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米国大統領選挙におけるロシアの影響工作の効果はどれくらいあったのか?(論文紹介)

答え: Twitter上ではあまりなさそう。

元論文: Eady, G., Paskhalis, T., Zilinsky, J. et al. Exposure to the Russian Internet Research Agency foreign influence campaign on Twitter in the 2016 US election and its relationship to attitudes and voting behavior. Nat Commun 14, 62 (2023). https://doi.org/10.1038/s41467-022-35576-9

ロシアの米国選挙への介入

2016年の米国大統領選挙において、ロシアのインターネット・リサーチ・エージェンシー (IRA)という機関が影響工作キャンペーンを行ったことが明らかになっています。ロシアIRAはこのキャンペーンで何を狙ったかというと、TwitterなどのSNSを使い、米国大統領選挙を操作することでした。2016年といえばトランプ元大統領が当選した年です。ロシアは、親プーチン派だったトランプ氏を当選させること、そして米国民の民主主義への不信感を募らせることにより、アメリカ世論の混乱を呼び起こそうとしていたと言われています[1]。「ロシアがアメリカの選挙に干渉した」—このセンセーショナルな出来事は多くの議論を呼び、国民の関心を強く引きつけ、果てはアメリカ議会でも連日の議論がなされました。最終的に、公的機関による調査の結果、影響工作を行ったIRAのTwitterアカウントは特定、公開されるに至りました(既にアカウントは停止済み)。この調査結果のレポートは今も読むことができます[2]。

明らかになりつつあるIRAの戦略と実態

IRAのTwitterアカウントが停止された後も、研究者や報道機関の追求により、多くのことが明らかになってきています。例えば2019に米国議会に提出された報告書では、ヒラリー・クリントン(トランプ元大統領の対立候補)への徹底した批判の展開やDisinformation (悪意のある偽情報)の流布、黒人の社会運動(BLM)の活用、インフルエンサーの活用、分断を呼び起こすようなメッセージ、特にハッシュタグ、ミーム、ナラティブを積極的に使用したこと、botの活用、複数アカウントによる協調行動など、あらゆるプロパガンダ戦術が網羅的にまとめられています(正直ここでは多すぎてまとめきれません)[3]。また、IRA自体にも多くの取材がなされており、NY Timesの記事では、ロシアTroll生成工場(Trollとは「荒らし」のこと)の社員の給料(比較的高級だったらしい)や、日々のノルマ(1日に最低でも80件のコメントと20件のシェアなど)が具体的に記されています[4]。また、計算社会学者たちによるデータドリブンな分析も行われており、IRAがシェアするニュース記事の政治的偏りや、ネットワーク上の立ち位置、プロフィール情報を元にした地理情報分析、発するハッシュタグの統計情報など、彼らの行動の特徴づけが進んでいます[5,6,7]。また、このような影響工作を発見するための機械学習技術も開発が進んでいます[8]。

疑問: 戦略の効果は?

しかし、ここでの疑問として、「このようなロシアIRAの試みは、実際に上手くいったのか」ということがあります。たしかにロシアの思惑通りにトランプ大統領は誕生しました。それを「ロシアのせい」と謳う記事も少なくありません。しかし本当にIRA工作が原因で、そのような結果が生まれたといえるのでしょうか。それともIRA工作は焼け石に水のような効果しかなく、あってもなくても結果は変わらなかったのでしょうか。このように、IRA工作にどれくらいのインパクトがあったかを定量的に考えることは、政策意思決定者として、これからも迫りくる未来の影響工作にどう向き合うかという観点で、重要な示唆になります。

これまでIRAのTwitter上の活動の特徴分析は多く取り上げられたものの、それらが実際にアメリカ国民世論や投票行動に与えた影響については、その効果は十分に検証されていませんでした。この問題に取り組んだのが、Gregory Eadyら、欧米の様々な大学の研究者からなるチームです[9]。
この研究は2023年1月にNature Communicationsという高インパクトジャーナルにアクセプトされました。ちなみに先に言っておくと、答えは「やはり焼け石に水だった」です。

大規模データ分析ーオンラインとオフラインの統合

この論文では、アンケートに協力してくれた米国民1496人と、彼らが提供してくれたTwitterアカウント、そして彼らが選挙期間に見た可能性がある12億のTweetを用い、アンケート結果と照らし合わせることで、IRAのTweetと米国民の投票行動の関係性をデータドリブンに分析しました。このアンケートは2016年の米国選挙の前後で計3回行われた長期間データとなっており、それによりアンケート回答者の意見の変化や投票結果を追うことができました。そして、アンケート回答者のTwitterタイムラインにIRAの投稿が現れたかどうかと、彼らの意見の変更の関係性を、統計的分析から検証します。これはオンラインのデータとオフラインのデータを組み合わせた最先端の研究の一つと言えます。

影響は少なかった

その結果わかったことは大きく4つあります。
まず、ロシアIRAの投稿の閲覧は、ごく一部のアカウントに集中していました。IRAの投稿を1度でも見たユーザを「閲覧ユーザ」としたとき、「閲覧ユーザ全体が見たIRAの投稿量の70%が閲覧ユーザ1%に見られる」という、全体閲覧量と閲覧ユーザ数の歪な関係があったのです。これは、広告などに用いられる単純接触効果[10]という意味でも、本当に効果が強かったのはごく一部のユーザに限られるかもしれないということを示唆します。

影響工作は一部の人にしか届いていない

次に、米国内のニュースメディアや政治家の投稿よりも、IRAの投稿が閲覧された回数は少なかったのです。普段から圧倒的な閲覧数を稼ぐ既存ニュースメディアや政治家と肩を並べるほどの影響力は、(少なくともこの時点では)IRAのアカウントにはなかったことなります。SNSはユーザが何を見るかを選べる場ですし、IRAはTwitter社と協力関係があるわけではもちろんありません。そのため、閲覧数を稼ぐためには企業のマーケターのように地道な努力がIRAにとっても必要ですが、選挙の時点ではそれを高いレベルまで達成できなかったということになります。

通常のニュースや政治家の発信に比べ、影響工作が見られる回数はかなり少ない

そして、IRA投稿を閲覧した多くのユーザは、共和党支持ユーザでした。
IRAの本当のターゲットは民主党支持ユーザのはずでした。なぜなら彼らをトランプ氏に投票させる、もしくはクリントン氏への投票をやめさせることが、トランプ大統領誕生というロシア側の目的を達成するはずだったのですから。そのため、IRAはそのメッセージを民主党支持ユーザに届けたかったはずです。しかし、その目論見は外れ、実際にはIRAの投稿を見る必要がない共和党支持者に閲覧されました。恐らくIRAの投稿は共和党支持者とは相性がよく、彼らに積極的に好まれて閲覧されたものだと思われます。

影響工作の多くは(本来のターゲットではない)共和党支持者に届いている

最後に、統計的分析の結果、IRA投稿への接触と、政治的態度、偏向、投票行動の変化との間には、有意な関係を示す証拠は見いだせませんでした。これは、ここまでの分析からも納得できる結果です。ロシアIRAの影響工作は確かにありました。しかし、物量も小さく、届くべきターゲットにも届いていないため、彼らの目標である投票行動に影響を及ぼし、選挙結果を捻じ曲げるという目標を達成するには足りなかったということになります。
これは安心すべき結果に思えます。これからのことはわかりませんが、少なくとも2016年の米国大統領選挙においては、Twitter上の影響工作によって民主主義を歪められることはなさそうだという観測を得たのですから。

統計的分析の結果、影響工作は投票行動に影響がほぼなかった

しかし注視は必要

この論文からわかることは、影響工作は大きく騒がれていますが、騒がれているほど実際の効果はなかったであろうということです。とはいえ、外国からの情報操作から国民を守ることの重要性、そして影響工作辞退の問題性には変わりません。また、同様の外国影響工作は、大統領選挙や政治的な議論において2016以降も実際に起きています。2017年の中間選挙でも[11]、2020年の大統領選挙でも[12]、ロシアの影響工作は観測されました。また、このような影響工作は選挙だけでなく、まさにウクライナとロシアの戦争で行われています[13]。さらに、このような影響工作はTwitter以外にもあります[14]。つまり、まだまだ最終的な決断を下すフェーズではなく、定量的な評価で実態を掴むこと、今の影響は少ないかもしれないが、それでも注視をし続けることが重要になっていると思われます。

参考文献
[1] Russia Wanted Trump to Win. And It Wanted to Get Caught.
[2] Twitter’s list of 2,752 Russian trolls
[3] Report On The Investigation Into Russian Interference In The 2016 Presidential Election.
[4] Inside the Russian Troll Factory: Zombies and a Breakneck Pace
[5] Cross-platform state propaganda: Russian trolls on Twitter and YouTube during the 2016 US presidential election
[6] Characterizing the 2016 Russian IRA influence campaign
[7] Analyzing the Digital Traces of Political Manipulation: The 2016 Russian Interference Twitter Campaign
[8] Detecting Troll Behavior via Inverse Reinforcement Learning: A Case Study of Russian Trolls in the 2016 US Election
[9] Exposure to the Russian Internet Research Agency foreign influence campaign on Twitter in the 2016 US election and its relationship to attitudes and voting behavior
[10] Attitudinal effects of mere exposure
[11] Assessing the Russian Internet Research Agency’s impact on the political attitudes and behaviors of American Twitter users in late 2017
[12] Characterizing social media manipulation in the 2020 US presidential election
[13] The Dynamics of Ukraine-Russian Conflict through the Lens of Demographically Diverse Twitter Data
https://www.bbc.com/news/technology-60559011
Messaging Strategies of Ukraine and Russia on Telegram during the 2022 Russian invasion of Ukraine
https://www.bbc.com/news/technology-60992373
https://www.apa.org/news/apa/2022/social-media-children-teens

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