見出し画像

人はテクノロジーで離散化したが、これからは知性でリユニオンしていく

タイトルは言い過ぎたかもしれない。考えをまとめるためのポエム。

---

人はテクノロジーで(主にインターネットで)離散化している

デジタルデトックスっぽいことをFacebookでやったことがあります。あのサービスは通知する情報の幅をユーザーに気付かれないように少しづつ拡げていき、そのうち自分にとってカンケーないアップデートまで通知するようになってしまいました。それが本当に嫌で(自分に関係の薄い通知で身も心も動かされてしまい)Facebookアプリを削除したのです。

テクノロジーは物理的な制約を取り払い、人と人を繋げ、表現の場を与え、それがまた繋がりを産み、個人に世界への窓を提供してきました。しかし、その窓から要不要関わらず大量の情報が流れ込んでくるようになり、それに倦んだ人たちはデトックスに走り、離散化しつつあります。また、発達した検索エンジンやレコメンドエンジンのおかげで欲しい情報が手っ取り早く手に入るようになった一方、欲しい情報や見たことあるような情報にしか触れなくなり、それもまた離散化へつながっています(それをフィルターバブルと言ったりします)。

スクリーンショット_2019_10_02_21_50

2019年G20サミット教育関連イベント「21世紀の教育政策~Society5.0時代における人材育成~」G20 2019 JAPAN Summit related event on Educationシュライヒャー・OECD教育・スキル局長基調講演資料(Keynote speech of Schleicher, Director for Education and Skill, OECD)より

ここでは Democratizing が発展する一方で Concentrating が進み、 Particularizing が促進される一方で Homogenizing に陥り、 Empowering になる一方で Disempowering になるという、テクノロジー(やインターネット)による恩恵と弊害が語られています。先述したような開放の一方で離散化していく矛盾が起こっていることが、このスライドからも読み取れます。

歴史は螺旋を描きながら繰り返していく

スクリーンショット_2019_10_02_21_55

同じスライドからの拝借なのですが、自分はこの図がとても好きです。Industrial revolution で人類は繁栄を極めましたが、一方で公害や環境問題・身分の差などの Social pain が産まれ、それを教育で克服。Prosperity(さらなる繁栄)に至った歴史が示されています。その進化(革新)とそれによる弊害、人類の適応・克服によるさらなる発展・・と歴史が螺旋を描いて繰り返すのであれば、今はまさに Digital revolution による Social pain が産まれている時代。しかしそれを人類は必ず越えていくことが予想されます。

自分はその突破口が「知性」だと思っています。

限られたインプットでも良いので、考えて外化してアウトプットする。そして他者からフィードバックを得る。これが新しいインプットになる。それを元に更に自分のアイデアを大きくしていくスタンスが大事です。100%練り上げる前にカタチにして他者に問うのです。

手前味噌なのですが、上記記事ではこのアウトプットとフィードバックがフィルターバブルを破ると書きました。これは自分の考えに自信が無いながらもチームに問いかけ、それぞれメンバーの専門性からフィードバックをもらい、それによって考えがより進んだ経験から書いています。

これは、まさに先述記事に書いてあった「ゾーンやフローの状態」であり、それを実現した、つまり人々のドーパミンを促したのは「何かを創る」という行為なのだな、と結論づけた。つまり、クリエイティブはウェルビーイングに繋がる。ここでいう「クリエイティブ」には創るだけでなく他者に晒してフィードバックを得ること、他者の創ったものを見て何かに気づくこと、その両者の行為が含まれている。

こちらは先日実施したイベントでのワークショップ風景を見て感じたこと。人が集中する様、それを誰かに伝える様、それを聞いて何かに気づく様は(勝手な想像ですが)人が何かを拡げ突破していく印象を受けました。

人から学ぶということ

この両者には共通項があり、個人が何かをアウトプットする→それを他者が受け取る→フィードバックをする→そのフィードバックで個人が何かに気づく→アイデアをアップデートしてさらにアウトプットしていく、という循環を持っています。これは人から学ぶと言い換えることができるかもしれません。

観察の範囲内(つまり自分のフィルターバブルの中)の話なので、これが傾向とは言えませんが、最近そういうサービスが少しづつ出てきているように思えます。

以前よりQ&Aサービスはあったのですが、領域特化が進むことでより深いフィードバックの応酬ができるようになっていると思われます。

また人から学ぶという意味では、コーチング・メンタリングサービスにも言えるかもしれません。

人から学ぶために必要な要素

しかし人は誰でも「人から学べる」わけではありません。ダイバーシティや心理的安全性などのキーワードもその課題感を表していると思います。多様性からうまく効率性・効果性を引き出せない、心理的安全性が組織のサイロ化のキッカケになっている、などなど。

これらに対し個人はどう振る舞えばよいのか。自身の経験からこのような要素があれば人から学べるかもしれない、と思うことを紹介します。

まずひとつは「勇気」です。いきなり精神論というか根性論になってしまい申し訳ないのですが、自分のアイデアを誰かに見せるのはやはり勇気が必要だと思います。その勇気を持つための、セルフメンタリング・コーチングが技術としてあると良いでしょう。事実と解釈を切り分ける、の様な他者の話を聞くスキルも重要です。

次は、フィードバックを受け入れる技術です。他者からのフィードバックを全て受け入れると、自分がそのアイデアを持ち進める必要がなくなってしまいます。自分のアイデアが自分のモノであることを手放さないためにも、フィードバックに対する取捨選択や解釈が必要です。

これはデザインクリティークの話ですが、ある程度一般化できると思います。

知性はその個人の「軸」である

「勇気」も「フィードバックを受容する選択基準」も、結局のところをいうと「その人の軸」つまり判断基準やアイデンティティではないでしょうか。自分が何を考えていて、何ができて/できなくて、世界をどう捉えていて、何を目指していて・・・をその時の仮説でも良いので持っている個人の意思。ピボット前提でも良いので、その時その時に「決める」ことができる個人の知性こそが、フィルターバブルを打ち破ることができ、ウェルビーイングを実現することができるのではないでしょうか。

アウトプットすること、それを続けること、その拡がりを大きくすること、他者の意見を本質を見極め受容できること、それを元に自分をアップデートすること。

OECDがいう "Student Agency" や文科省がいう「主体的な学び」「学びに向かう力」も上記の要素と繋がってくると考えています。次世代にそれを期待してもいいのですが、今まさにデジタル時代の Social Pain を受けている我々も突破する方法を考えたいです。

ここまで書いたのは「個人」がどう突破するか?のアイデアです。これは引き続き探究していきたいのですが、一方で「仕組み」や「環境」についても、何かできないかアイデアを模索していきます。

Photo by Cristina Cerda on Unsplash

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?