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人様にお伝えすることは自分にも伝えられていること


こんばんは、Mihoです。
夏至ですね。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。

今日はセッションをさせていただきました。
なかなか厳しい響きをお伝えさせていただきました。

占いでは基本的に「死」を扱わないそうです。

でもわたしは必要とあらば「死」についてもお話ししなくてはいけない。
だからわたしがしていることは占いではないのだな、と。

別にいついつに死ぬとかこうすれば助かるとかそういう話でもなくてね。

なにがいつどうなるかは誰にもわからない。

けれど。
だからこそ。

よく生きるために今なにをして欲しいと身体が感じているか。
を全力でお伝えしています。

研究等々に加えて、
人様にお金をいただいてこのお仕事をしようと決めたときから
定期的にいわゆる正念場の方がちらほらいっしゃいます。

正直なところ何も経験していないわたしが
どんな顔をしてそういった真剣な人たちの前に立って
どんなことをお伝えできるのだろうと何度も悩みました。

でも、必要な方に、できるかぎりのお手伝いをする。

という決意は、
相手がどなたであろうと
どういう状態であろうと
変わりません。

お役に立つかどうかも正直なところわからないのですが。
わたしを見つけて来てくれる限り、お金を払ってまで聴いてくださる限り
「いいえ」とはいわずに「やってみよう」と思うのです。
たとえご満足いただけなくて叱られたとしても、それも含めての経験です。

与えられたものから逃げないということ。
これが結局生きていくということなのかなと思ったりもします。
そういった貴重な経験を、わたしを訪れてくれる方が、日々もたらしてくださいます。

本当に先のことはわからないのですが。
ここからは待ったなしであること。
今が正念場であること。
そういう感じはしています。

ちなみに正念場とは歌舞伎の用語で
歌舞伎(かぶき)などで、主人公がその役の性根(しょうね)、役柄を発揮する、最も重要な場面
だそうです。

でも、正念(しょうねん)自体は仏教の用語で、「正しい気づかい、注意、思慮」といった意味があるようです。

さらには「常に仏を念じて、間違いなく浄土に往生すると信ずる心そのもの」でもあるとか。

なので、ここからは本当にいろいろなことがさらに次々と起こっていくと思いますが

・常に仏(宇宙)を心に置きながら、間違いなく乗り越えていくと信じ
・正しい(中庸な)気遣い、注意、思慮をもちながら
・自分らしさを発揮していくこと

というのがポイントになりそうです。

し、わたしもまた、そこにいるということです。

必ずかならず、乗り越えていきましょうね。
わたしもあなたもきっと受け容れていけます。
厳しさのなかにあふれるほどの応援がいつも響いています。

ここまでお読みいただいてありがとうございました。


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