忘れられない感情は本物だ
居住地が変わり色々な変化を肌で感じる毎日
今の自分が感じた素直な感情や思ったことを書き溜めていっておこうとおもう。
この3月で約16年間働いた支援学校とお別れをする決意をした。
元々、教育現場に向いていないとわかっていたが色々な思いもあり続けてきた訳でもある。
最初、初めて支援学校に足を踏み入れた時、校内はちょうど朝のランニングの時間だった。その後に学校独自の朝の体操の時間。
音楽が鳴り始めると
思い思いに踊る子供
走り回る子供
嫌で泣いてる子
どんな感情であれ、自分の気持ちに素直にしたがってそれぞれが、それぞれの思いを行動に表して動いている。
校長室から見た景色は私にはそんな風に見えて
ここは天国か と思った。
その時の光景や、自分のすごく幸せな感覚を受けたことがずっと忘れられなかった。
先日、94歳になる祖母がショートステイしている施設に会いに行った。
祖母はだいぶ認知症が入ってきていて、私のことなんてもちろんなかなか分からなかった。母は、嫌そうに何言ってるのん!!と何度も分からそうと必死だったが、私はなんとも思わなかった。
そこにはいろんな方がいて、やっぱり思い思いに寝てたり、喋ってたり色々しているのだけど
最初に支援学校に行った日と同じ感覚を覚えた。
みんなそれぞれ。
思い思い、自分の今ある感情に素直に生きている。
いろんな背景や事情はもちろんあるのだろうけども
今の自分に素直に生きている。そんな感じを受けてその空間は私にはとても幸せな空間だった。
要するに、みんな今ある自分を受け入れる。
認める。それが大事なんだろうな。と感じた1日だった。
私は学校で求められる教育をしたいんじゃなかった。
教育って生き方を教えることだ。
統制を取るために訳のわからない学校のルールで縛ってみんなを同じ囲いに入れて教える。
私自身がきっとそれが苦痛だったんだと思う。
嫌な思い出はほとんどないんだけど、小学校の記憶がほとんどない。
楽しくなかったんだと思う。
子供扱いはしたくないし
常に対等にどうしたいのか話し合って決めていけれるようなそんな素敵な場所がたくさん増えればいいな。と強く思う。
大人の長年生まれてきた先入観とエゴのもとに成り立っていることが多い
もちろん私自身もその一部
本質的に何が必要で、必要でないのか。見極めて生きていきたい。
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