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街への想い 〜出身地を聞けば〜

九條です。

京都市出身の人に「ご出身はどちらですか?」と尋ねれば、ほぼ間違いなく「京都です」と答えてくださいます。当たり前ですね。^^;

けれども、その京都市出身の人達のなかでも、

北大路通きたおおじどおりまたは今出川通いまでがわどおり以北(おもに北区)
◎鴨川以東(おもに東山区・伏見区)
◎桂川以西(おもに西京区)
◎九条通以南(おもに南区)

の出身の人達は、京都市中心部(上京区・中京区・下京区=洛中)出身の人達からすると「ちょっと違う」という意識が根底にあるようです。

それは上記のエリアは、かつての平安京の京域外(洛外)にあたるからです。

かつて平安時代には、平安京を中国の古都「洛陽」になぞらえて(同じように)「洛陽」と表現したり、平安京に「洛」の字(洛陽を暗示する文字)をあてていたりしました。

その後、中世になるとその中心部を「洛中」、郊外を「洛外」と区別して表現するようになりました。その意識の名残が現在まで連綿と続いているようです。

余談ですが、近世〜近代・現代になるとさらに「洛外」を「洛北」「洛南」「洛東」「洛西」と分けて表現するように。

似たような現象が大阪にもあります。

大阪出身の人に「ご出身はどちらですか?」と聞けば、大阪市内出身の人はもちろんですが大阪府下の各市町村出身の人もほぼ間違いなく「大阪出身です」と答えてくださいます。

けれども、大阪市の南に隣接する堺市出身の人は例外的にかなりの確率で、

「堺出身です」
「大阪の堺出身です」

と答えます。これは堺市が中世において政治的・経済的に独立(自立)した環濠都市となり「自治都市」や「自由都市」といえる状態が続いたからだと思われます。

かつての平安京域内(洛中)や自由都市・堺などは、隣接するその周辺地域と比較しても歴史的にインパクトのある、影響力の大きな文化を築いた街ですから、いまも生粋の「京都人」や生粋の「堺っ子」たちは自身の出身地に少し特別な想い(誇り)を抱いているのかも知れません。

また、京都市内在住の方が京都市内のどこかへお出かけになるときには、たとえば「祇園へ行く」「河原町へ行く」「新京極へ行く」などとおっしゃいます。

しかし京都府下の京都市に隣接する(京都市以外の)地域にお住まいの方は、京都市内へ行くことを「京都へ行く」という風におっしゃいます。

京都市内にお住まいの方が京都市内のどこかへお出かけになる際に「京都へ行く」とおっしゃることはありません。例外的にJR京都駅へ行く場合には「京都(駅)」へ行くとおっしゃる場合はあるかと思いますが…。

同様に、大阪市内在住の方が大阪市内のどこかへお出かけになるときには、たとえば「キタへ行く(梅田周辺へ行くという意味)」「ミナミへ行く(難波周辺へ行くという意味)」「天王寺へ行く」などといいます。

しかし大阪府下の(大阪市以外の)地域にお住まいの方は、大阪市内へ行くことを「大阪へ行く」という風におっしゃいます。

大阪市内にお住まいの方が大阪市内のどこかへ出かける際に「大阪へ行く」とおっしゃることはありません。例外的にJR大阪駅へ行く場合には「大阪(駅)」へ行くとおっしゃる場合はあるかと思いますが…。

「京都」「大阪」という言葉の概念が、同じ「京都」や「大阪」という言葉であっても住んでおられる人の地域によって、重なりつつも重ならない部分もあるようです。

歴史的な文化というものは目には見えないものですが、長い時間をかけて人々の心のなかに無意識のうちに蓄積し、そしてその想いが代々そこに住む人たちの心の中に連綿と受け継がれているのかも知れませんね。

私は生粋の大阪人(大阪生まれ、大阪育ち)で、大学の4年間は京都市内で過ごしました(と言っても京阪電車で大阪から京都へ通っていたのですが…)ので、上記のこと(京都の人・大阪の人のそれぞれの表現の仕方やその表現をされるお気持ち)がよく理解できます。^_^


©2024 九條正博(Masahiro Kujoh)
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