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【ショートショート】 夢みくじ

 ーー大切なものは、その腕に抱きしめられる分だけしか、持ち続けることはできません。新しい「大切なもの」ができたときは、何か一つ、これまで抱きしめていた「大切なもの」を手放すときなのです。どれだけ惜しくても、欲張りは禁物です。それが、今あなたの腕の中にある大切なものを、できるだけ長く大切にするための秘訣かもしれませんーー。

 おみくじの内容を見て、思わずドキッとした。

 その日、私はどうしても仕事に行く気になれなかった。ややこしい打ち合わせがあったわけでも、難しい会議はあったわけでもない。本当に心当たりはなかったのだけれど、どうしても気が進まなかった。これまで、基本的に楽観主義かつ根が真面目な私が、そんな気分になることは滅多になかったから、素直に「自分」に従って休むことにした。そして、その休む一環として、気分転換に散歩に出て、ふと立ち寄った神社で、気まぐれに引いたこのおみくじに頬を打たれたのだ。

 自分にとって、「大切なもの」ってなんだろう。
 家族、友達、恋人、仕事…パッと思いつくものから、どんどん脳内で大切なものを拾い上げていく。親友にもらった手紙、恋人とお揃いのネックレス、前の職場でもらった寄せ書き、先週買った大好きなアイドルの写真集…。「大切」の程度に多少の差はあれど、どれも私にとってはかけがえのない「大切なもの」だ。

 この両腕に抱えられるだけの「大切なもの」、を私はもうすでに十分持っている。ありがたいことだ、私は本当に幸せな人間だと思う。これ以上、何も望むものはないのだから、おみくじ書かれた「新しい大切なもの」に心当たりがない。つまり、今のところ何も手放す必要はない…はず。
 それなのに、何であんなにドキッとしたんだろう。私は幸せなはずなのに、本当に。

 …本当に?

 自分自身に問う。もう、何もいらない?何となく、心の奥に何かが引っかかるような違和感を覚える。足元で、人に慣れた鳩たちが何かを啄んでいるのをぼんやり眺める。
 こんなにも「大切なもの」に囲まれて、幸せなはずなのに、何だかモヤモヤする気持ちになるのはどうしてなのだろう。

 (私、何がしたかったんだっけなあ)

 鳥居をくぐり抜けてきた風に髪を弄ばれながら、ふとそんな考えに至る。毎日パソコンに向かって、電話を取って、コピーに走って…そんなことがしたかったわけじゃない。語学が好きで、学生時代に勢いに任せて航空券を買い、飛行機に飛び乗ったなんてこともあったな…。そこまで考えて、私は、「私がいま手に入れていない大切なもの」を一つ思い出した。

 足元の鳩が、何かに驚いてわあっと飛び立つ。それを目で追い、私は深呼吸して空を見上げた。


(1102文字)


=自分用メモ=
おみくじに書かれた言葉は、ときどきとんでもなく自分に刺さるときがある。人生、いくつになっても迷うことだらけ、悩むことだらけだ。ここ最近いろんな人と話して感じたことを少しずつ織り込んでみた。

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