2‐5.小学生時代のいじめ

 初めて家の中が崩壊する経験をした後の私は、うまく自分のダメージを受け止めることができず、とりあえず気にしない形で日常に戻った。
 学校に行けば、また楽しい生活が始まって、「いい感じ!大丈夫!」と思っていた。
 それなのに、二回目を経験したことで「いつもと変わらない今日だったのに、何故かまた怖い目に遭った」と、大きな傷を作ってしまった。
 日が経つにつれて、喧嘩の目撃回数が増えていく。傷はどんどん深くなった。
 学校にいる間は、両親がもめる声が聞こえてこない分、少し安心できたが、次の喧嘩は今夜かもしれないと思うと、怖くて授業なんて聞いていられなかった。
 算数の時間に教師が大きな定規を教卓から落としてしまい、ガッシャーン!と大きな音が聞こえた。すると、急に全身が震えた。父が手に取れそうなものを何でも母に投げつけて、ガシャンガシャンと大きな音が家中に響かせていた恐怖が蘇った。両手で耳をふさいで授業が終わるのを待った。
 教師は何事もなかったように定規を拾って、謝りもせず授業を続けた。定規が落ちたのは私のせいではなのに、何故か「いつ怒鳴らるか分からないので怖い」という感情が頭を占領していた。
 小学生なのに、ストレスで常にお腹が痛くて、吐き気とめまいがした。
具合の悪さから保健室に行ったこともある。
 何度か保健室に通うと、養護教諭が手を滑らせてマグカップを落としたことがある。その拍子に私が泣き叫んだので、「どうしてそんなに怖がるの?」と聞かれてしまった。
 その質問が、わが家の事情を探る意図のあるものだと感じた私は、二度と保健室に行かなくなり、どんな体調不良も我慢して暮らしていた。
 こうしてビクビクして生活していたことが奇妙に見えていたのか、私の抱える生きにくさのせいで周りとうまくコミュニケーションがとれていなかったのか、今となっては分からないのだが、この頃から急に周りが、執拗に私を見ているようながした。
 これまで、人間関係に気を配ることなく学校生活を送っていた私は、五年生の時、いじめにあった。
 私のクラスでは、国語の授業で教科書を音読することが恥ずかしいと感じる生徒が多く、先生に指名されても小声で全く聞こえないということがあった。
 私は、声が通るタイプだ。放送委員会に入り、原稿を読むのが得意で、恥ずかしさはなかった。上手に読めた。
 私に読ませれば授業が成立すると確信した教師は、私にばかり教科書を読ませた。
「あなたは、本当に上手ね」
 教師は、他の子にも読ませたい一心で、おっとりとした口調でたしなめた。
「皆さんもこんな風に読めないとダメよ」
 いじめが本格化する前、国語の授業の後に友達が冷たい、と感じたこともあった。
 日常生活のビクビクが原因なのか、私だけが教師に褒められていることへの嫉妬が原因だったのか、分からないが、思いつくことはこの二つだけだ。
 いじめの内容は、無視だった。特に何か言われたりすることはなかったが、体育の時間にはペアがいなかった。図工の時間も顔を描き合う相手がいなかった。自分という存在が嫌いで、どうしようもなかった。
 ただ、家のことで頭がいっぱいだったので、惨めな気持ちも、腹痛も、めまいも、いじめのせいだとは感じなかった。
 とにかく家に帰りたくなかったので、図書室で宿題をして、遅くまで本を読んで帰った。図書室はそもそも人としゃべる場所ではないので、一人ぼっちの私の味方だった。
 私はノンフィクションシリーズのものを好んで読んだ。重病で生きたくても生きられず、死んでしまう子どもの闘病記。いじめの末に自殺した子の話。戦争で全てを失った可哀そうな人の話。悲しいものばかりだ。
 本を読んでいる間は、違う世界にいけた。自分の生活に目を向けなくて良かった。自分よりも可哀想な人を探しては、安心していた。
 感動や同情の涙が流れると、副交感神経が優位になって、気持ちがすっきりした。 
 図書室に下校の音楽が鳴ると、また静かな戦場に帰った。

 父が帰ると、自分の部屋のドアに耳をつけて、膝を抱えて座り、いつ開戦の合図があるか、と耳を澄ませて暮らした。夜はベッドに入るのが怖くて、ドアに耳をつけたまま寝ることもあった。
 開戦すれば、部屋で泣き、腹痛に耐えて、眠れない夜を過ごした。
 そして、朝になれば、またいじめられに登校するのである。


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