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【マインド】被災地での記録

こんばんは!まなてぃーです🧜‍♀️

トンガ諸島で発生した噴火による津波注意報も全て解除されひと安心ですね。
避難された皆様・対応された皆様お疲れ様でした。

明日1月17日は防災とボランティアの日と言うことで、
東日本大震災後の被災地での記録を書き記します。

※当時のリアルな描写を含む備忘録になっていることを先にお伝えしておきます。

あの日、
当時学生だった私は、家族のもとを離れ新潟県十日町市にいました。
所属していたボランティア団体の学生150名と共に、地域おこしに来ていたのです。
学生のマンパワーで地域活性化を図る取り組みで、翌日に行われるお祭りの準備をしていました。
準備中に何度か地震がありましたが、特に気に留めることもなく夜を迎え、みんなで寝袋に包まれて眠りにつきました。

夜明け前、突如大きな縦揺れが起こりました。新潟・長野県境地震です。
揺れもそうですが、150名分の緊急アラートが一斉に鳴り響いたことが何よりも恐ろしかったことを今でも覚えています。

全員急いで建物の外に避難しました。
まだ暗い雪原は寒さも厳しく、一層不安を掻き立てられました。

安全を確認した後建物内へ戻り、全員一箇所に集まって待機しました。
本部による情報収集が行われ、前日の揺れは三陸沖を震源とする大地震で、東北地方が大変なことになっていると分かりました。
東北出身の学生何名かは本部に呼び出されていました。
私は家族と連絡を取り、無事を確認し合いました。
「大丈夫。」と言って安心させてくれた先輩たちの背中はとても大きく見えました。

予定していたお祭りはもちろん中止です。
代わりにいくつかのグループに分かれ地震で被害のあった場所へと派遣されました。
私はスプリンクラーが作動し水浸しになってしまったスーパーマーケットの復旧作業を手伝いました。

その後、隊は解散し私たちは不安な想いを抱えながらそれぞれの地元へ帰りました。
すぐに災害救助隊が編成されました。
移食住を自分たちで賄っていたボランティア団体だったので、迅速に行動ができたのです。
1次隊は地震から僅か5日後には被災地へ向かっていました。

次々に救助へ向かう隊員の行動力に脱帽しながらも、私はすぐには動けませんでした。
怖かったのです
もし余震に巻き込まれたらという不安が拭えず、自分の命よりも人を助けることを優先できませんでした。

3ヶ月後、ようやく決心が着いた私は安全靴等の装備を揃え宮城県は気仙沼へ。
その時隊は既に10次隊でした。

作業は被災されたお宅のお庭や床下に流れ込んでしまったヘドロの掻き出し、新しい石や土の運搬等。
辺りは生臭く、掻き出していると何匹も死んだ魚が出てきました。
この住宅地まで津波が襲ったのだというハッキリとした爪痕でした。

肉体的には辛かったものの、若さとバカさで社会問題に挑んでいた私たちは、
お宅のご主人たちと話しながら明るく作業を完遂させました。

ご主人も気さくな方で一緒に笑いながら作業を進めていたのですが、全てが終わったその時、
学生の私たちに向かって「このご恩は一生忘れません!」と涙しながら頭を下げたのです。

私にとっても一生忘れることのできない光景となりました。

また、当時観光学を学んでいた私は、
被災地復興の可能性を探るべく岩手県久慈市を訪れました。

津波による被害で使いものにならなくなってしまったホテルを視察し、支配人のお話を伺いました。
そこから撮影された、世に出していないあの瞬間の生々しい映像も見せていただきました。
取り壊すこともできたはずなのに、敢えて形を残しその時の記録として未来に伝える手段を選択した支配人の苦しみは、到底計り知れるものではありません。

彼等の声を自分の耳で聞き、
被災地のリアルを肌で感じた私にできることは一体…。

あの日から日本では防災にさらに力を入れるようになりましたね。
耐震の徹底、連絡手段のスマート化、避難バッグの充実、非常食のローリングストック等々…

当時のボランティア仲間はライフスタイルに馴染む防災グッズをギフトとして販売する会社を立ち上げました。
防災を追求する為に脱サラして気象予報士になった子もいます。

私はと言うと、時が経つに連れ被災地に対して何かするどころか思い起こすことも少なくなりました。
社会人になってからは、始めは週末ボランティア等に興味がありましたが、次第に頭から離れていきました。

悲しいかなそんなものです。
人間は忘れる生き物です。

でも、だからこそこういった想いを馳せ行動を促進させる記念日があるのです。
だからこそこうして記録に残し発信をするのです。

確かに実際に被災地へ足を運び復旧作業を手伝ったりお金を落とすことができれば何よりです。
しかし、行けないからと言って見て見ぬふりをしたり自分には何もできないと負い目に感じる必要は全くありません。
被災地へ行けなくてもできる支援はあるからです。
私が震災から1週間後に人より自分を優先したことも、恥ずべきことでも責められることでもないと今は思えます。

仕事の都合、家族の都合、身体の都合、経済的な都合、心の都合、様々な理由で被災地へ行けないこともあるでしょう。
だったら今自分にできることをすればいいのです。

私も気仙沼から戻った後は支援物資の仕分け作業等の形で支援を行っていました。
東北産の食材を購入したり、お取り寄せやふるさと納税でお金を落とすこともできます。
上記の仲間のように防災を広める職に就いたり、こうして発信することもできることのひとつですよね。

災害ボランティアの基本は"自分のことは自分でやる"です。
ただ闇雲に被災地へ行ったり支援物資を送り付けても迷惑が掛かるだけ。
自分よりも被災地を助けたいという想いも、場合によってはありがた迷惑になりかねません。
まず自分の命を自分で守る。その上にボランティアが成り立ちます。
自分が生きていなければ相手を元気にすることもできませんよね!

人間は自然には抗えません。被害を最小限に止める為に防災は不可欠です。
自分や家族、大切な人の命。これ以上に大切なものはあるでしょうか?

熱意は人を動かします。
大切なものを守る為に防災は必ず行いましょう。
そして、自分にできる形でボランティアと向き合えるといいですね。

1月17日、あなたはどんな行動を選択しますか?

See you on Sunday. 👋

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