し当てるようにして浮舟の姫君は寝たそうである。

今回のあらすじ

浮舟を追想し、中君を恨む匂宮と浮舟を宇治に放置する薫

手紙の主を浮舟と察し、大内記から薫と浮舟の関係を知る匂宮

薫の噂を聞き知り喜び、宇治行きを大内記に相談後、馬で宇治へ赴く匂宮

浮舟とその女房らを覗き見、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む匂宮

翌朝、京へ帰らず居座る匂宮と匂宮と浮舟の密事を隠蔽し、浮舟の母の使者の迎えを断わる右近

浮舟と一日仲睦まじく過ごし、翌朝、二条院に帰邸し、中君を責める匂宮

二月上旬、宇治へ行き、浮舟と宇治橋の和歌を詠み交す薫

二月十日、宮中の詩会催された後、雪の山道の宇治へ行き、浮舟と橘の小島の和歌を詠み交し心奪われる匂宮

浮舟と一日を過ごした後、京へ帰り病に臥す匂宮

母と尼の話から、入水を思う浮舟と随身から匂宮と浮舟の関係を知らされる薫

右近の姉の悲話から死を願った後、死を決意して、文を処分する浮舟

三月下旬、匂宮を思い泣く浮舟と宇治へ行くも会えずに京へ帰る匂宮

母への告別の和歌を詠み残す浮舟

浮舟和歌集

・まだふりぬものにはあれど君がため深き心にまつとしらなん
(まだ古木にはなっておりませんが、あなたの成長を心から深く期待しています)

・長き世をたのめてもなほ悲しきはただ明日知らぬ命なりけり
(末長い仲を約束しても、やはり悲しいのは、ただ明日もわからぬ命であるよ)

・心をば歎かざらまし命のみ定めなき世と思はましかば
(心変わりを嘆いたりしないでしょう。命だけが定めないこの世と思うのならば)

・世に知らず惑ふべきかな先に立つ涙も道をかきくらしつつ
(いったいどうしたらいいか分からない。先に立つ涙が道を見えなくするので)

・涙をもほどなき袖にせきかねていかに別れをとどむべき身ぞ
(涙も狭い袖では抑えかね、どのように別れを止められましょう)

・宇治橋の長き契りは朽ちせじをあやぶむ方に心騒ぐな
(宇治橋のような長い約束は朽ちないものを、不安に思って心配なさるな)

・絶え間のみ世には危ふき宇治橋を朽ちせぬものとなほたのめとや
(絶え間ばかりが気がかりな宇治橋なのに、朽ちないものと依然頼れと言うのですか)

・年経とも変はらんものか橘の小嶋の崎に契るこころは
(何年経っても変わらないものか、橘の小島の崎で約束する気持ちは)

・橘の小嶋は色も変はらじをこの浮舟ぞ行くへ知られぬ
(橘の小島の色は変わらなくても、この浮舟のような身はどこへ行くやら)

・峰の雪汀の氷踏み分けて君にぞ惑ふ道にまどはず
(峰の雪やみぎわの氷を踏み分けて、あなたに心惑いましたが、道には迷いません)

・降り乱れ汀に凍る雪よりも中空にてぞわれは消ぬべき
(降り乱れてみぎわで凍る雪よりも、途中でわたしは消えてしまいそうです)

・ながめやるそなたの雲も見えぬまで空さへくるる頃のわびしさ
(眺めやるそちらの雲も見えないくらいに、空まで真っ暗になる今日このごろの侘しさ)

・ながめやる遠の里人いかならんはれぬながめにかきくらすころ
(遠い里の人はどのように過ごしていますか。晴れ間のない長雨に、物思いに耽る今日このごろ)

・里の名をわが身に知れば山城の宇治のわたりぞいとど住みうき
(里の名をわが身と知ると山城の宇治の辺りはますます住みにくいことです)

・かきくらし晴れせぬ峰のあま雲に浮きて世をふる身ともなさばや
(真っ暗で晴れない峰の雨雲のように、空にただよう煙となってしまいたい)

・つれづれと身を知る雨のをやまねば袖さへいとど水かさまさりて
(寂しくわが身を思い知らされる雨が降り続くので、袖までが涙でますます濡れています)

・浪こゆる頃とも知らず末の松まつらんとのみ思ひけるかな
(心変わりのころとも知らずに、いつまでも待ち続けていると思っていました)

・いづくにか身をば捨てんとしら雲のかからぬ山もなく泣くぞ行く
(どこに身を捨てようかと捨て場も知らず、雲がかからぬ山もなく泣く泣く帰って行くことよ)

・歎きわび身をば捨つとも亡きかげに浮き名流さんことをこそ思へ
(嘆き絶えない身を捨てても、亡くなった後に流れる嫌な評判こそ気にかかる)

・からをだにうき世の中にとどめずばいづくをはかと君も恨みん
(亡骸をさえ嫌な世に残さなければ、どこを目当てとあなたを恨みましょう)

・のちにまた逢ひ見んことを思はなんこのよの夢に心まどはで
(来世で再び会うことを思いましょう。この世の夢に心惑わず)

・鐘の音の絶ゆる響きに音を添へてわが世尽きぬと君に伝へよ
(鐘の音が絶える響きに泣き声添えて、我が命が終わったと母に伝えてください)

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