ネットとスマホで中国はリープフロッグした 野口悠紀雄「リープフロッグ」
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※本連載は第3回です。最初から読む方はこちら。
中国は、固定電話を飛び越えて、いきなりインターネットとスマートフォンの時代に入りました。そして5Gという次世代通信の分野では、日本やアメリカを抜いて世界の最先端にいます。
◇先進国には固定電話があった
「中国では、流通の仕組みが整備されていなかったために、eコマースが発達し、それが現在のキャッシュレス社会をもたらすことになった」と前回述べました。
ところで、eコマースでインターネット上の店舗が成立するためには、売り手と買い手がインターネットで結びつく必要があります。つまり、多くの人がインターネットを利用できる環境になっていることが必要です。
実は、ここでも中国はリープフロッグしたのです。
日本やアメリカでは、通信手段として以前から固定電話が使われていました。
アメリカでは、1876年にA. G. ベルによって発明されて以来、1890年代から1920年代にかけて電話が普及しました。1920年代末には、今日とほぼ変わらないシステムが構築されていました。もう100年も前ということになります。
日本でも高度成長期の初期の1950年代に、急速に電話網の整備が進みました。ただし、望んでも、すぐには設置されない状態でした。
簡単にできなかったのは、交換のシステム、電話局、電話線などのために、膨大な投資が必要だったからです。
その後は、携帯電話に向けての進歩が続きました。1979年12月、日本電信電話公社が世界で最初の自動車電話サービスを開始しました。これは、受話器とアンテナを含めると約7キロという代物でした。
1985年にNTTがショルダーフォンを発売しました。これでも重さは3キロで、肩から掛けてやっと持てるものでした。
これをさらに小型化した携帯電話機がNTTから発売されたのは1987年です。このとき、重さは900グラムになりました。
こうして、1980年代から1990年代にかけて、携帯電話が普及していったのです。
◇IT革命で通信体系が大きく変わる
一方で、コンピュータも1980年代に大きく変化しました。
コンピュータが登場したのは第2次大戦後のことですが、当初使われていたのは大型コンピュータでした。これを利用できたのは、大学や政府、それに大企業など、一部の組織に限られていました。
1970年代の初めにPC(パーソナルコンピューター)が登場し、個人でもコンピュータを使えるようになりました。これが、「IT革命」と呼ばれる技術革新の第1段階です。
1980年代にはPCが普及し、PC間の通信も可能になりました。ただし、そのために、最初は電話線が用いられました。
1990年代にはウェブを閲覧するブラウザが発明され、インターネットが普及しました。これが、「IT革命」の第2段階です。
こうして、電話より遥かに便利な通信手段が利用できるようになったのです。
携帯電話も、2000年代にはインターネットと融合していきます。
そしてスマートフォンが登場しました。2007年にはiPhoneが登場しました。
◇中国は最初からインターネットとスマートフォン
このように、1980年代以降に、大きな技術革新が情報・通信を中心に起こったのです。
ところで、中国の工業化が本格化したのは1990年代になってからのことです。
IT革命の第2段階がすでに始まっていたので、中国は最初から新しい通信技術を用いることになりました。
中国は、固定電話や大型コンピュータの時代を省略して、いきなりインターネットとスマートフォンの時代に飛び込んだのです。つまり、リープフロッグしたことになります。
固定電話のためには、膨大な投資が必要ですが、それらの大部分を省略したのです。
多くの中国の人たちが最初に使った現代的通信手段は、スマートフォンだったことになります。
そして、スマートフォンが利用できたためにeコマースが発達したのです。
固定電話では、eコマースはできません。これは、インターネットによって初めて使える仕組みなのです。
中国は、通信手段とコンピューターにおいてリープフロッグし、そのためにeコマースでリープフロッグし、さらにキャッシュレスでリープフロッグしたということになります。
◇新しい体制である5Gでは、中国が最先端に
移動体通信の世界はさらに進歩しようとしています。
とくに重要なのは、5G(第5世代移動通信システム)です。これは、超高速・大容量通信によって、産業やライフスタイルを一変させるといわれます。
中国では、中国移動通信(チャイナ・モバイル)など国有の通信大手3社が、2019年11月1日に、北京や上海などの国内50都市で、5Gの商用サービスを開始しました。
華為技術(ファーウェイ・テクノロジーズ)などが基地局を提供しており、世界最大の5Gネットワークになるとみられています。
スマートフォンも、5Gサービス開始に合わせた機種が提供されます。
この面で、中国は、アメリカや日本を抜いています。
典型的なリープフロッグが起きているのです。
◇日本はいまでも固定電話
スマートフォンで何でもできるのであれば、固定電話は必要ありません。事実、先進国でも固定電話への依存は低下しつつあります。
アメリカでは、全成人の約半分が固定電話のない家に住んでいます。若年層では、7割程度の人々が固定電話を持っていません。
遅れて来た中国から見れば、固定電話は、要らない過程だったと言うことができるわけです。
ところが、総務省の「平成30年通信利用動向」によると、日本では、固定電話を保有している世帯の比率は64.5%と、いまだに過半数を占めています。
固定電話ではeコマースや電子マネーを使うことはできないわけで、インターネットの世界では不都合な通信体系だということができます。
カタログ販売、テレビのショップチャンネル、電話での通信販売などが、いまだに行われています。とくに年配者の間では、そうしたものの方が便利だと考えている人が多いのです。
また、eコマースではなく、実際の店舗がいまだに流通の主流を占めています。
次世代通信網である5Gの展開も遅れています。2019年9月にNTTドコモが5Gのプレサービスをスタートさせましたが、まだ5G基地局機器が安定していません。2020年の春にはリリースされるとされていますが、どうなるか不確定な面もあります。また、首都圏では利用出来ても、他地域でいつ利用できるのか、分かりません。
そのうえ、ATMでどこでも現金を引き出せ、さらに銀行をはじめとする従来型の金融機関が強い勢力を持っています。こうした状況では、キャッシュレスが進まないのも当然のことです。
(連載第3回)
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■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。
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