【現場ルポ】コロナ死「さよなら」なき別れ|柳田邦男
「看取り」のない死に苦悶する家族。医療には何ができるのか――。/文・柳田邦男(ノンフィクション作家)
<この記事のポイント>
●コロナ死では、別れへの心の準備をするという機会が与えられない。故人の家族は「あいまいな喪失」のトラウマに苦しんでいる
●コロナ期間、ともに80代、緩和ケア病棟に入院する末期がんの妻と夫がLINEビデオ通話で「最後の別れ」をした。これには大きな意味があった
●4月から5月にかけて医療崩壊寸前の状態を食い止めたのは、医療者たちの使命感の強さと治療への献身的な傾注だった
柳田氏
短期間に1500人の死者
新型コロナが急激に広がった3月から5月にかけて、関係医療機関の現場は、さながら野戦病院のようだった。
新型コロナは感染力が強いため、医療者も感染するリスクが高く、感染防止のために、細心の注意を払わなければならない。家族に高齢者や持病を持つ人や子どもがいるため、自宅へ帰らないでホテルに宿泊した医療者も少なくなかった。当然ストレスが蓄積される。それでも医療者としての使命感から職責を全うしようとしたのだから、私のような「安全」の側にいる取材者としては、只々頭が下がるばかりだ。
医療者が全力を傾注したのは、肺炎などの症状を改善させ、救命することだ。それでも病状が急激に悪化して、いのちが失われる例が少なくなかった。死者数は、9月20日には1500人に達した。2月末に最初の死者が出てから約7か月間の累計だ。
重症から死に至った患者は、高齢者や基礎疾患(持病)のある人が圧倒的に多いが、1つの感染症によって短期間に1500人の死者が出るというのは、やはり大変な事件だ。
しかもコロナ死には、特異な側面がある。第1に、予想もしていなかった感染による突然の入院、一気に重篤化、そして死に至るという急激な経過を辿ることだ。第2には、感染を防ぐために面会が制限されることだ。
「さよなら」のない死の衝撃
家族が患者に付き添って、じっくりと会話を交わし、それなりに別れへの心の準備をするという機会が与えられないので、残された家族の心に、「さよならを言えなかった」「あの世での再会の約束ができなかった」「最期の刻(とき)に側にいて手を握ってやれなかった」などといった悔いを残す例が少なくない。それは、その後を生きる家族の日々に暗い影を落とすトラウマとなりかねない。
ちなみにコロナ感染拡大の早い段階で、感染による重篤な肺炎に陥り、3月末に急逝した70歳のコメディアン志村けんさんの場合、身体に倦怠を感じ始めたのが同月17日、2日後に呼吸困難に陥り、翌日緊急入院、人工心肺装置を装着しても効果はなく、29日に息を引き取った。体に異変を感じた日から亡くなるまでわずか13日という、ほとんど突然死に近い最期だった。
しかも、感染防止のために、けんさんが重篤化してからは、肉親が面会することも付き添うこともできなくなった。死の前日に2人の兄たちが病院からの連絡で駆けつけ、別室で看護師の操作するタブレットを通して、集中治療室で人工心肺装置や様々な管につながれたけんさんの姿を見せられた。家族は声かけをしたが、けんさんは目を閉じて意識がなく、何の反応も示さなかった。
2日後、兄たちは病院の霊安室に招かれたが、棺の蓋を開けてけんさんの姿を見ることも別れを告げることもできず、やや離れたところで手を合わせただけ。霊柩車にも同行できず、後刻、火葬場で遺骨の入った箱を受け取ったのが、けんさんとのやっとの“再会”だった。
長兄の志村知之さんが遺骨の箱を胸にかかえて、東京・東村山市の自宅に茫然とした表情で帰り、メディアにけんさんの最期の刻に別れの言葉もかけられなかった無念さを言葉を詰まらせて語った。
私はそのテレビ映像に衝撃を受けた。コロナ死と死別の特異性を、遺骨を抱いて立ちすくむ兄の姿と震える言葉からリアルに感じたからだった。さらに私は、その衝撃を契機に、コロナ死の実態と残された家族がかかえこむ問題について、深く取材をして、何が課題なのかを分析してみる必要があるのではないかと考えた。
その問題意識には、2つの背景があった。一つは、事故、災害、凶悪犯罪、病気、戦争などで大切な家族を失った人は、どのようにして負の体験から心を立て直し、新しい生き方を見出していくのかという問題を自分のテーマにして、長年にわたり追い続けてきたことだ。
そして、もう一つは、家族の誰かが事故や災害や事件などで行方不明になったり、遺体の確認が納得のいくかたちでできなかったりした場合に、残された人の心に生じる複雑なトラウマの問題について、専門家による理論的研究と実際のケアの取り組みが最近進展していて、私もその取り組みを学んでいたことだ。
志村けんさん
「あいまいな喪失」の視点
例えば、津波で家族の誰か(複数の場合も少なくない)が行方不明になった場合、残された家族は、災害補償金や生命保険を受け取るために、役所などに死亡を認める書類を出さなければならない。しかし、心の中では、「どこかで生きているのでは」という思いを引きずる。子どもを亡くした親や夫を亡くした妻などが、そういう死亡届を出すと、「自分が子ども(あるいは夫)を殺してしまった」と、自分を責め続ける例もある。
このように、大切な人が死んだのか生きているのかを、納得のいくかたちで受け入れることのできない死別のことを、臨床心理学の専門用語で「あいまいな喪失(アンビギユアス・ロス ambiguous loss 相反する2面性のある喪失)」という。このような喪失体験は、わかりやすい用語としては、「さよならのない別れ」とも言われる。より砕いた言い方をすれば、「はっきりと『さよなら』と言って運命を受け入れる機会を持てなかった別れ」となる。
この理論は、アメリカのミネソタ大学名誉教授で家族ケアの専門家であるポーリン・ボス博士が、海外での戦争に派遣され未帰還となった兵士の遺族のケアや、ニューヨークのツインタワーに旅客機を突入させ崩壊させた9・11テロ事件で遺体確認もできなかった犠牲者の遺族の複雑で深い心の葛藤に対するケアなどに取り組む中で構築したものだ。
日本では、3・11東日本大震災の大津波で行方不明になった人たちの家族や、東京電力福島第一原発事故による放射能汚染で故郷を奪われ、環境の違う土地に避難を余儀なくされた被災者たちのケアにあたった臨床心理士たちが、渡米してボス博士から「あいまいな喪失」の理論と方法を学び、被災者たちに対するケアの中で実践している。私はそうした専門家たちの研究会に参加して、学んできたのだった(そのケーススタディ的な実践報告は、昨年、黒川雅代子・石井千賀子・中島聡美・瀬藤乃理子編著『あいまいな喪失と家族のレジリエンス』誠信書房にまとめられている)。
このような学びがあったから、大切な人を新型コロナで亡くした家族がかかえこむ「あいまいな喪失」のトラウマに対し、医療の現場はどうすればよいのか、取り組みのあり方を検討する余地はないのかという思いが、私の脳裏を駆けめぐったのだった。
しかし、医療崩壊の危機が叫ばれるほど事態が逼迫している医療現場に、そうした視点からの取材に入るのは迷惑をかけることになると考え、しばらく様子を見ることにした。
世界各国で新型コロナの感染が爆発的に広がるや、イタリアなどでは医療崩壊に陥った地域もあり、そういう地域では、まさに「さよならのない別れ」で、残された家族の嘆き悲しむ姿が、しばしば報道された。
病院クラスターの発生
夏になって、国内の医療機関が落ち着きを取り戻し始めたので、私は取材を始めた。協力を得られた医療機関を訪ね、コロナ患者の診療に携わった医師や看護師の生の声を聴くことができた。以下に、4つの医療機関における重症から死に至った患者への対応について記す。
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