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2022/11/13「便利」について考える対話レポ

今回も、10代~60代まで幅広い年代の9人で対話しました。
 
アイスブレイクは、初めて使うKATARUTAというカード。
各カードに接続詞や場面設定が書いてあり、引いたカードに書かれている言葉を使って、お話をするというものです。
KATARUTAを一周まわしたところで、対話開始。


 
はじめに、宿題としての事前課題、
・便利になってよかったことは◎◎だ。なぜなら〇〇だからだ。
・便利になりすぎて不安なことは◎◎だ。なぜなら〇〇だからだ。
・手間をかける、時間をかけてやりたいことは◎◎だ。なぜなら〇〇だか
を各自出しました。

・便利が進むことで、生身の人間の価値が下がるのではないか。・現実の実感が弱まるのではないか。(仮想世界の躍進)・肉体性の低下・人間の生きる意味を失っていくのではないか。
 ・便利になって、短時間で家事などができるようになって家族の時間が増えた。一方、仕事関係の連絡がスラックで24時間届き、仕事から逃れられない。
・手間をかけた手作りのものは、愛着がある。大切にする。商品として購入したものは消費するもの。
・便利なことは、わからないことは、すぐ検索できること。しかし、検索結果が誤った情報の場合もあるので、情報を見分ける力が必要。誰かが情報操作をしている可能性もある。
・手縫いの服などは、愛着がある。作り手の思いがある。
・頭の中が情報であふれてしまう。一方、すぐにネットで調べられるから記憶しなくてもいいこともあるので、脳が退化していると思う。
・パソコンで文字入力すれば、読みやすい字で印刷もでき、文字予測変換できて便利。入力に慣れてしまうと手書きの時に字が上手く思い出せないことがある。

・今の若者は本を読まない。ゲームでなく、本を読んでほしい。日本の未来は暗い。
→Z世代と呼ばれる若者は、タイパ、タイムパフォーマンスを意識していると聞いた。効率のいい時間の使い方。タイパが悪いものはダメらしい。
→実際自分(10代)は、難しそうな本には触れてこなかった。でも若者の中にも、ちゃんと考えている人はいる。
→難しいことはAIに任せて、楽しいことだけ残る(人間は楽しいことだけする)のは、いいことと思っていたけど、そうでもないようだ。そんな時代になったら後悔しても戻れないから、考えないといけない。
→若者を悪く言う前に、大人がきちんと若者を教育してこなかったと考えるべき。PCやスマホの使い方、情報リテラシーを教えることが大切だ。
→年代によって、考え方に差があるのは仕方がないが、年配者から見ると、ものの扱い方が雑だと感じる。実物に触れて五感で感じることが大切。例えば新しい本のにおいや、きれいなページ、大事にしようという気持ち。

・時間の短縮はきりがない。どんどんエスカレートしていく。体を動かさなくても生活が成り立つが、外に出ていかないと経済は回っていかないのではないか。
・実際のものづくりを楽しむ、こどもには、体を使った造形などの体験が必要だと思う。大人がそのような機会を子どもに与えていないのが問題である。
・短縮して余った時間で、身体性の回復をしたい。文字を書く、ものを作る、など。
・時間の使い方には投資、消費、浪費があると聞いた。私にとってはペン字の宿題をしている時間は投資。ゲームの時間は浪費というよりは消費に近い。ゲームで稼いでいる人はその時間は投資だと思う。
・資本主義の観点から、便利について考えてみたい。便利になりすぎると人間の尊厳が失われる。例えばベーシックインカムがある社会になったら、働かないで余暇ができる。その時間をどう過ごすか。ゲームとクスリの怠惰な生活になるのではないか。
→ギリシャ人のように、余暇で哲学をする人も出てくると思う。
→一般の人間は怠惰な方に流れるのではないか。自分の力で稼がないなら、人間としての尊厳が損なわれるのでは?

みなさんからの感想
・「便利」というワードは今の社会で一番考えさせられるテーマだと思いました。
・今から生まれてくるお子さんは、便利の中から始まっているので難しい問題だと感じました。
・端的に話をすることが難しい。話を受けて、それに応えようと真面目に考えすぎちゃいました。
・便利はいいこともあるけど、それ以上に悪いこともあるし、気を付けて使っていかなきゃな。
・モヤモヤを持ち帰れてうれしい。
・考えていたよりも重い話につながっていって、普段意識しないようなことまで自分に問うことができて良かったです。
・身近なところから、テーマを考えるというより、少し抽象的な話もあったところが、かみ合わない部分も少し感じました。
・自分と○○全体と、主語の大きいものと小さいものがごっちゃになっていて、考えを深められない場面があった。

まとめ
「便利」は、時間の流れに沿って発展してきたものなので、世代間での捉え方が大きく異なるとわかりました。今日参加された年代以上の方々(70代以上)がいらしたら、もっとギャップがあっただろうなあ。電気や水の供給も当たり前すぎてわざわざ「便利」に数えていませんが、世界を見れば日本の便利は異常な部類だと思いました。
はじめは個人の周りにある便利の話でしたが、最後は社会問題としての便利の話になりました。個人の話と社会の話を切り分けたほうがよかったかなとファシリテーターとしての反省点です。
参加してくださった皆様、ありがとうございました!

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