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東海大学自然史博物館と東海大学海洋科学博物館マリンサイエンスホールでした

ずいぶん遅くなってしまいましたが3月25・26日に行ってまいりました。

どちらも静岡の三保松原にある博物館なのですが、3月いっぱいで自然史博物館は全館が、海洋科学博物館は2階のマリンサイエンスホールが一般公開終了となってしまったのです。

自然史博物館は主に陸上脊椎動物の歴史と静岡の陸上の自然について展示していました。海洋科学博物館は1階は静岡近海の生き物を中心とした水族館になっていて、2階では海の科学と海洋調査に関する展示と、海の生き物の動作を理解するために作られたロボットの展示を行っていました。

以前に閉館直前の記事を書いた油壺マリンパークと同様、建物の老朽化と例のアレによる観光客の減少、そしてそれ以前からの背景として、観光地に見どころとなる施設を色々集めておくというやり方の衰退により維持できなくなってしまったようです。
東海大学の施設ということで、国公立の大学の予算が潤沢だったら……という気もしてしまいますが。

それで海洋科学博物館の1階・水族館部分は惜しむ声の多さから一般公開が継続されることになったのですが、そうは言っても私にとっては2館全体の雰囲気や内容がとても気に入っていて、2館まとめて泊りがけで見に行く場所だと思っていたので、全体の規模がだいたい4分の1になってしまうとあっては水族館部分にまた訪れる機会もなかなか取れないだろう……というところです。

行ったことのある動物園・水族館が閉場したことはみさき公園・マリンピア松島・志摩マリンランド・油壺マリンパークの4回ありましたが、博物館の閉館は今回がほぼ初めてでした。水族館部分にまた行く機会がなかなか取れないとはいえ、生き物とのお別れではないので、周辺のものまで一つひとつを惜しみつつ、貴重なものをしっかり撮影し、行える限りの観察を行い、なんとか整理が付けられたように思います。

静岡市内にはふじのくに地球環境史ミュージアムという地域の自然をしっかり紹介する素晴らしい博物館がありますし、静岡市は「海洋・地球総合ミュージアム」という新しい施設を整備する計画のようです。総合ミュージアムに東海大の展示物や展示内容がどのくらい受け継がれるのかはまだはっきりしないのですが(自然史博物館の古生物の骨格は一部しか展示されない気がします)、新しい博物館に期待したいところです。

そして、最後の見学になって自然史博物館の(個人的には)とんでもない秘密を知ってしまったのでした。

海洋科学博物館 水族館部分

当日はあいにくの雨でした。2つの博物館がある敷地内には海に関する大型展示物があり、以前は実物の調査船も置いてありました。

雨といっても2日ほど切符売り場に長蛇の列が出来ていて、主に地元の皆さんが名残を惜しんでいることがうかがえました。
もしかしたら水族館や博物館自体初めてではないかという子供達の姿もたくさんありました。つい「また来ようね」などと言い出すのではないかと思って勝手に切なくなってしまいますが……。

よく見るとモジュール化されている入り口部分の天井は建設当時は建築の未来を体現したものだったのでしょう。

思えばオヒョウもこの標本以外はほとんど見たことがありません。

レトロな建物でありながら水族館部分の最初と最後はとてもポップに仕上げられていて、そういう面でも工夫を絶やさなかったことが伝わります。しかし内容は様々な生き物の種類や行動、不思議な姿などをしっかり見せようとしています。

これは12年前に撮った最初のエリアの雰囲気が分かる写真です。

好きだけれども撮るのが大変なニシキテグリが、今回はしっかり撮らせてくれました。実にこの姿が似合う雰囲気の、まるで鮮やかな博物図譜のようなフロアであったのです。

東海大学海洋科学博物館といえばなんといってもこの角柱型の大型水槽です。できた当時はアジアで一番の巨大水槽だったそうです。

この水槽に久しぶりに対面して、この水族館部分だけでも公開が継続することになって本当に良かったと目頭が熱くなりました。
……しかしすぐに、それは2階や自然史博物館を軽く見る考えだったと気付いて涙が引っ込んでしまいました。

それにしても本当に見どころの多い水槽なのです。岩石の粗密と大きさの違いによって異なった海の環境を表現していますし、その甲斐あってたくさんの種類の魚がそれぞれ適した場所に陣取っているのが見て取れます。

しかもそれは岩によって巧妙に隠された海底トンネルの天井に備えられた覗き窓で、さらに詳しく見ることができるのです。こんな小さな魚が設立当時アジア一だった巨大水槽に潜んでいるのです。

上のほうをテラスから見ることもでき、大型のアジの仲間が群れをなして渦巻いています。

なんとなく緑がかったような色もむしろ長所です。海の町・清水の、いかにも日本の海辺という風景が広がる三保松原にあって、ことさらにキラキラと澄んでいるのではなく身近な海の中を感じさせてくれます。

この水槽の主は2匹のどっしりとしたシロワニです。
大型のサメが好きだと言うことに、まるで強くて大きい生き物が強くて大きいから好きだと言っているみたいで抵抗を感じてしまうのですが、実物の魅力を目の当たりにするとやはりサメが好きだと素直に言うべきだと思わされてしまいます。

全然体型の違うネムリブカも後押ししてくれます。

さて、この大型水槽の周りを他の展示が取り囲んでいます。

最も目を引くのがこの5メートルほどもある雌雄のリュウグウノツカイの標本と、

20センチほどしかないリュウグウノツカイの稚魚の標本です。

なぜ繊細な深海魚であるリュウグウノツカイの標本がここにこんなに綺麗に揃ったのか?それはすぐ近くの駿河湾が非常に深く、深海生物の一大生息地であるからです。
深海に関してはまたすぐ後に登場します。

大水槽のあるフロアから進むと昔ながらの「汽車窓式」と呼ばれる水槽で近隣の魚を紹介するコーナーです。

おや、アミモンガラ。顔付きと泳ぎかたがマンボウによく似ていて、マンボウがフグの仲間であることを実感させてくれる魚です。
初めてそう思ったのは秋田県の男鹿水族館GAOで、その後新江ノ島水族館でまた目にしてさらに印象が強まったのでした。閉館前の油壺で思ったとおり、やはり海は繋がっています。

マイワシが口と鰓を開いて、餌を海水からろ過しようとしながら泳いでいます。この姿はまた後の内容と関係があります。

イトヒキアジが長い鰭条をたなびかせています。飼育技術の高さをうかがわせます。

さて、汽車窓式水槽の対面に現れるのがこの大きなチョウチンアンコウと……、

ずらりと並んだ駿河湾の深海生物の標本です!

深海の生き物に興味があればここから離れられなくなるすさまじい展示です。海洋科学博物館は水族館部分のみの公開にはなっていますが、ここはしっかり博物館しています。

深海生物の解説が続きますが、そこでも標本が効果的に使われています。途中までで切られたミズウオをうまく配置してまるで本の挿絵のようにしています。

海底に沈んできたクジラの遺体を食べるものの展示ですが、クジラの骨にわざわざ肉が残してあります。この展示のためになんて凝った造りにするのでしょう。

生体も次第に深いところのものに移り変わり、名物でもあるキンメダイで汽車窓式水槽は終わります。

最後に再びポップな感じのコーナーに辿り着き、

可愛らしいクマノミに出迎えられますが、こうして生態どおりイソギンチャクに潜っていることからも分かるように展示内容は堅実そのものです。

水槽の中でも産卵と卵の世話をしています。バックヤードが見られるコーナーでもこうした姿や生まれたばかりのクマノミが見られます。

私が再び来られるのはどういう機会になるか分かりませんが、やはりここは長年の間に丁寧に築き上げられた良い水族館です。地元のかたに親しまれ続けてほしいものです。

海洋科学博物館 マリンサイエンスホール

さて、ここからはどうあがいても「最後の見学」になってしまいます。

海の生き物たちとそのロボットに導かれてスロープを上がります。

2階に辿り着くと、いかにも懐かしの科学館という感じのシャープな空間でした。波や潮流、水圧や水温の展示から始まります。

奇しくも閉館となった油壺と同じく、閉鎖されるこちらのフロアにメガマウスザメの剥製がありました。海は繋がっている……。

油壺のメガマウスザメの展示も非常に詳しいものでしたが、こちらは雌雄が揃っています。
歯は餌であるプランクトンを摂るには使わないものの、上のオスのほうが発達していて、それはメスに離されないようかぶりつくのに良いからだと考えられているとのこと。しっかり確かめることができました。
それにしても、先程のマイワシと大きさは全然違うものの体のシルエットがよく似ている気がします。口から海水を取り入れてプランクトンをろ過するものの中でもまたさらに配置が近い感じがします。

水をろ過するものといえばもう一体、見逃しようがないものが……。

1階の象徴は大水槽でしたが、2階の象徴はこのピグミーシロナガスクジラ(シロナガスクジラの小型の亜種)の骨格です!

クジラ、しかもシロナガスクジラの骨格を目線の高さでこんなに近くから観察できる博物館は他にはめったにありません。
見られなくなるのは本当に惜しいこと、ではありますが……。
私がこの骨格のそばにいた間も、骨格本体や、輪郭を表わすパイプが触られてしまっていました。パイプのほうは骨格は直接傷まないものの、顎の先のところでぶつかりそうで心配になります。
ここではないところで、というか少なくとも公開終了前とは違った形で置かれたほうが、この骨格にはよかったのでしょう。
そうするとこのフロアの他の展示も役目を終えつつあるものに見えて、未練が薄れていくのが感じられました。

まるで木材のように見えるのは脂抜きが完全でないためですが、今でも上顎の裏にしみ出した脂の筋が見えます。骨が動物の肉体の一部であることをまざまざと見せつけてくれた標本でした。

この骨格のそばには海洋調査の器具とその原理が展示されていました。

アカボウクジラの骨格。この他にも鯨類の部分標本がありました。

なかでもアマゾンカワイルカとガンジスカワイルカの頭骨は特に珍しいものでした。顎が鳥のクチバシのように細長かったり、歯の形が顎の先と奥で違ったり、ガンジスカワイルカにはフードのような骨があったりと、珍しい特徴が見て取れます。

潮流や資源の利用に関する展示が続きますが……、

ここまで多彩な顔を見せてくれた海も実は地球の薄皮一枚でしかないことを知らしめて、一旦この展示室は終わります。

カニのロボットが再び手招きしています。

この展示室は「メクアリウム」、海の生き物が動き回る原理を取り入れた動物型ロボット「メカニマル」の水族館です。
以前このプールでは大型遊泳メカニマルの実演が行われていたのですが、例のアレの蔓延を防ぐために休止したっきりになってしまっていました。

せっかくなので往時の雄姿を。これは「オオウデウミバシリ」、あまりそうは見えませんがマグロの尾鰭を元にしたメカニマルです。水面下にマグロの尾鰭を半分にしたようなパドルが見えるでしょうか。これをアームの動きで左右に振ることでマグロの尾鰭と同じように水を切って進むのです。

いっぽうではこんな一見シンプルなものも。「フウライスカシウオ」は水圧の変化で浮袋が伸び縮みして浮き沈みするという原理と、それにより水流を受けて鰭の向きが変わり水流から前進する力を得るという原理を組み合わせています。完全にこのような動きをする生き物がいるわけではないですが、動きの原理の研究の成果です。

リンク機構により胸鰭と尾鰭を連動させる「パタヒレクマノミ」とカクレクマノミが共存しています。カクレクマノミは驚く様子も見せません。メクアリウムの設立当初、メカニマルは自然と調和する理想的な海洋機械と考えられていたようで、この水槽はただ比較するだけでなく、そういう理想を体現するものとして作られたのかもしれません。

「シャコマネシ」「タラズガニ」といった甲殻類モチーフのメカニマルが、リンクの肢を有機的に動かしてみせていました。
一度に複数の関節を連動させるリンク機構は生き物の動作を真似るのにちょうどいいのです。(この考えかたはメカニマルを元にして作られた科学教材を通じて「ゾイド」シリーズなどに受け継がれたようです。)

ギャラリーの文言が涙を誘います。私はこういう、もう閉じる場所で改良を謳うのに弱いのです。

シアターだったところは海の環境保全を啓発する展示室に変わっていました。他の場所に展示されていた標本が集まっています。

メカニマル達の子孫が活躍する壁画を見ながら出口へ。こういう未来は来ませんでしたが、海洋プラスチック問題などを見ていると、こんな風にきめ細かく自然と接するテクノロジーが必要なのかもしれないと思えます。

ミュージアムショップは引き払う寸前といった品揃えでしたが、見たことのない魚の化石がありました。1日目に迷って、残っていたら買おうと思っていたものの2日目には売れてしまっていましたね……。買われたかたに大事にされているといいなと思います。

本当にいい博物館でした。

自然史博物館

……に移るんですけど、海洋のほうのパネル展示で知ってしまったことがあるので。

これまでの年表と写真の展示なんですけれど。

「1973年 東海大学人体科学博物館 開館」。
……その横に添えられている写真は、昔「全国博物館ガイド」という本で見かけて恐れおののいていた人体科学博物館そのものの様子と、明らかに今の自然史博物館の建物です。
東海大学自然史博物館は、一旦別の建物として設立された後、閉館した人体科学博物館の建物に2002年に移転したものだったのです。

私は科学、特に生き物の展示は大好きだけれど人体だけはどうしても苦手だという話を何回もしてきました。
京都市青少年科学センターと多摩六都科学館のときに「科学館が意図を持って設置した教材であれば、全身のが置いてあってもなんとか……」ということは思いました。
しかし、一応ネット検索で当時の様子を確かめようとして、あーっこれはダメだ絶対これ以上深入りできない!となってしまったのです。一般に知られることのない医学の世界を広く知ってもらおうという崇高な「意図」があると知ってさえ、です。
絶対に行きたくないと思っていたし今ももしあっても絶対行けないであろう人体科学博物館の建物に、自然史博物館になってから最高の展示空間だと思って喜んで入っていたとは!
道理で自然史博物館の建物はメインの展示物である恐竜とあまり関係ない造りで、見学ルートも妙な入り組みかたをして、調度品も後付けのものが多かったはずです。昔の自然史博物館の様子を写した写真も、今とはあまりに違いすぎて噛み合わなかったのです。
まさかこんな因縁があったとは思わず、私と恐竜と人体という、幼少期からの巡り合わせに立ち向かう見学となってしまったのでした。

教会を思わせる建物の前に、昔はよく図鑑に載っていたけれど今はとてもマイナーなケティオサウルスの像が立っています。ヤシの木もここが海辺だからというだけでなく白亜紀から存続するものです。
……元々人体と医学に関する建物なら、教会のような造りになっていたのも納得です。

アンモナイトの一種ハルポセラスと、トリケラトプスの発掘を再現した展示が出迎えます。

本来の順路では最後になるのですが、先に海の自然を見ていたので静岡全体の自然を見ていきます。これは富士山周辺の模型に様々な情報を投影する展示です。

南アルプスから雑木林、里山、川と巡っていきます。そういえば海洋科学博物館には淡水魚が本当に1種類もいないのでした。

ああ、これは海の展示ですね。現生と化石の様々な軟骨魚類の歯の展示です。以前私が見学したより後にまとめられた展示です。

ほぼ歯しか見付からないので有名なメガロドンの椎骨とみられる化石がなんと静岡県内で見付かっているではありませんか。

他にも県内の化石が多数展示されていました。

様々な四足動物の前肢の比較です。かなり発見のある展示でした。

図書コーナーにはカマラサウルスのテーブルと丸太のスツールがありました。以前は自由に触れる標本があったのですが、このときは身近な生き物からアンモナイトまで様々な展示になっていました。
来館者が一通り見て回ってからここで本を開いて古生物や自然の話をする時間は、とても充実したものだったでしょう。

さあ、私のタイムスリップはここからです。

古生物展示はほぼペルム紀、つまり恐竜時代が始まる手前の、陸上の四足動物がすでに大繁栄していた時代からなので、それまでの地球の歴史をエスカレーターで一気にすっ飛ばしてしまうのです。壁に各年代を表わす岩石のパネルや化石があります。
……「以前」は真っ赤な食道だったそうですよ。

建物の外の形状をそのまま反映したホールが仕切られた空間に出ます。やはり内部も教会を思わせますね。
……「以前」どういうレイアウトだったか全く想像が付きませんが、この連なったアーチも恐竜のではなくヒトの肋骨に見立てられていたのでしょうか。骨だけなら平気は平気なんですけれども。
とまあ、知ってしまったことをだいぶ引きずってしまっていますね。今も「当時」の名残がどこかにあったらどうしようかと思って変なところを覗き込んだりしてしまいました。

ペルム紀の陸上動物の展示です。ロシア科学アカデミーから譲られた標本が多いようで、この手前のスクトサウルスや奥に3つ並んだ頭骨もそうです。よそで見かけないものが多く濃密な空間でした。

ゲートを抜けると恐竜達がひしめく大ホールです。
首と尾を長く前後に伸ばしている、まるで橋のような恐竜はディプロドクスです。この荘厳な空間の主役にふさわしい存在感でした。

もう今回は恐竜の組み立て骨格は全部紹介しちゃいます。

ステゴサウルスは尾をだらりと垂らした古めかしいポーズで立っていました。
ステゴサウルスは私が最近気になっている恐竜です。背中の骨板だけでなく、あまりにも小さな頭、短い前肢、傾いた背中、長いのに走るのに向いていない後肢、全身不思議なところしかないように思えます。何をどのように食べて、どのように過ごしていたのでしょう。
苦労して発掘して、今生き残っている近縁種がいないので復元にも四苦八苦して、やっと出来上がった骨格が訳の分からない動物なのですから、この全身像を初めて把握した人達の混乱はいかばかりだったでしょう。

このステゴサウルスの頭にはすぐそばまで近付くことができました。後から調べたことですが、こういう頭の形と大きさをした恐竜の中では噛む力が強かったそうです。地表にある栄養価の高い植物、たとえばトクサなどを剪定ばさみのように摘み取っていたのではないでしょうか。

人体だとダメなのに、同じ「動物の体の中身」であるはずの、しかもはるかに遠くて意味不明で恐ろしい存在であるはずの恐竜の骨格には親しみすら感じます。
京都市青少年科学センターのときに「恐竜と友達になりたい」と思いましたが、もうとっくの昔に怖くなくなり、親しくなってしまっていたようです。

トリケラトプスも肘を外に張り出して手の甲を正面に向けた古いポーズでしたが、正面から見られるのも相まって復元の変遷について考えるいい材料になります。それに、かえって足腰を踏ん張った荒武者のような迫力があります。

あっそうだ。イラストは長年児童向けの本をメインに恐竜の普及に活躍されてきたヒサクニヒコ先生のご担当だったんですよ。これもまた懐かしい気持ちにさせてくれました。

ディプロドクスの腹の下に入ることができます。骨盤も手足もよく観察することができます。ますますこの天井に覆われた空間にぴったりですね。

あっ、股の間からデイノニクスが見えます。初めて来たときはエントランスで出迎えてくれる役目でしたが、ディプロドクスと対比するのもいいですね。なにしろ小柄で身軽で賢い恐竜というものが認識されたのはデイノニクスがきっかけですから。

中型の植物食恐竜プロバクトロサウルスです。Lv100オロチ編では活躍してくれました。

タルボサウルスです。微妙な角度の問題ですが、尻尾を引きずらず水平にするように復元され始めた頃のポーズをしています。
京都市青少年科学センターでも登場しましたね。さかのぼれば国立科学博物館に初めて通うようになった頃もホールにいましたし、こう思い入れのあるシーンによく登場してくるとティラノよりタルボのほうが好きだと言わざるを得ません。

おっと、組み立て骨格はプロトケラトプスもありました。この周りには恐竜の卵に関する展示が並んでいました。しかし元々プロトケラトプスのものだと考えられていた卵はむしろ卵を盗みに現れたと考えられていたオヴィラプトル類のものだと考えられるようになり、ここでも解説がそのように書き換えられました。その他にも恐竜の卵の研究はどんどん進んでいます。

翼竜のアンハングエラです。クチバシの先のトサカがほとんど目立たない個体です。翼を打ち下ろしてからすぼめて降下するポーズでしょうか。
特に好きな古生物のひとつですが目にする機会が多いのでありがたいことです。大抵高いところに展示されているので大変ですが、じっくり観察しました。

本当に荘厳な空間でした。

部分骨の展示も(むしろこっちのほうがマニア的には)見応えがあったのですが、キリがなくなるので……。

最後の骨格はエウオプロケファルス、小さい頃パラサウロロフスと並んで一番好きだった恐竜です。ステゴサウルスと同じ装盾類なので対比されています。
やはり恐竜とは当時とてもいい出会いかたをさせてもらったわけで、人体とは不幸な出会いかたしかできなかった。結局は、この奇妙な巡り合わせに基づいて進んでいくしかないのでしょう。

私(始祖鳥)です。鳥が恐竜の子孫(今だと生き残りって言いますね)であることを示し、恐竜のホールは終わります。

2階に降りると中生代(恐竜時代)の植物や海の生き物、新生代(その後)の生き物の展示へと進みます。まずは大型アンモナイト。

プレシオサウルス本人であるということになってはいるんですけれど、分類が錯綜していたものなのでもしかしたら別の種類かもしれないという疑惑が未だにぬぐえずにいます。

化石といわゆる生きた化石の対比。なんだか異様に凝った什器を使っていました。

海の生き物の化石がずらりと。特に保存状態のよいものの産地も解説していました。

新生代の展示はいきなりフルスロットルでゾウから始まります。鼻だけでなく顎も長かったゴンフォテリウムとプラティベロドンがドドンと。

さらに大型哺乳類の頭骨が汽車窓式のような形で続きます。これは鯨類のサハリノケトゥス(手前)とジゴリザ(奥)。

一見サイに似ているものの骨でできた空洞の角を持つエンボロテリウム。生きていたときは角というより異様に鼻が高いように見えていたとも言われています。

角の土台が非常に発達したサイであるエラスモテリウム。さぞ長い角が生えていただろうと考えられてきましたが、ごく最近これは声を響かせるドームであるという説が出ました。

どうかなーまふさん始祖鳥だからそのひととはちょっとなー。

ちょっとした広間に出ると、なんとケナガマンモスが這いつくばっています。まさに人類にしとめられる寸前のポーズであるようです。天井につっかえるのも防ぎつつ動きや年代背景を表し、メッセージ性も持たせてある、ここならではの展示だったのです。

最後は歴史時代になってからヒトが滅ぼした動物、ステラーカイギュウです。ベーリング海に生息し海藻を主食としていた巨大な海牛類(ジュゴンとマナティーの仲間)です。
国立科学博物館でも見ることはできますが、ほとんど天井に貼り付いていて真正面や背中の様子を見ることはできません。こんな目の前に見られることは二度とないかもしれないと思い、しっかり撮影しました。
北海道の滝川市美術自然史館で、現地で発掘された近縁種のタキカワカイギュウの詳しい資料を入手してあります。他にも日本各地で近縁種が発掘されていますし、じっくり見比べたいものです。

ケティオサウルスはただ穏やかに微笑んでいます。

すぐ近くの食堂でサクラエビのかきあげ丼をいただきました。駿河湾の恵みを本当においしく料理したもので、この辺りに来る人のお目当てであるはずの博物館の規模が1/4になって客足が遠のいてしまうのが惜しく感じられます。

さらば、三保の不思議な博物館。


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