見出し画像

言葉を変えられることに対しての言いようのない苦しさ

メールの添削が耐えがたい

会社に入ってから気が付いたことがある。自分が思っていた以上に言葉が好きだということ。

普段あまりネガティブなことは書かないようにしているが、話す相手がいないのでここでつぶやかせてもらおう。
話が早々にずれるが、私は独りでいるとほとんど言葉を発さない。たまに歌うかアイドルを見て可愛い…と言うのみだ。いつも頭の中でいろんなことを思って消化不良を起こし、そのままなんとなく消されていく。砂に書いた文字の上に砂をかけて、また指で文字を書いて、の繰り返し。寂しい。

さて、私は会社で所属する班で、一番年の近い先輩に仕事のあれこれを教わっている。まだわからないことだらけなので、とにかくほかで教わったこと、言われたことは全部報告、逐一報告を指示されているし、それに関してはうべなり。
ただ、その先輩と馬が合わない部分が少なからずあるのだ。それが傍からも客観的に自分を見たときも些細な問題でしかないのだが(こうやってなにかと自分を小さく見せて保身しようとする癖キライ!)、主観の自分、ここでは「ありのままの自分」とでも言っておこうか、からすると非常に嫌なのである。

馬が合わないのは、日本語にのせる思いについて。
その先輩、自分で宣言しているが「漢字、文章が苦手」である。会話をしている分にはなんら問題がないのだが、少し難しい漢字が出てくると読み方を間違え、文章の読み合わせではかなりの量言い間違える。あとメールの言い回しや接続語、句読点の使い方に違和感がある(文面の意味は伝わる)。今まで私が高校と大学で出会ってきた人の中にここまで日本語を間違える人はいなかったから、一緒に仕事を始めたときは驚いた。

そんな先輩と仕事をする中 苦痛なのは、先輩にメールの文案を確認してもらう時間だ。
私はメールを打つのに時間がかかってしまう。話すよりも気持ちが伝わりにくく、相手の反応をその場で確認できないから、と思って、より慎重に言葉を選ぶ。冷淡に思われないようにとクッション言葉を使って長くなってしまっている自覚はあるが、自分が受け取って嫌な気持ちにならない文をつくっているつもりだ。

そうしてつくったメールを先輩に見せる。報告義務があるので。
今回もああ嫌だ、と思いながら。

「ダラダラ書くと相手は読む気なくなっちゃうよ」
「もっとスマートにまとめられない?」(私はstupidですか!?)

実際に言われたセリフである。
留意いただきたいのが、この言葉を先輩は全く悪気なしで言っているということだ。強いこと言っているなという自覚も恐らくない。それは私が先輩をかばっているとかではなく、先輩の行動を見ているとよくわかる。とにかく、これらは貶めたい気持ちゼロでの発言であるから、それがとてもつらい。単純に日本語との接し方についての反りが私と先輩とで全然合わないのだ。

このセリフを放ったあと、文をガリガリと痩せさせられることは火を見るより明らかだ。「ここ、この言葉いる?」と言われながら私の文章は添削され、残った言葉は乾パンみたいに軽くなり、乾燥する。(携帯には便利かもね :))
別に先輩は悪くない。良かれと思って、後輩が恥をかかないように時間を割いて見てくれている。相手に的確に、端的に伝わるように。だから添削後はもちろんお礼を言う。
でも、それでも、嫌なものは嫌なのだ。こんなことに執着する自分は本当に情けないけれど、自分が作った文章を、日本語を正しく使えず漢字を正しく読めない人に削られ、変えられたくない。

添削された後、心はつぶしたアルミホイルのようにくしゃくしゃになり困ってしまう。書いて消された言葉には申し訳ない気持ちになる。私を否定されているわけじゃないと分かっていても、苦しくてトイレで泣いている。

こうしてはじめて、私は言葉がちゃんと結構好きなんだと気が付く。

言葉たち、いつまでも美しくあれ

日本語の、結論までが長いところとか、その曖昧さはかなり幽艶だと思っている。折角美しい日本語を使える環境で生まれ育ったのだから、美しいまま纏っていきたい。そして言葉にはいつまでも瑞々しくあってほしい。

そんな願いが「日本語は英語より回りくどくてビジネスには向いていない」って一言で踏みにじられるの、嫌だなあ。こうなったのも戦争で負けたからですかね(適当&ストレスフル)。

きっと先輩みたいな人は、言い方キツイっすよ~!とかマジすか!?とか軽く言える人が好きなのだろう。陰気ですみません。
先輩はこういう人なのだと割り切るにはもう少し時間が掛かりそうだが、陰気なりにこそこそと愚痴をつぶやきつつ、やり過ごせるようになるのを待ってみようと思う。

先輩、もうちょっと私の言葉に寄り添ってくれないかな
(もうちょっとってどのくらい?数値で表して。と言われるパターンの言い回し)

こういうとき、嫌なら会社やめちゃえばいいじゃんって10年前の私は言うだろうね。今の私もそう思う。しかし「嫌」を溜められる桶の容量が大きくなって、そして「嫌」はふとしたことがきっかけでひしゃくで掬われることもあるのでね。noteに書くこともセルフひしゃくですな。
今日は大分スッキリしたので、あふれてどうにもならなくなったらまた考えることにしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?