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「選考は受けません」 断ったハズの会社、カミナシに!


インサイドセールスのまいです

はじめまして、まいです。
工場や店舗等で発生する紙管理のチェックリストをデジタル化するお手伝いをしている、現場DXプラットフォームを提供するカミナシに2023年4月に入社しました。インサイドセールス(IS)のアウトバウンド型の新規開拓に注力するBDRチームで、『楽』ではないですが『楽しい』日々を過ごしています。

1年前はスタートアップの会社を1つも知らず、SaaSと言う言葉を聞いた事すらなく、なんなら5ヶ月前に35歳にして初めて自分のパソコンを買ったアナログな私が、ITスタートアップ企業のカミナシにコミットしようと思ったわけを入社エントリーnoteとして書きました。(補足:仕事上ではパソコン使ってました。)

1度は受けない、と決めたカミナシ

「本当に自分が良いと思ったプロダクトを自分の手で広めていきたいです。それと、従業員が経営者の想いに共感し、皆が同じ想いで目標に向かっているIT企業で働きたいです。ネームバリューや企業の大小は問いません。」

これが、転職エージェントに伝えた私の希望条件の大きな要素でした。
(今思うと)カミナシを含むいわばスタートアップのトップクラス10社の紹介を受けたのが私の転職活動の始まりでした。

1社1社情報やホームページの内容を確認し、エージェントに伝えたのは、
「IT企業とは言ったものの、正直興味が湧かないです。大学と1社目で食品に携わってきたこともあり、IT×食品のフードテック企業で働きたいです。今回の10社はピンと来る会社がないです。カミナシは一部食品企業を顧客としているようですが色々な現場を対象としているので、今回の企業はどこも受けないです。」

紹介された10社の素晴らしさに気付いていない私に返ってきた言葉は、
「水野さんは”これ”って企業に出会わないと転職しないですね?」
「…はい!」
そして次の紹介企業群が来ると思いきや、そこでそのエージェントとの関係は終わりました(笑)

大学時代の経験と価値観

そんな私は、大学進学時には『将来は食品に携われる職場で働きたい!』そのような思いから食物健康学を専攻し、健康な人の食事に関して栄養面や食品衛生などを学び、栄養士・フードスペシャリストの資格取得が出来る大学を選びました。

新卒の就活時には、食品の中でも特にスイーツに携わる仕事をしたかった為、『スイーツが人の手に渡るまでのどこかの過程に自分がいられたら良いな』、との想いのもと、原料・香料・パッケージ・卸・メーカー・小売・飲食企業などを志望していました。

大学時代に人気の洋菓子屋でアルバイトをしていたこともあり、自分の工夫なしでお客様が来る環境にどこかつまらなさを感じていた私は『まだ知られていないけれど自分が思う最高の商品を、私が広めていきたい』そんな商品を扱う会社に心惹かれるところがありました。また、ネームバリューや大企業かは従業員の満足度とイコールではないと思っていたため、目立たないビジネスや小さな企業でも、自分の目で見て、自分が感じる事を大切にしていました。

その中で選んだ1社目の和菓子屋は、 ”おばあちゃんが食べる地味なお菓子” のイメージを覆す、見た目が華やかなお菓子を扱っていた事、就活イベントで若い就活生とその企業の和菓子を囲んで盛り上がる場を体験した事、そんな空間を作る事の出来る”可能性を秘めたお菓子” に印象が変わった事が選んだ理由の1つでした。

1社目日系 和菓子屋で学んだ努力・チーム

新卒では第一希望の会社に入り、将来本社で広報として働きたい夢もあり、エネルギーに溢れた社会人スタートでした。

1年目で本店販売・社内報編集長を務め同期4人の中でルーキー賞を受賞
→ 2年目でecute店 店長に異動
→ 新人店長にして20店舗中、最優秀店舗賞獲得
→ 3年目で50名程の社員の中で年間MVPでハワイ旅行獲得
→ 希望していた本社勤務に異動(広報 兼 エリアマネージャー)

学生時代は帰宅部でスポーツも勉強も特段本気で頑張った事がなかった為、初めて感じた努力することの楽しさでした。また、店長時代はアルバイト・パートさんと計6名の店舗で、自分を含め誰もスーパースターはいなかったものの、皆が個性や得意な事を活かしながら、お互い学び合いチームとして成長していき、幾度となく社内・社外から売上・接客面での表彰を受け、チームで達成する事の面白さを知りました。

和菓子屋時代

頑張った先の報われない世界

店長を2年半務め、メンバーに「水野店長、昇進ですね!」そう言って送り出された本社勤務は『営業部』と言う名の『何でも屋』で目の前の業務に忙殺される日々でした。

掃除〜備品の発注〜コピー機の修理対応〜かかってくる営業電話の対応〜人数が足りていない店舗の休憩回し〜催事での販売〜クレーム対応〜店舗の売上管理〜店舗のディスプレイ改善〜新店立ち上げの応援〜採用イベントへの参加〜取材対応〜雑誌記事の校正チェック 等と、何がメイン業務かわからない日々でした。
エリアマネージャーとして店舗に行けても月に1回、売上アップ施策というより店舗の状況確認・問題解消の相談時間になってしまうことがほとんどでした。20店舗程展開している会社で、365日無休・朝9:00〜22:00まで開く店舗を抱える中、プライベートな飲み会でも休みの日でも店舗のことが気になり会社携帯が手放せない日々でした。
私に限らず、サービス業の店長やエリアマネージャーの多くは、常に店舗の人が足りない場合の対応や問題が起きた時のために心休まらない日々を過ごしているのではないかと思います。私自身も本社で働いていた退職までの2年間、本当の意味でオフになれた日は1日もなかった気がしています。

結果を出しても大幅に給料が上がりづらい環境のなか、それでも日々増えていく業務と責務。徐々に仕事のクオリティーが保てなくなり、結果的に評価も下がる始末・・・完全に悪循環でした。

そんな忙しい毎日にふと、『頑張った方が馬鹿を見る世界なんだな…』そんな風に思ってしまっている自分がいました。『こんな評価制度やキャリアアップ制度じゃ若い子は頑張らない、仕組みを変えていきたい!』そんな風に最初は思っていました。ただ、今まで長年続いてきた事・今までのやり方考え方を変える事は本当に難しく、変わっていかないし変えていく方法もわからず、『大好きで入った会社を嫌いになりたくない』、そんな思いと試行錯誤の末に私が選んだのは、会社を変えていくことではなく、『退職』でした。
(会社の仕組み以外にも、今振り返ると自分自身のスキルやマインドの足りなさを感じます。)

奇跡の逆転キャリアチェンジ

そんな私は次の転職先も決めず、退職後はカナダ旅行に1ヶ月、セブ語学留学に3ヶ月、と、とりあえずやってみたかった事をしながら過ごしてみる日々を送っていました。(世間的に言うとニートです…笑)
セブでの語学留学で英語学習が楽しくなったこともあり、帰国後も再就職をせずに気が済むまで英語の勉強を続けてみることにしていました。

退職から1年経とうとしていた頃、『そろそろまた仕事したいな…』そんな気持ちになった為、転職活動を開始しました。

その中で『また同じような食品の小売業に就くか?…いや、今29歳だからキャリアチェンジするなら今しかない』と、1社目と同じ世界でしか生きていけないかもしれないキャリアの狭さに怖さを感じていました。

『でも…大学の食物健康学専攻も、洋菓子屋でのアルバイトも、1社目の和菓子屋も全部食品関係…興味も出来る事も食品しかない…。そうだ!食品以外で唯一、大学時代の初めに2年やった塾講師のアルバイトも面白かったな、教育業界なら少し興味が湧くかもしれない!』

そんな気付きから、転職エージェントに6つ登録をし、
「教育業界で、オフィスで働けて、土日休みで、出来たら英語を使う仕事がしたいです」と伝えたところ、
「元々が現場(店舗)がメインの経歴で、別の業界でオフィス仕事+英語はハードルが高いです」と5つのエージェントからはネガティブなフィードバックがあり、経験もスキルもない業界への挑戦+1年のブランク期間を背負い案の定、全く書類選考が通らないという事態に陥りました。それでも希望条件は変えず、その中で「一緒に探しましょう!」と唯一寄り添ってくれたエージェントから受けた外資系語学教育会社の法人部門のカスタマーサポートポジションに、奇跡的に就職が決まりました。(転職裏話:実はその会社の中国人マネージャーとの面接は私にとって人生初の英語面接だった為、まぁー受け答えはボロボロでした。ただ、日本人面接官と話した時に”絶対ここで働きたい”、と思い面接後に英語で嘆願書を書いて送り待つこと3週間…。英語面接が完璧だった他の候補者を差し置き私に内定が出た、というストーリーがあります。)

2社目外資系 語学教育会社での新たな世界

入社後に渋谷の27階のオフィスから東京の街並みを見渡した時、『前職の世界に戻ってはいけない』そんな気持ちがしたことを覚えています。

そうは言ったもののBtoCからBtoB、食品から教育、有形商材から無形商材、現場からオフィス仕事、新業界で英語を使っての仕事ではもちろん多くの異なるスキルが求められました。チームメンバーは教育学科を卒業していたり、バイリンガルだったり、トップセールスだったり、努力しても努力しても皆の足元にも及ばない日々が続きました。

また、業務スキル以外にも、企業文化や従業員の特徴・コミュニケーションの取り方・評価のされ方も真逆の企業に入ったことに後から気付きました。(あまりにも無知でした。笑)
1社目では協調性や助け合いを重んじ察する文化の中、助けが欲しい時や本当の気持ちに気付いて声をかけてくれる仲間もいたのが、2社目はそんな世界からは程遠く、助けて欲しかったら自ら声をあげる、主張や反論があるなら直接言って解決、伝えていないなら相手は理解していないが当然、という全く異なるコミュニケーションスキルが必要な世界でした。
更に、他の人の働き方も、社内でも自らコネクションを作り自ら情報を取りに行き発信し、自らの手で仕事を作り出し提案していく、社歴や性別・年齢に関わらず自ら道を切り開いていく仕事の仕方は私にとって新しい世界でした。

感動のボストン出張

様々な学びを得ながら、自分なりの努力をしていたところ、入社半年後にカスタマーサポートからカスタマーサクセス(CS)ポジションに異動するチャンスをいただきました。そしてCSになったことで人生初の海外出張行きのチケットを手にする機会に出会えたのです。
というのも、グローバルに展開している会社だった為、年に1度どこかの国で、20カ国位から300人程の全セールス・CSメンバーが集まりキックオフイベントを行っていたからです。初めて参加した時の開催国はボストンで、その会議室や表彰式の光景を目にした時は感慨深かったことを覚えています。

『大学を卒業し、中小企業の和菓子屋の1販売員から始まった自分のキャリアに、こんな日が来るなんて夢にも思わなかった』、そんな心震える光景が目の前にありました。私の社会人経験の中で恐らく1番の感動体験でした。

海外出張での1枚

ISの本当の面白さとの出会い

実はその後、CSポジションにうまく適応出来ず、1年程頑張ってはみたものの精神的にキツくなってしまった時期があります。CSポジションは、社内のフィールドセールス(FS)・カスタマーサポート・ロンドンのセントラルチーム・インドのIT部門・お客様など社内社外の様々な人達と連携を取ってやっていく、いわばチームのハブだった為、業務的なスキルもコミュニケーションスキルも英語力も私にとっては全てが力不足でした。

その時期にちょうどインサイドセールス(IS)ポジションをグローバルで立ち上げるという話が出ており、マネージャーから日本のISとしてのポジションを運良く任せてもらえることになりました。これが私のISキャリアのスタートでした。

とは言っても『このポジションで成功出来なければ、自分はこの会社に残れない…』漠然とそんな事を思っていました。そんな不安をよそにISの業務が自分にピッタリとハマり始め、楽しさも見出せるようになっていきました。

ちょっとした工夫の積み重ねで商談獲得率が変わっていくその業務は、販売員をしていた頃のお客様への声かけの仕方に通づる部分があり、着々と商談獲得数を伸ばしていく事が出来ました。そんな中、グローバルでベテランISマネージャーが入ったことで、商談数を追う世界は終わり、ISの受注貢献額とFSパイプラインの額への貢献が目標指標として設定されたのです。今まではいわば表面的な会話でポジションも高くない方との商談獲得も多かったですが、実際に法人英語研修プログラムに年間1000万を超える額を払ってくれる、その決裁が出来る人へ繋がる商談獲得、となると風向きは変わります。(しかも展示会リードやウェビナーリードがほぼなかった為リアルなアウトバウンドアプローチのみが頼み)

そんな状況にマネージャーからの厳しい教育が続き、
「まいが今アプローチしている企業はどんなビジネスをしているの?」
「何を経営課題としていて、どの場面でうちがお手伝いが出来るの?」
「アプローチしている人は何をミッションとして、日々何を考えながら仕事をしているの?」
「その部署の今のホットトピックは何?」

「…。。。」正直、まともに1つも答えられませんでした。自分がいかに顧客理解も自分のプロダクトが役立てる範囲も場面も知らない事を思い知らされたのです。確かにそれを知らずして適切な部署へ適切なメッセージでアプローチをする事は至難の技です。

そこからはまず、アプローチする先のビジネスや人に興味を持つところからのスタートでした。

企業のリサーチも今まで以上に行い、FSと連携を取りトスアップリードの質を高めていく、この作業は思いの外奥が深くエンドレスな学びと改善の繰り返しでした。

『ISは単なるアポ取りと思われがちだけれど、簡単そうで本当は深くて難しい、ISの動き方次第でチーム全体が変わる』そんな大切なポジションであることに気付けた時、今まで以上にIS業務の面白さを感じるようになりました。

ちょっと寄り道のつもりで考えていた語学教育業界でたまたま出会えたISというポジション、『これが食品の領域だったらもっと面白いかもなぁ…』IS業務を深ぼれば深ぼる程、そんな思いが強くなっていきました。
また、外資ということもありメンバーの入れ替わりが激しく、自分のスキル磨きに夢中になる一方、チームとして何かを目指す事は忘れかけていました。

『チームとして、もう1度本気で何かを目指して成し遂げてみたい。色々あったけれど好きだった食品業界へもまた関わりたい。1社目・2社目の経験を生かしつつ新たな要素・ITの世界も見てみたい。』そんな思いで情報収集を始めました。

展示会での気持ちの変化

冒頭部分で記載したように、初めは転職エージェントから紹介されたカミナシの選考を受ける事を断りました。その後、フードテック情報を調べる中で、いくつかのウェブサイトでフードテック企業の1つとしてカミナシが紹介されており、『あれ、待てよ、断った会社だな、思ってたよりフードテック企業なのか?』そんな思いを持ち始めた頃、フードテックの展示会(フードテックに関する企業が一同に集まるイベント)が幕張メッセで開催される事を知り、イベントへの参加とカミナシのセミナーに申し込みをしました。
また、展示会への申し込みと同時に、カミナシの書類選考へも進みました。

展示会当日、カミナシのブースはびっくりする程お客さんで賑わっていました。場内を1周…2周…3周…カミナシのブースはまだ混んでいました。『セミナーだけ見て帰れば良いか』と思った矢先に、ブース内にiPadらしきものが見え、『プロダクトを実際に見て帰りたい、、ここまで来たからには(片道2時間半…笑)やっぱりカミナシ全てを見て帰りたい』と思い、勇気を持ってブースに入ったところセールスメンバーが話しかけてくれ、来た経緯を聞いてくれ話したところ、ISメンバーが来ているということでかずきさんに繋いでくれたのです。

のちに入社後メンターとしてお世話になったかずきさんとの1枚。1on1中のおもしろ画像

展示会は採用イベントではなかった為、私なんかに時間を割いている場合でないはずなのに、予想を遥かに超える丁寧な対応でした。たまたまそこで話しかけてくれた2人の対応に、『お客様にも採用候補者にもこんな風に当たり前にニーズヒヤリングをしているんだろうな…押し売りではなく、相手の状況や想いを大切にするセールスなんだろうな、私もそんなセールスでありたい』そんな風に思い始めていました。
また、完成されたブースの作り、呼び込み、説明、iPadでのデモ…とても創業して数年のスタートアップ企業とは思えないクオリティーがそこにありました。1社目より2社目では倍速で成長してきたつもりでいた私も、カミナシの展示会のブースと社員の対応を見た時に、『この人達はもっと爆速で改善をし続けてきたんだろうな…そんな人達と私も働きたい!』そんな事も思い始めていました。

『カミナシ良いかも!』気分になってからのカミナシセミナーの聴講。
そこには更に自分の過去〜現在〜未来を繋げてくれる内容がありました。
現場で働く人に向けたデジタル化へのセミナー、私はすっかり和菓子屋で現場を見てきた頃にタイムスリップした気持ちで聞いていました。
「カミナシは付帯業務のペーパーレスによる業務効率化を実現することによって、本来現場の人が注力したかった生産性を上げる時間の創出をお手伝いしています」そんな内容の説明が響いた事を覚えています。なぜなら、和菓子屋店長になった時に1番に感じたことが、『なんて面倒な業務が多いのだろう、マイナスをゼロにする業務が多過ぎて、本来やるべき売上アップの施策なんて取り組んでいる時間がない…』でした。
本社勤務の時にも、店舗から全然集まってこない提出書類、実態が把握できない店舗での衛生管理や点検業務…当たり前の事を整える事に時間がかかっていました。そして地味な部分に見えて業務標準化や効率化は、パート・アルバイトを多く抱えシフト制で働く現場業務や現場管理を経験してきた私にとって、とても大きな助けになる事を知っていたからです。

『あの頃、紙管理でいかに改善していくかは考えていたけれど、デジタル化という発想はなかったな…あの頃にカミナシがあったら私はもっと働き易かったのだろうか?退職という選択に至らなかったのだろうか?』展示会でカミナシのセミナーを聞きながら、そんな自問自答をしていました。その時ふと行きの電車で読んだカミナシのホームページの…

ノンデスクワーカーの才能を解き放つ
ノンデスクワーカーが「挑戦し、報われる世界」の創造

これらのミッション・ビジョンが思い出され、意味をようやく理解した気がしました。ただの現場のペーパーレスを手伝う企業だと思っていたカミナシのビジネスに少し興味を持ち始めた瞬間でした。

『もしかしたら現場で働いている食品企業でない人も、私と同じような想いやもどかしさや悩みを抱えていたりするのだろうか、、、そうだとしたらそこに自分が貢献出来る事はどの業界であってもやりがいになるのではないか?フードテック企業ではなく、、、カミナシで働きたい!!!』

1社目の和菓子屋でのネガティブな経験・感情さえも、カミナシでは生かす事が出来る気がしました。

そんな思いと共に帰りの電車、カミナシのホームページで導入事例を夢中になって読んでいました。『実際カミナシのお客様は何を感じているのだろうか?』導入事例ページには、ペーパーレス化を超えた様々なストーリーとカミナシを導入したことで得られた効果やお客様からの感謝の言葉が沢山綴られていました。

そこからはカミナシ一筋にカジュアル面談からCEO面接まで無事にクリアし、入社に至りました。

のちに、セミナー進行をしていたマーケティングの田島さん(ニックネーム:MAXさん)のnoteを読んだ時に、まんまと思惑通りにセミナーマジックにかかっていた事に気付かされました(笑)

カミナシはARR100億円のユニコーン企業・上場という高い目標への山を登っていますが、それと同時に、SaaSのスタートアップ企業とは無縁だったアナログな私は、カミナシという今まで経験してこなかった未知の世界への山を登り始めました。でも『そんな山々をこの仲間となら登れるかもしれない、険しい先に、前職のボストン出張で味わった感動を超える体験が待っているかもしれない!』、そう思えた事も入社を決めた理由の1つです。
長くなりましたが、これが、ピンと来なくて「選考は受けません」と断ったハズのカミナシに、気付いたら夢中になり入社に至るまでのお話です。

入社後に思う事

…で、そこまでの想いを持って入社して実際楽しいの?って気になりますよね!実は転職時、
「リモートワークが可能な事、出社するとしても多くて週1までで。」これもエージェントに伝えた条件の1つでした。そんな私がリモートワークが可能なカミナシで最初の2ヶ月は毎日出社し、今も週の半分位通っています、しかも片道2時間弱かけて(笑)。きっとこれが答えかもしれません。

他のメンバーにとっては当たり前の情報、当たり前に出来る事も自分にとっては初めて続きだったり、出社して得られる事も多く全ての情報が学びです。また、1社目とも2社目とも異なる特徴のメンバーとのコミュニケーションは新鮮だったり新たな発見の連続です。

私は入社前にカミナシ社員のnoteを読みあさっていたことで(笑)、入社前の不安はほぼなく入社日を迎える事ができ、入社後にもnoteの話題をきっかけに部署を超えた先輩達とも話せたり、本当にお世話になったため、入社後は絶対に書こうと決めていたため今回まずは入社エントリーを書きました。

カミナシnote発信の親、広報まさえさん+ISメンバーとのランチでの1枚

また、今いる&これから入るメンバーに向けても
「皆さん良かったら話しかけてください、7階に出社しているISのまいです」の紹介になったらなと思っています。

CEO〜執行役員〜マネージャー〜先輩〜後輩〜年齢〜性別関係なく、ランチや飲みに行ける関係があるのもとても気に入っています。オフィスのある神田が思った以上に飲食店が多く楽しんでいます♪

時に飲み屋街で息抜きしながら、『ノンデスクワーカーが挑戦し、報われる世界の創造』、一緒にやっていきましょう!社内の人も社外の人も是非宜しくお願いします。

ISメンバーが開いてくれた歓迎会での1枚
年代飲み〜からのカラオケでの1枚
我らがCEO諸岡さんの成田祇園祭での勇姿を見に行った時の1枚


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