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【エッセイ】努力が実るとは限らない


ドキリとすることを、たまたま連絡を取っていた教え子に突然問われた。
今日は、そんなお話し。

「先生、努力をし続けていたら、夢を叶えることはできると思いますか?」
「そう思うから、先生は努力をしているんですか?」


他愛のない話しの中で、不意に沸いたらしい疑問を、ぽいと投げて寄越された。

今となって思うと、今回のやり取りの中で、相手が一番聞きたかったことはこれだったのかもしれない。


どうなんでしょうね。努力、ね。

前もって断っておくが、私は努力があまりできるタイプではない。
毎日コツコツとか、日々の積み重ねがとか、そういう勤勉な人間ではないのだ。

少しでも効率的に、楽してのんびり!みたいなヤツなので、努力からは程遠い人間だと思っている。

夏休みの宿題は、夏休み前や初日にしっかり計画を立て、その完璧さに満足して、最終日らへんに、めちゃくちゃ萎えながら死ぬほど適当にやっていたようなタイプだ。本末転倒。


ただし。
好きなことは、この限りではない。

読書感想文とか、何かしら文章に関わることは「すぐできた」ので、大抵真っ先に終わっていた。

結果的に考えると、好きだからできたんです。
楽しめたから、やってたんです。多分。


いま、こうして何かしら言葉をコネて、日々世の中の隅っこに発信するという作業も、好きだからできている、ただそれだけなのだ。

私、多分そんな「努力」なんてできない。してない。

世の中にある成功は、2割の「ノリ」と8割の「運」で生まれるものだとすら、思っている。

そう思わないとやってらんない!という、投げやりな気持ちがないわけではない。

それでも、世の中ってそんなもんだ。

楽しくて日々続けていることが、周りからみたら「夢を叶えるための努力」と見てもらえるのは、私にしてみたら至極ラッキーなことではある。

そりゃあ、何もかも毎日ずっと楽しくて、それだけでできているわけではないから、そこを努力と見てもらえるなら、そうなのかもしれない…。


つまり、私はそもそも「努力をしているのかどうか」という点から怪しい人間だということだけは、よくわかった。


教え子に問われたことで、そんなことをブワーッと一気に考えた。

結論
努力を続けていても、夢が叶うとは限らない。
私はそもそも、努力をしている自覚があまりない。


という答えに至った。何じゃそりゃ。

再三言ってきたが、私はどこまでも「好きの力」だけで突き進んでいる。

目的地はまだいろいろ曖昧だ。
途中の通過点を見つけながらその点と点を繋いで、線にしながら走っている。…ただそれだけなのである。


そして、努力が実るとは限らないということは、経験として何となく知っている。

努力は、情け容赦なく我々を裏切る。

それでも。
努力した中で得た経験は、抱いた感情は、悩んだ時間は、全て自分の糧になる。

努力の中で得たそれらを「無駄にしない」ことはできる。


ただ、それだけなのだと思う。

私は、得たもの全て余すことなく「自分の経験」にすることは、できると信じている。

…答えになっているだろうか?笑


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