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【エッセイ】結局は自分のため

暑さに頭を抱えながら生きる、夏の日々。

明日から台風が来るとのことで、やむを得ず太陽に焼かれながら買い物に出る。

できるだけ日陰を移動して、できるだけ早く用事を済ませて、できるだけ早く帰還する。
それを全うすることに集中して、行動をする。

すっかり暑さに弱くなっている自覚があるので、大袈裟でも何でもなく、ひたすら自分の命を守るために必死である。

そういうときに限って、起こるのよね。

幾度となく遭遇してきた、私あるあるの「徳積みイベント」。

買い物を終えて、自転車のかごに物を置いた頃のこと。

二つほど隣で私と似たように荷物を置いていたお兄さんが、見事に自転車のドミノ倒しをやってのけた。

台数にすると五台ほどで、まあ大した数ではない。

タイミングよく見ちゃったし、今ならすぐ動けるし、お手伝いしようと倒れた自転車を二台ほど起こす。
倒した本人のお兄さんが残りの数台を起こして、すぐに元通り。

ああ、よかった。

お兄さんはその後、何も言わずにそそくさとその場を去って行った。

一瞬ね、ほんと、ほんの一瞬だよ。
「あれ、何も言わないのかあ」と、気持ちがつまずきかけた。

でも、まあそこでちょっと考えて、思い直したわけですよ。

私は、別に頼まれたわけでもないことを、勝手にやったのだった!

そうそう。
私が勝手にお手伝いしたわけだから、別にありがとうと言われなくても、モヤモヤする必要はないな。

何で手伝ったんだっけ。
すぐ動けて手伝えたし、別に難しいことではなかったからだ。

そうそう。
私は、「私にできることがあるな」と判断して、「私がしよう」と思ってやっただけだ。

本当に、ただそれだけ。

ここまで考えられたら、もう何もモヤモヤすることはない。

私は、私がしたいことを私の意思でしただけ。
結局は自分のために、しただけなのだ。

あのまま放って帰ったら、絶対「ああ手伝えばよかったな」って思ってたと思うもの。

なあんだ、しようとしたことができてよかった。

それに、自分が買い物を終えてお店から出てきて、自転車を見たら倒れてたとなったら、困るもんな。荷物持ってるだろうし。

私の自転車が倒れたとき、誰かが起こしてくれてるかもしれないなあ。

何ならお兄さんは、本当はお礼を言ってくれていたのに、私が聞き逃した可能性だってゼロではない。

うんうん。
いろんな場合があるし、いろんな人がいるし。

そんなふうに気持ちを切り替えて、また暑い中を一生懸命自転車をこいで帰ってきた。


こういう気持ちの切り替えが、年々早くできるようになってきたなと思う。

「ニンゲン」をやる上で、持っているとわりと生きやすくなるスキルだ。

自分の意思でしたことは、自分の中で完結できるものが多い。

気づくまでは、善意の押し売りになりかねないようなこともしてきた気がする。
それはあんまりよくないね、いいことをしたはずなのにモヤモヤが残るのは勿体無い。

私は、いつだって「私のため」に動く。

私のしたいように、したいことをする。ただそれだけ。

そんなことを改めしみじみ噛み締めながら、ゲリラ豪雨の雲に追いかけられつつ、家路を急いだのでした。

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