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【エッセイ】私が愛するある犬の話

私の人生で一番身近な、ニンゲン以外の動物、それが「犬」。

哺乳類というくくりでいうなら、クジラと同じくらい思い入れがある、好きな生き物だ。

祖父母の家で飼われていた日本犬の雑種が、記憶する限り一番古くて、私の人生に近い犬だった。

特別、その犬と何をしたという記憶はない。
祖母の家は、電車や車で行く距離だったし、世話だって別にしてはいない。

時折、親や祖父母の許可を得ておやつをあげたり、ご飯の時間にご飯を持って行ったりする程度の「仲」だった。

それでも、その頭を撫でることや耳に触れること、背を掻いてやることが好きで、それらの時間を私は深く愛していた。

彼は、賢くて優しい犬だった。
祖父が手入れをしていた植木の近くから、顔を覗かせていたのをよく覚えている。

私自身が、自分の人生を駆け抜けることに必死になり、祖父母の顔を見ることが減ると同時に、その犬との時間も当たり前にぐんと減った。

気がついたら、彼はヨボヨボになっていた。
記憶の中にいる姿よりも白くなっていて、歩く速度も遅くなっていた。

十九年ほど生きて、先に旅に出た祖父を追って遠くへ行った。

ゆっくり歩く祖母と、それよりゆっくり歩く彼の姿をiPhoneで動画撮影したのが、最期になった。

もう、随分と前のことだ。


そんな彼が旅立つ数年前に、「我が家」にやってきた犬がいた。

彼女も日本犬の雑種だった。

どういうきっかけだったか覚えていないけれど、家族会議で「いつか犬を飼いたいね」となり、我が家は良い縁を求めてのんびり犬探しをすることになった。

その中で、私が仕事の都合やら、何やらでドタバタしていた頃に、彼女は突然「夢に現れた」。

特別何か劇的なことがあったわけではない。ただ、起きたときその姿だけは印象に残っていて、家族に「犬の夢を見た」という話をした。

彼女は甲斐犬の血が流れているため、「虎毛」と呼ばれる独特な見た目をしている。

甲斐犬を知らなかった私は、無知ゆえに夢の中で彼女に会ったとき「何や…この何色とも言えないきちゃない色の犬は……?」となったのだ。

結果として、目が覚めたときやたらと印象に残っていたのがその「何かきちゃない色の犬」だった。

そんな夢を見てしばらくした頃、日々のんびり犬探しをしていた中でたまたまその「きちゃない犬」改め、甲斐特有の毛模様をした子を見つけたのである。

それが、私と彼女との出会いだった。

ただし見つけたから、ではすぐにお迎えをと決まったわけではない。

この子かなあと強く思っていた子が、先約により迎えられないと知らされたのだ。さてどうしようかと一度なった後、その先約がなかったことになった。

なあんだ、じゃあうちの子になる運命だったんだ!
繰り上がりで迎える権利があると言われたとき、迷わず迎える選択をした。

そんなこんなで大喜びをして、迎えることになったのが約九年前のこと。

巡り巡って、彼女は我が家にやってきた。

ちっちゃいけだまのいのち。

彼女はとても賢くて、とても臆病で、とても大胆だった。何そのギャップ。可愛いとしか言いようがない。

多分、前世は人間だったのではないだろうか。少なくとも、犬ではないと思う。何なら小さい頃は猫に見えた。ややこしい犬である。

遠目に見たらだいたい猫。

物分かりがよく、それでいて自己主張もそれなりにする。絶妙なさじ加減。たまらない。
芸だって、数回教えたらあっという間にできるようになった。天才。親バカも炸裂してしまう。

ただ、名前を呼んでも、基本的には耳をこちらに向けて返事をする程度。

嬉しい!楽しい!みたいなときに、興奮して尻尾をブンブン振ったり、ワンワン大きな声で鳴きまくるような「犬らしさ」を、彼女に見たことはあまりない。

耳をはむはむしても、マズル(犬の鼻口に当たる顔の部分)を掴んでも、余程でないと嫌がるようなことはない。
手足を握っても、余程しつこくしなければじっと耐えるし、肉球も触らせてくれる。

相手が家族なら、基本的にはされるがままだ。
心の広さは多分飼い主に似たのだと思う。知らんけど。

「何なん?」という顔はされる。

何なら数年前まで、彼女は尻尾の存在に気づいていないのかと思うくらい、尻尾を振らない犬だった。とてもクール。それがまた良い。

それでいて、「おやつ?」とか「お散歩?」にはわかりやすく反応するし、ご飯の時間の頃になると「もう…三日もご飯を食べてないんです…」と言わんばかりに、か細い声で鳴いて主張したりもする。

個人的に、かなりタイプ。いい性格をしている。
面白くてかっこいい、非常にいいオンナだ。

私がひどく落ち込んでいたとき、何度彼女の後頭部に涙を落としたことだろう。
外に出ることがつらかった時期に、彼女とのお散歩がその第一歩になった。

命あるもふもふの尊さを、何度も知り、何度もその恩恵を受けた。

彼女は2015年にこの世界に降り立ったので、今年の秋で十年目の人生ならぬ、犬生を迎えることになる。

白い靴下を履いたおしゃれさん。
そのまつ毛は茶色で、カラーマツエクをしているよう。スタイルがめちゃくちゃに良くて、よく褒めてもらう。

爪の先までかわいい。

全身を包んでいるその毛皮の、唯一無二なマーブル加減もたまらないし、巻いたりさしたりする尻尾の変幻自在さもとても良い。

新しいおもちゃを彼女の寝床に差し入れたら、「何ですかこれ」と言わんばかりの顔でこちらを見て、警戒しすぎて寝床に寄り付かないようなところも可愛い。

あの子がもし口をきけたら、私はほぼ確実に「うるさい」と叱られるのだろうなあ……。

私がこれほど愛する犬は、きっと後にも先にも彼女の他にいない。

あのとき、迎えるという決断をして本当に良かった。
彼女のいない人生は考えられないくらい、本当にかけがえのない家族だ。

ああ。

できることなら、後三十年は生きてほしい。
生き物と一緒に生きたことのある人なら、誰しもが願うことだろう。

今は離れて暮らしているが、彼女のことを思わない日はない。

今日も相変わらず、恐ろしく暑かったね。

毛皮族の子たちは、本当に毎日大変だ。みんな健やかであれと、そっと願う。

そんなことを思いながら、私は今宵もiPhoneにある彼女の画像フォルダを、そっと眺めるのでした。

長生きしてね。愛しているよ。

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