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ミクロな視点では批判で救われる人もいるという話

■はじめに

 こんにちは、ゲームを作って売ったりしているサークル「ほんわかふわふわ」代表、花倉みだれです。
 先日終わってしまいましたが、Steamサマーセールの影響もあって、SteamでのDL数が有料で売っている『HIGH&LOW ~めざせ! 26連勝! 5000兆円への道~』に関しては300、無料で配信している『学園スイーツ発見 ~双目(ざらめ)のドーナツ編~』に関しては11000を越えました。望外の数字に驚き、感謝しています。ありがとうございます!

 私がゲームを作って公開しているのは「ゲーム業界に復帰するための実績作り」という動機が多くを占めていました。もう一度やむない事情で離れることができてしまったとしても、そこから更に戻ろうとした場合にやはり何か手元に実績があるかないかは大きいことでしょう。きっと。
 その辺りの話は下記の記事にまとめていたりします。

 あくまで「復帰」なので、私が大学卒業してからだいたい10年くらいの中で、半分くらいはゲーム関係を含むコンテンツ関係の仕事をしています。
 デバッガー・テスター、カスタマーサポート、運営プランナー、広報、企画等と比較的下流(企画以外)な仕事が主ではありますが、今回はそういう「プロダクトに関わった1人の人間」の視点から「ユーザーの声」について感じることを書いていけたらと思っています。機密的な部分は大いにあるので色々抽象的な例え話が多くなると思いますがその辺はご容赦ください(笑)
 端的には、その素直な感想(ともすれば悪評)で救われる人間もいるんですよ、ということです。

 「ほんわかふわふわ」としてのスタンスとは全く切り離した話なので、そっちが気になる方はこちらをどうぞ。

 では参ります!

■下流だからこその無責任な感覚

 ゲーム制作にデバッガー・テスターとして参加する場合、だいたいかなり出来上がった状態のものを触ることのほうが多いと思います。
 カスタマーサポートに至っては基本的にリリースしてからやっと仕事ができるタイプですよね。

 末端の作業員として参加する場合、パブリッシャーやデベロッパーのプロパーとして参加することはほぼないでしょう。私はなかった(見たこともない)です。
 プロジェクトの予算感や座組なんかも聞いても教えてくれないことのほうが多い(ある意味ではそれはそう)ですし、基本的にはいわゆる「判断」の部分は偉い人に委ねることになります。

 例えばカスタマーサポートなら
「こういうお客様からの報告があって、原因はおそらくこれで、こうするかこうすれば納得していただけるのではないか。自分たちだけではできないので、可能であれば対応後に速やかに返信したい。対応としては優先度高く対応していただきたい」
 例えばテスターなら
「"強いキャラ"という売りにしたいのはわかりますが、テスター内の実戦での勝率が8割を越えてしまっているので少々度が過ぎている可能性がある。例えばこうすればマイルドかつ適正な魅力ある範囲になるのではないか」
 例えば運営プランナーなら
「今週売ろうとしているこのアイテムは、先週売り込んだアイテムの長所をすぐ消してしまうものであり、熱意あるユーザーの反感を買ってしまう可能性が高い。売るにしてももう少し待てないか」

 みたいな、自分の職域の守備範囲の中で「提案」するのが限界です。(実務的にはもっとざっくり「これどうします?」「こうしません?」くらいの相談をもう少しレイヤーが低いところにすることのほうが多いかもしれませんね)
 そのうえで、どうするかはプロデューサーなりディレクターなり企画なりのお仕事です。末端からは見えない締切への圧、予算達成への圧、商品のコンセプトなどおそらく色々な角度から判断することになるのでしょう。

 それはそれで末端の作業員としても
    当然理解していますし尊重はするのです

 するのですが、それはそれとしてその対応が表に出てから思うのです。

 やっぱりこれ、マズくない……? 
 自分の感覚は間違ってなかったのでは……? と

(例として末端からのエスカレ棄却を挙げましたが、もっと上位レイヤーや別の職種であっても同じことはあると思います)

■正解が見えないからこそ

 実際偉い人が判断した対応がどう影響したか、偉い人達が閲覧可能なデータからはもしかしたら結果が見えるのかもしれません。が、これもまた末端は閲覧できないことが多いと思います。
 もしデータが見えたとしても、過去のifを正確に比較することは難しいです。正解というものはないのです。

 「本当に自分の提案が的外れだった」可能性を謙虚に受け入れつつも、
 「現実とは違った未来」への想いも消えはしないのです。

どっちが良かったのかわからない

 もちろん仕事でやってる以上「この会社のこのタイトルのこの対応、微妙だよね……?」みたいなことを自分から客として発信することもダメでしょう。
 すごくシンプルな心情として、自分の感覚について共感を求めたくなるものなのですが、自分からその行動を取ることができないのもまた事実ということなのです。

 そういう微妙にモヤァっとした気持ちを救うもの、
 それがユーザーからの批判的意見なのです。

「(こんな対応するなんて)運営クソ! ★1!」
「(こんなバランスで世に出すなんで)開発クソ! ★1!」
 みたいな言葉でさえ、よくぞ言ってくれた! と(一応)開発・運営の中の人として思うことがある
ということなのです。

理解者がいるというのは救いになります

 さっき上に挙げたような提案をもう一度する機会がきたとして、100万回自分が熱弁するより、過去事例としてのユーザーの声を見せるほうがよほど効果的だというところもありますしね。

 逆に、大絶賛されてるのを見て凹む、みたいなことだってミクロな視点ではありえます。

■とは言うものの

 悪い評判はそれなりに加速しやすかったりもしますし、製品の寿命を縮める効果はあるでしょう。
 プロパーであれば所属先の安定度が下がることを喜ぶのも変な話だと思いますし、雇われであったとしても仕事先がなくなることはいいことであるはずはありません。自分のチームの偉い人が責められてるのを喜ぶチームなんて不健全の塊です。そういう意味で、そんな小さな視点で喜んでるんじゃねーよ! みたいな感覚はわかります。

 わかりますけど、でもそう思う(人・こともある)よね、というところがこの話なのです。

■おわりに

 個人的には、ほんふわでもそうですし、仕事で関わったものもそうですし、なんだかんだ否定的な見解見て凹むことはそりゃあります。
 そのうえで、低評価も含めて自由に感想を呟ける世の中であって欲しいなと思っています。結局、ユーザー目線で考えた時はそれが最もありがたいはずですから。
 昨今はちょっと、クリエイター側からの圧力(低評価はいけない、否定的見解はいけない等)が強すぎるのではないかな……? と思ったりするのです。

 「その否定的な言葉で救われる人もいる」というのは1つの事実だとは思います。

 否定までいかずとも「わかりづらい」「つまらん」「魅力的ではない」「これはよくない」「ここがこうだったらよかった」みたいな「称賛以外の反応」で救われる魂はある(かもしれない)のです。
 (嫌がる人も当然いっぱいいるでしょう。そこは表裏なのです)

 座組上、そういったことに感謝する言葉が本人から本人に届くこともまた基本的にありえず、否定的な言葉は共感以上に反感を買いやすく、中長期的な生き方としては苦しいものだと思います。
 それでもあえて口にするというのは、貴重でありがたいことだなと。

 私自身、花倉としては(自由であってほしいと言いながらも)あまり扱き下ろすようなことは損得勘定から言わないようにしていますから。
 なおのこと、ありがたいことだなぁ……と思うわけです。

 (※超重要な補足)
 こういうことあるよね~~~っていう話なだけで、
 現職でそういうことを思ってるとかは全然ないですよ!!
 でも過去の中で、正直な~~~と思ったことがないかと言われたら、
    私はあります。
 これは思えば、別にゲームとかコンテンツ関係に限らないですよね。
 適当な接客してる先輩にはクレーム来いって思ってましたもの(笑)

 今の話だったらこんなこと書けないですからね!!

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