名字が変わる時のはなし

婚姻届を提出する前日、

明日で名字が変わってしまうのか〜と

ビールを飲みながら泣いた。

夫は、泣いてるわたしを見て驚いていた。





いやね、名字が変わることが嫌だったんじゃないの。

20数年間使ってきた自分の名字に自分がこんなにも愛着を持っていたんだなぁと実感して、なんだか泣けてきちゃったんだよね。

わたしが使ってきた名字は、全国で100世帯もいないようないわゆる珍名さん。

名字自体は嫌いじゃなかったけど、読み間違えや名字をいじられる…なんてことは当たり前で、それはとても嫌だった。

学校の先生に読み間違えられたら、聞こえててもあえて返事しなかったり、「間違ってますけど?」みたいなトゲのある言い方したりして。

だから春は嫌いだった。初めて会う人には名字を読み間違えられ、何万回と言われた「変わった名字だね〜」というやり取りに愛想笑いで「そうなんですよ、地元の親族ぐらいにしか同じ名字はいなくて…」と返すのも正直面倒だった。

もちろん、ハンコも売っていない。必要な場合はハンコ屋に行って彫ってもらうしかなかった。おかげで安い木の素材にしても3,000円近くかかった。100円ショップに自分の名字のハンコがある訳もないのに探し、やっぱりないかと落ち込む時もあった。


それなのになんで寂しくなっちゃったんだろう。




でも、仕事を始めてからは珍しい名字ということでいろんな人に名前を覚えてもらうことが出来た。職場では名字に〝ちゃん〟を付けたニックネームで呼ばれることが多くなった。(坂本さんがさかもっちゃんって呼ばれるみたいな感じ)





いざ結婚して、違う名字になって、普通の名字になって…読み間違えられることもなくなったし、ハンコだって100円ショップで買えるようになったのになんだか寂しい。

これが愛着というものなんだろうか。

結婚する前は〝藤〟の字が入ってる名字は画数多そうで嫌だな〜なんて生意気に考えていたけども、ガッツリ〝藤〟の字が入ってる人と結婚したので名前を書くのが一苦労となった。(以前の名字は画数が10画以下だった)

結婚して数年、今の名字を書くのにも慣れ、職場にはわたしの旧姓を知らない新人さんも増えてきた。

寂しいけれども、こうやって自分に名字が馴染んでいくのではないだろうか。

向こう数十年、今の名字が自分に溶け込んで、死ぬ時はこの名字を名乗れる人じゃなくなってしまうのが寂しいと思うのだろうか。

そうなっていればいいな。








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