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自分の言動は巡りめぐって、自分に戻ってくる、…「優しさのリレー」を続けたい話


情けは人の為ならず、という言葉がありますが、とっても、誤用される言葉、という印象があったりします。

情けを人の為にかけてはいけない、というように
響きから読めてしまうところがあるけど、実際は違います。


『情けは人の為ならず』って結果的に自分の為になること、さらに言えば、今まで、情けをかけてくれた人の為にもなるのかも…

と思えたエピソードを思い出しながら、今日は書いてみようかと思います。

⚠今回の話は、以前にも書いた話なので見覚えがある方も多いかもしれません。
ある程度、noteの書き方に慣れたみたいなので、もっと広まって欲しい!と思っている考え方について、もう一度書いてみようと思いました。お付き合いいただけたら嬉しいです。



人からの『優しさ』はけして、優しくされる人だけの為にあるんじゃない

私は、優しくされると、逆に苦しくなることがある。

これは、私がHSP気質があったりする関係なのか、

「優しくされても、なかなか上手く返せないんだ…申し訳ないなぁ…」

という気持ちになってしまう。今は少しずつではあるけど、「優しくされたら、ちゃんと受け取っていいんだな」って思えるようになった。

なぜ、こう思えるようになったかというと、私が趣味でしてきた声活動や好きなアーティストのファンコミュニティでの関わりで教えてもらったある『考え方』がきっかけだ。


私がすごく精神的に落ち込んだときに、私の周りはすごく優しく接してくれた。

彼等には私の「いきづらさ」の話を昔から多少していて、状況次第でとてつもなく、落ちてしまうことを知っていた。
そんな中、とある一人の友人に思わず私は、
「なんでそんなに優しくしてくれるの?私、その優しさを全然返せないのに…」
と相手に聞いた。

相手はさらりと
「それは普段、あなたがたくさん優しさをくれてるって思ってるからだよ。そんなあなただから、優しくしたいんだよ」
と返してくれた。

言われたそのタイミングでは、よくわからなかったのだが、後々この言葉を自分で解釈してみて、気づけたことがあった。

「私は、うまく返せてないって言ってたけど、実は、普段から優しさを与えることができているって思ってくれたんだ…それを返してくれてるだけなのか…」

ならば、私は、優しさを受け取ってもいい。

皆が、普段の私をそう、評価してくれるなら、

どんな状態の私であったって、渡した『優しさ』を受け取る権利があるんだ…

こう思えたとき、とっても気持ちが楽になった。

さらに、その友人はこんなことも言った。

「もらった優しさを返せない、とか思わなくていい。受け取って、それを別の人に渡していったら、私のところにそれがいつか間接的に返ってくるかもしれない。そう思ってるから、優しさを与えているんだ」

…優しさをもらった相手に直接、返さなくてもいい。

優しさをまた、別の人に渡せていれば、いずれ、優しさをくれた相手に、間接的に届くかもしれない…だから、返せない、なんて思わなくていいのだ…

…この話を聞いて、皆さんは、どう思っただろう。

少し気持ちが楽になる人がいるんじゃないだろうか?…いてくれたら嬉しいなって思う。だってそれが私が発信を続けていく理由だから。

私の発信活動は、こうした、辛いときに『優しさ』をくれた人たちに、私を救ってくれたお礼を小さく、返していきたいからやっているところがある。

わたしに『優しさ』を受け取る大切さを教えてくれた相手は、これを

「優しさのリレー」 と よんでいた。

私もこの呼び方がとても気に入っている。

…この考え方で私の心はすごく救われた。

だから、私のような、ちょっと変わった考え方をしてしまって苦しくなってしまう人が、こう考えてみたら、同じようにもしかしたら、少しだけ気持ちが楽になるかもしれない、

だから私はこのnoteを使って提案したい。

…もし、いいな、と思えた方がいれば、ぜひ「優しさのリレー」を続けていってほしいなって思う。


…バトンは今、私から、あなたに渡した

このバトンをこのまま、自分で持っておいてもいいけど、

もしこれで『優しさ』を受け取ることが出来たなら、そのバトンを誰かに渡してもらえると嬉しい。

そのバトンが、私が渡したことすら忘れた頃に、もしかしたら、私に返ってくるかもしれない。

返ってきたなら、いや…返ってこなくても、また私は別の人に、渡しにいくつもりだ。

ただ一つ言えるのは、返ってきたその時に、私の心は、とても救われるのだということ。

私が無意識的に渡してきた『優しさ』が、私が辛い時期に、親身に話を聴いてくれる『優しさ』として返ってきた、あの時のように…また、わたしは『優しさ』に救われると思うのだ。


これが『優しさ』は積極的に、人に渡せるときは渡していきたいな、と思えるようになった、とても私の中で印象深いエピソードだ。

たとえ、縁がなくなろうと、あの言葉を伝えてくれた友人は、私にとっては一生、恩人であり続けると思う。いつか、そのことを相手にも伝えたい。


「優しさのリレー」のバトンを渡す人になって、このリレーが広く広まっていけば、あなたが、きっと生きていくことが少しだけ楽になることを実感できる日が来る、と私は確信を持って伝えられる。


参考になったな、と思われた方はぜひ、周りに対して実践してもらえると、とってもありがたい…


この記事をきっかけに、
『優しさ』で救われる人を増やしたい!と思う人達が、少しでも生きやすい考え方を持てるようになっていけたらいいな、と思っている。

以前の記事を、再度伝えたいことに絞って、もう少しライトに読んでいただけるように、書き直してみました。

今後、過去記事を書き直す投稿も少しずつしていきたいなって思います。

(あまり読まれてない過去記事にも大事にしたい考え方をたくさん書いてます、が読みにくいんです…)

同じマガジンの「優しさのリレーを続けたい」という記事を読んでみると、書き方の変化を感じていただけるかも。

★ちなみに、元ネタはRadiotalkにも上げる予定なので、「音声」で聞いてみたい方は、そちらもぜひ!


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普段、『好きを大切にする生き方』というテーマでnoteの発信をしています。

また、Radiotalkで「ゆるcafeれでぃお」という番組の中で、音声での発信活動をしています。
【固定記事に、番組のリンク貼ってます!】
声による発信は、文章よりも熱を持ったものになっているかと思います。

現在、テキスト更新と同じように、頻度は多くないですが、声活動を大切にしてます。よければ聴いてみてくださいね!

本日はここまでです。

記事を読んでいただき、

ありがとうございました。



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