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【日記】国旗が持つ意味

先日のドタバタの一環で、靖国神社にお邪魔した。

…それゆえに、日曜のショートショート(神様の通り道)には神社を出したくて出したわけなのだけど。

個人的に、深い思い入れや意味があって参拝したわけではない。
行く先に立派なお神社があるなら、神様にご挨拶くらいしておこうくらいのノリである。

私にとって政治的背景や歴史的背景を深く考えると、その「ノリ」が正しいか正しくないかとかの話になるかと思うのだが、今回は横に置いておく。

私は祀られている方がいるなら、通りすがりに名乗るくらいのご挨拶しようと思っただけなのだ。

大きな扉にあった立派な菊の紋様。圧巻。

複数ある立派な鳥居の端っこをてくてく歩いて入り、お手水を使ってから立派なお社にて手を合わせる。

お天気がイマイチだったのであまり人は多くなかったが、老若男女問わずそして国籍も問わず、本当に「いろんな人」が参っていた。

そういう風景に、私は神社とか神様のあるべき姿を少し見た気がして、何となく気分が良くなった。

お参りの後、周囲を散歩したら資料館のような施設があった。
私は詳しく見たい気持ちにまではならなかったので、無料で見られる範囲の展示をゆっくり見て回ることにする。

零戦。立派な姿だ。

零戦や大砲などがいくつか置かれていて、説明書きがしっかりあったのでゆっくり読み、自分の中の乏しい歴史の知識を手繰る。

無料展示だけでも、なかなか有意義な時間を過ごせて満足した。展示の一角に売店があったので、そのままそこもついでに冷やかして回る。

マグネットやら卓上旗やら、いろいろあった。

その中に、日本の国旗のステッカーがあった。

私は何の気なしに手に取って、せっかくきた記念に買おうかなと思ったが、何となく気が咎める感じがして、自分の中に違和感を見た。

他の異国の国旗ステッカーには抱かない、気軽に貼れない気がする違和感だ。

自分が生まれ、暮らし、ここまで過ごしてきた相応の愛着のある日本という国の、国旗。
それなのに、国旗のステッカーを貼っている自分の持ち物を想像して、いわゆる「右」とか「左」とか、そういうことが過ぎったのだ。

念のために言うと、私は国旗には「自国の国旗への愛着」以上の意味合いを感じていない。

それなのに、自分の生きる国の国旗を持つことへのこの…何とも言えない複雑な気持ちはなんだろう。

これまでも運動会などで、国旗掲揚を何度も見つめてきたし、国歌斉唱もしてきた。

自分の国の国旗を愛でて、自分の国の国歌を口ずさむ。何も不思議ではないし、何も咎めるものはないはず…それでも何となく気が進まなくなって、ステッカーを棚に戻した。

それから、境内をゆっくり歩き帰路に着く。
ずっとずっと国旗ステッカーのことを考えていた。

他の国にも、日本人が国旗に抱く感覚と似たものってあるのだろうか?

大切だから手に取れないという感覚ではない。周囲の目を気にするような部分もある気がする…。

自分の、国の旗なのに。
「ただ愛でる」みたいなことが、しにくい世の中になっているような気がした。
SNSの普及しすぎで、何かしら影響を受けているのだろうか。国旗って、そういうものではないはずなのになあ。

何とも言えない、モヤモヤした気持ちを抱えたまま帰ってきて、今なお消化しきれずにいるのでこっそりここに書き残しておこうと思う。

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