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【ショートショート】 海辺のベンチ

気持ちが落ち着かないときは、よく海辺のベンチに行った。
特に深い意味があるわけではない。ただ、もう何年も続けていて、実際そうすると気持ちがだんだん落ち着いてくるから私には合っているのだと思う。世にいう「自分ルール」というものだ。

その日の私は、朝からひどい気分だった。
遠方に住む祖父が亡くなったという連絡を受けた私は、何だか気持ちが落ち着かなくてとりあえず海へ向かった。

亡くなったのは明け方で、私が起きたくらいの時間を見越して母が連絡を寄越してくれた。おかげで私は、起きてすぐ心をぶん殴られたような気分になった。

私は祖父が好きだった。厳しいものの言い方をするけれど、そこに愛があることを私は幼い頃から感じていた。反抗もたくさんしたし喧嘩もたくさんしたけど、最終的に祖父が棚に隠しているドロップを一緒に舐めるのが常だった。

祖母とも仲良くやっていたが、特に私と祖父は、性格や考え方もよく似ていて話すだけで楽しかった。仲が良いか悪いかでいうと、もしかしたら一方通行な思いかもしれないけれど…私は、ものすごく良かったと思っている。

いわゆる二世帯住宅で、会おうと思えばすぐに会えるという距離感が一変したのは、私が就職をして一人暮らしをするようになってからだ。

世間一般的に田舎と括られるだろう、寂れた地元を遠く離れて、私は下手くそながらに社会という海を泳ぎ出した。
祖父のことはときどき思い出したけど、会いに行こうにもすぐに行けない距離、そして電話をしようにも祖父の耳はすっかり悪くなっていて難しくなっていた。

最後にじいちゃんの声を聞いたのはいつだっけ、と考え出したら、胸がいっぱいになって頭がクラクラした。冷たくなったじいちゃんに会う勇気が出ない。

深呼吸をして、とりあえず職場に休むと連絡を入れた後、私は迷わず海のベンチへと向かった。

向かう途中、祖父が好きだったビールをコンビニで買った。


その日の私は、朝からツイてなかった。
寝坊して、起こしてくれなかった祖母に悪態をつき、駅まで一生懸命走った。

しかしギリギリ間に合わず目の前で電車が発車して、諦めて次の電車で学校の最寄り駅まで行き、改札を通るときに定期入れを落としたことに気がつくというくらい、残念な感じだった。
ため息をついて事情を駅員さんに話し、とりあえず紛失届を提出して、改札を開けてもらいとぼとぼと学校まで歩く。

寝坊したのは、間違いなく夜更かしをしたからだ。ではなぜ夜更かしをしたのかというと…昨日クラスの友人と揉めて、ずっとメッセージのやり取りをしていたからだった。目に見える言葉のやり取りは、ニュアンスが上手く伝わらなくて揉め事はじわじわと大きくなっているような気がしたところで、寝落ちてしまった。
メッセージは相手の発言で止まっており、返信の言葉がうまく思い付かずそのままにしてしまっている。…顔を見たとき、何を言えばいいのか。考え出すとより一層、足は重くなる。

そのとき、だらだら歩いている私の前を、黒猫が通りがかった。理由は忘れたけど、数日前に黒猫が目の前を横切るのは不吉だというネット記事を見たことを思い出す。
どのみち、もう一時間目の授業には間に合わない。
ふとした思いつきで、黒猫に前を横切られまいとその後を追ってみることにした。

向かう途中、祖母がメールを入れて来ていることに気がついた。

気はついたものの何だか返す気になれず、そのまま放置して猫を追う。
何も考えず無心で追いかけて、結構な距離を歩いた私が、ふと我に返ると目の前には海が広がっていた。

夏場にはよく来るけど、今は四月で、しかも平日の朝だ。見事に誰もいない。
海を貸切にしたような気持ちになって、深呼吸をして思わずカバンを置き、そのまま波打ち際までずんずんと歩みを進めた。

その瞬間ー
「えっ、ちょっと待って!コラ!待ちなさい!」

急に、大きな声が後ろから投げられた。誰もいないと思っていた私は、びっくりして思わず振り向く。

「何してんの!どこ行くの!こっちおいで!」
髪の長いお姉さんが、缶ビールを片手に叫んでいる。…こっちにおいでって、私に言ってるのだろうか。驚きすぎて微動だにしない私を見かねて、缶ビールをベンチに置いてお姉さんがこちらに駆けてくる。

「おいで、何でもいいから」
手を引っ張られて、そのまま抱きしめられた。

「困ったな、ビールは高校生だし飲めないよねえ」
私を抱きしめたまま、お姉さんはそう呟く。
「辛いときは、飲んで忘れちゃうのもアリなんだけどね」
…あ、何か勘違いが生まれている、と気がついた頃には、お姉さんは私の手を引いて波打ち際を離れ、ベンチに私を座らせていた。

「…大丈夫?」
しばらくの沈黙を経て、お姉さんは心底心配そうな顔をして私にそう聞く。
「だ、大丈夫です」
お姉さんこそ大丈夫だろうか。いま木陰で改めて顔を見ると、泣いていたように目が赤い。

「そう」
短くそういうと、お姉さんは缶ビールをぐびりと一口飲んで海に目をやった。
「私も、大丈夫よ」
こちらの心配に気がついたらしく、そう続けた。

しばらくそのまま、ベンチに2人で腰をかけて海を眺める。
波の寄せて返す音と、海鳥の鳴く声だけがその場に満ちる。何だかとても心地のいい空間だと思った。

不意にまたお姉さんが口を開く。
「私のおじいちゃん、今朝亡くなったの」
相槌を待つことなく、おじいさんとの関係性や思い出を、合間にビールを挟みながら静かに語って聞かせてくれた。

「会って話した記憶が遠いことだけが、悔やまれるなあ」
「いいおじいさんだったんですね」
「うん。自慢のじいちゃんよ」
ふふっと笑い、目尻に溜まった涙を拭う横顔が、とても綺麗な人だなあと思った。

「それで」
深呼吸をして、ゆっくりとお姉さんは私に向き直る。
「あなたは、どうしたの」
私は…。亡くなったおじいさんの話しの後に、こんなチープな話しをするのは気恥ずかしいなと思いつつ、昨日の夜からのことを語る。そして、彼女がしているであろう誤解も解く。

事態を理解した途端に、ふわっと空気が緩む感じがして、お姉さんは大笑いを始めた。
「なあんだ!よかった」
私の早とちりかあ!とヒイヒイ笑いながら、それでもホッとしたように私の背中を撫でてくれた。

ひと通り笑って落ち着いた後、お姉さんは私の目を見て言った。
「友達には会って、きちんと話しておいで。そして、帰ったらおばあちゃんにもきちんと謝りなさい。私も覚悟を決めて、じいちゃんに会いに行ってくるからーー」


あの日、あれから彼女とどう別れたのかあまり覚えていない。

ただ、言われたことが何だかものすごく自分に響いて、走って学校に行き、休み時間になったらすぐ友達のところへ行って仲直りをしたことは、覚えている。
無断遅刻をして、心配をかけたと担任にこっ酷く叱られたことも、帰りにばあちゃんにケーキを買って帰ったことも、よく覚えている。

一つ心残りなのは、お姉さんの名前を聞きそびれたこと。
いつかまた会ったら、次は必ず聞こうと決めている。とりあえず、私は今日の放課後も、友人と一緒に寄り道をするつもりだ。

あの、海辺のベンチへ。


(2874文字)


=自分用メモ=
いつもより長めになった。区切り線を使う練習をしてみたかったのだけど、とっ散らかった感は否めない。勉強不足…!
そろそろ前編後編、あるいは上中下編くらいに分けた作品を書くこともしてみたいなあと思った。

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