【随想】白鳳の皇女（ひめみこ） 〜千四百年の愛〜

いまから1400年ほど前。皇極天皇四年／孝徳天皇元年（645年）。それは飛鳥板蓋宮あすかいたぶきのみやにおいて我が国古代最大のクーデターである「乙巳いっしの変」（すなわち大化改新の契機となった事件）が起こった年のことである。大和国にひとりの女子が生まれた。

その子の父は中大兄皇子なかのおひねのみこすなわち天智天皇。母は蘇我倉山田石川麻呂そがのくらやまだのいしかわまろの娘遠智郎女おちのいらつめ。

その皇女ひめみこは「鸕野讚良うののさらら」と名付けられた。のちの持統天皇である。

彼女が27歳になったとき「壬申じんしんの乱」が勃発した。彼女の叔父である大海人皇子おおあまのみこと彼女の３つ下の弟である大友皇子おおとものみことが彼女の父（天智天皇）亡き後の皇位をめぐって争ったのである。

讚良さららの苦悩は察するに余り有る。想像を絶する。

この古代社会最大の内乱である壬申の乱は大海人皇子おおあまのみこの勝利に終わった。彼は即位して天武天皇となった。

讚良さららは大海人皇子すなわち天武天皇の后となった。彼女が病を得たとき、夫の天武はその平癒を願って大和国にそれまでに例のないほど荘厳な伽藍である薬師寺を建立した。『日本書紀』には

癸未 皇后體不豫 則爲皇后誓願之 初興藥師寺 仍度一百僧 由是 得安平 是日 赦罪

とある[1]。しかし今度はその天武が病に伏し、遂には帰らぬ人となってしまった。『日本書紀』には、

九月戊戌朔辛丑　 親王以下逮于諸臣悉集川原寺 爲天皇病誓願 云々 丙午 天皇 病遂不差 崩于正宮 戊申 始發哭 則起殯宮於南庭

とある[2]。

讚良と天武天皇の想い出の地・薬師寺

讚良さららは夫の遺志を受け継ぎ、その菩提を祈って薬師寺の造営を引き継いだ。このとき讚良さらら42歳。『日本書紀』朱鳥二年春正月庚申朔条以下には、

二年春正月庚申朔 皇太子 率公卿百寮人等 適殯宮而慟哭焉 辛酉 梵衆發哀於殯宮 丁卯 設無遮大會於藥師寺 壬午 以天皇崩奉宣新羅金霜林等 金霜林等乃三發哭 二月庚寅朔辛卯 大宰獻新羅調賦 金銀絹布・皮銅鐵之類十餘物 并別所獻佛像・種々彩絹・鳥馬之類十餘種 及霜林所獻金銀彩色・種々珍異之物 并八十餘物　己亥 饗霜林等於筑紫館 賜物各有差 乙巳 詔曰 自今以後毎取國忌日要須齋也 戊午 霜林等罷歸

と記されている[3]。この朱鳥二年は西暦になおすと687年である。彼女はその三年後に即位した。持統天皇である。『日本書紀』はその様子について、

四年春正月戊寅朔 物部麻呂朝臣 樹大盾 神祗伯中臣大嶋朝臣 讀天神壽詞 畢 忌部宿禰色夫知 奉上神璽劒鏡於皇后 皇后 即天皇位 公卿百寮 羅列匝拜而拍手焉　己卯 公卿百寮 拜朝如元會儀 丹比嶋眞人與布勢御主人朝臣 奏賀騰極 庚辰 宴公卿於内裏 壬辰 百寮進薪　甲午 大赦天下 唯常赦所不免 不在赦例 賜有位人爵一級 鰥寡・孤獨・篤癃・貧不能自存者 賜稻 蠲服調役　丁酉 以解部一百人 拜刑部省 庚子 班幣於畿内天神地祗 及増神戸田地

と記している[4]。

その四年後に彼女は飛鳥の北西、藤原の地に夫の天武の時代から造営中であった「藤原京」を完成させ、そこに遷り住む。持統天皇八年（694年）。讚良さらら49歳の冬十二月のことである。『日本書紀』には、

十二月庚戌朔乙卯 遷居藤原宮

とある[5]。文化史でいうところの白鳳はくほう時代の始まりである[6]。

その後も彼女はこの真新しい都「藤原京」の真新しい宮「藤原宮」で積極的に改革を断行し、その後の平城遷都（710年）さらには平安遷都（794年）を経て律令体制が崩壊して行く平安時代中頃までの300年以上にもわたって我が国古代社会において完成された強固な法治体制である「律令制」の基礎を固めたのである。

讚良さららは大宝２（703）年の冬、その波乱の生涯を終える。享年58[7]。

彼女の亡骸なきがらは、天皇としては我が国で初めて荼毘に付され（すなわち火葬され）、彼女が愛した夫、天武天皇の陵みささぎの中に納められた。讚良さららはいまも静かに飛鳥の地で夫・天武の横に眠っている[8]。

天武・持統天皇合葬陵（明日香村野口）

彼女の崩御から７年経った和同３（710）年には、彼女の妹である阿閇皇女あへのひめみこ（元明天皇）によって都は平城ならの地へと遷され（平城遷都）、ここに我が国の古代社会（律令制）の完成をみるのである。

讚良さららは『万葉集』に歌を残している。

【万葉集】
春過ぎて
夏きたるらし
白妙の
衣ほしたり
天の香来山
（巻第一・二十八／持統天皇）

【原文】
春過而はるすぎて
夏来良之なつきたるらし
白妙能しろたへの
衣乾有ころもほしたり
天之香来山あめのかぐやま

【意味】
春が過ぎて夏がやって来たようですね。
天の香来山に真っ白な衣が干してありますよ。

よく晴れた夏の日の真っ青な空の下。天の香久山には神事に用いるための真っ白な衣が干してある。

青い空。緑の香久山。白い衣。青と緑と白の鮮やかな色彩が美しい。夏らしくて爽やかな歌。讚良さらららしい明るく大らかな歌である[9]。

鸕野讚良皇女うののさららのひめみこ（持統天皇）。彼女とともにひとつの時代が始まり、彼女とともにひとつの時代が終わったと言えるのかも知れない。

（令和五年春二月十七日 九條正博 記）

【註】
[1]『日本書紀』天武天皇九年十一月癸未条
[2]『日本書紀』朱鳥元年九月条
[3]『日本書紀』朱鳥二年春正月庚申朔条以下（持統天皇即位前記）
[4]『日本書紀』持統天皇四年年春正月戊寅朔条以下
[5]『日本書紀』持統天皇八年十二月庚戌朔乙卯条
[6]諸説あり。乙巳の変（645年）以降を白鳳時代とする説もある。
[7]『続日本紀』大宝二年十二月三日条
[8]檜隈大内陵（奈良県高市郡明日香村野口 天武・持統天皇合葬陵）
[9]『万葉集』巻第一・二十八／持統天皇

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