見出し画像

文豪の始祖鳥、一人旅を語る

始祖鳥が旅っつったら一人旅に決まっている。

前々回、私の主な活動のひとつに動物園や水族館、博物館(以下、動水博)を見学するということを挙げました。

近場の動水博を見るだけではなく、きちんと旅行の日程を組んで数泊して数ヶ所を巡るような遠征も行います。なお現在のところ国内で手一杯です。
このとき、誰か肉親や友人を誘うことはしません。

今回は日帰りであっても泊りがけであっても「一人旅」と総称することにしましょう。

動水博にしても旅行にしても、一人では寂しいはずだと言ってきかない人がいるというのはよくある話です。私もかつての同僚から旅先の居酒屋の主人、あるいは肉親にまで、何人にもそのような言葉を投げかけられてきました。

私には一人旅が寂しいという感覚は分かりません。これをお読みのかたの中にもそのようなかたが多めにいらっしゃることと思います。

しかしこのような認識のずれは一人旅寂しい派・寂しくない派どちらの不見識によるものともいえません。要するに旅の目的に対する認識の違いを反映したものです。

一人旅は寂しいはずだとおっしゃるかたのお出かけの目的は、おそらく、出先でお連れのかたと愉快なひとときを過ごすことでしょう。そういう切り口から見ると一人旅には何もないも同然です。

しかし、私は出先で連れの者とではなく、出先そのものと向き合うのです。

私にとって、一人旅に最も近い別の行為は、図書館に行くことです。

私の町には大変優れた図書館があります。その図書館の優れぶりときたら、このご時世に果たして図書館というものがこうも優れられるものかといぶかしむほどです。

この図書館に赴けばなにかしら非常に参考になる文献があるものと期待して、あるいはあらかじめそのような文献の存在を認知して、私は図書館に向かいます。

まさかここまでというくらい意外な話題に関してまで、頼もしい本が見付かります。奈良のシカについてだけ書いた本が2冊もあるなんてなかなか思わないでしょう。我が町の図書館ではあるのです。

調べようとしていることがあんまりコアすぎて本題に関しては空振りということもありますが、蔵書自体が優れているので、本題以外でも大抵なにかしら良い発見があります。ありがたいことです。

動水博もこれと同じです。ここならきっと発見があると期待して訪ね、それは果たされるのです。

例えば広島の安佐動物公園では、最近まで同種とされていたサバンナゾウ(アフリカゾウ)とマルミミゾウが実のところかなり体型の異なるゾウであることや、オオサンショウウオがまさに暗闇の住人であることを知り、またオオサンショウウオに関する有力な文献を入手することができました。(下図の左がマルミミゾウです。脚が長く耳とお尻が丸いのがお分かりでしょうか。またマルミミゾウのほうが姉貴分であるにも関わらず小柄なのです。)

仙台のうみの杜水族館では、前日に南三陸の海辺で見た鳥がコクガンという種であること、同じく南三陸で発見されたウタツサウルスという魚竜に似た泳ぎ方であるとされるトラザメの様子、また別の訪問にてですが、サメのうちで最も美しいと称されるヨシキリザメの姿や、長距離遊泳のメカニズムを知ることができました。

福島のいわき石炭化石館では、首長竜(プレシオサウルスやフタバスズキリュウが属するグループです)のひとつ・クリプトクリドゥスの全身骨格を観察し、比較的近縁で全体のバランスも似ているプレシオサウルスとのプロポーションの違いを理解することができました。

こうした経験のうち一部はすでに執筆に活かされており、また他の一部もいずれ後の機会に活かされることでしょう。

私はこのように、図書館に来館するかのように動水博を訪問するというスタンスを、広めることはできないまでも「あり」であるということを提唱したいと思っております。何せ貸し出しこそしていないものの(博物館の標本は借りられることがあるのですが)、入場料さえ支払えば一日閲覧自由ですから。

さて、図書館に出かけていくとき、本当に本の閲覧しかしないでしょうか。動水博に出かけていくとき、本当に観察しかしないでしょうか。

私だってそこまで目的にだけ沿った一人旅はしていません。風景を眺めたり、地元の美味しいものを食べたり、ホテルで日常と違うひとときを過ごすことも旅の大事な楽しみです。(下図は化石の産地でもある犬吠埼からその南の長崎鼻へ至る道で、南から灯台を眺めた写真です。)

こうした旅先の思い出も、私の執筆に活かされています。私にとって一人旅に出ることは、好きな町が増えることとしっかり結び付いています。

しかし、私にとってはこれも、図書館に行くときと同じことです。

我が町は大変のどかで緑にあふれた町なので、道すがら季節ごとの花々が咲き誇っておりますし、空だってよく見えるのです。なんならトンボだって飛んでいます。

また、図書館と同じく市民会館にあるレストランなり、少し離れた駅前のお店なりで食事をする楽しみもあります。

旅先の町が好きになることに負けず劣らず、私は私の町が好きなのです。

そのため、動水博を訪ねる一人旅のついでも、図書館に出かけるついでも、私にとってはとても大事な、しかしあくまでも「ついで」なのです。

このように出先の様々なものに向き合えるのも一人旅であるからこそです。一人旅の中にあるとき、私の翼は大きく広がります。

(ところで「もの」との出会いばかり語り、主旨に反するため「ひと」との出会いは語りませんでしたが、動水博の親切な職員さんから遠くの町の友人まで、私にも「ひと」との出会いはいくつもあります。そのお話はまた別途。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?